「一緒に正解を探せば、必ずメダルを獲れる」バドミント選手・遠藤大由、渡辺勇大
リオまで一時代を築き、引退を考えたベテランは、10歳下の選手に請われペアを組むことを決意した。今、そのペアが力を合わせ、夢へと進んでいる。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.782より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
初出『Tarzan』No.782・2020年2月27日発売
“あきらめない気持ち”だけは強く持っていようと。
2019年12月に行われた、バドミントンのワールドツアーファイナルズ。男子ダブルスで準優勝を果たしたのが、遠藤大由、渡辺勇大ペアである。このペアは一昨年の同大会でも準優勝であったから、2年連続ということになる。
今大会では、準決勝で世界ランク1位のギデオン、スカムルヨ(インドネシア)を撃破しての決勝進出であった。その決勝では同2位のアーサン、セティアワン(同)に敗れたが、この成績には大きな手応えを感じたことだろう。遠藤が大会を振り返る。
「自分たちの得意なプレーができたことが一番よかったと思います。僕らの主体はまずディフェンシブな戦い方なんですが、しっかりと相手を見ながら、球出しができていた。ある程度の余裕を持って、レシーブを返せたイメージがありましたね」
バドミントンは頭脳的なプレーが勝敗を分けることが多い。相手がどこに打ち、それをどうレシーブして嫌がる場所に落とすことができるか。相手の動きが読めれば読めるほど、戦いが優位になる。遠藤が相手を見ながらプレーできたと語ったのは、彼らにとって非常に重要なことだったのであろう。一方、渡辺は、
「遠藤さんが言ったこともすごく上手くいっていたのですが、なおかつ劣勢な場面でもあきらめるということがなかったですね。たとえ(レシーブを)どうにか返すだけということになっても、相手のコートに1本でも多くシャトルを戻そうと思っていました。
まぁ、単純なことですけど、そういう作業を繰り返すことで、相手ももう1本入れなきゃいけないというプレッシャーを感じますし、たとえそれが得点に繫がらなくても、相手を削ることには繫がってくる。だから、他のペアよりも“あきらめない気持ち”だけは強く持っていようと考えているんです」
そして、昨年末にはもう1戦、大事な大会があった。全日本総合選手権だ。この大会の男子ダブルスで、遠藤は2012年から14年まで3連覇を果たし日本最強ペアとして一つの時代を築いた。
ちなみに遠藤と当時ペアを組んでいた早川賢一は現在、遠藤と渡辺が所属する日本ユニシスのチームでコーチを務めている。
その牙城を崩した強豪が園田啓悟、嘉村健士ペアで15、16年のチャンピオンになる。17年に王座を奪還し雪辱を果たしたのが遠藤、渡辺ペアだったが、18年は園田、嘉村が王座に返り咲く。
さて、19年はどちらが勝つかと注目を集めた大会であり、本当に日本最強なのはどちらのペアなのかとバドミントンファンは固唾を飲んで見守っていた。2組は期待通り決勝で対決することになったのだが、これが本当に意外な結果に終わってしまう。なんと、園田が熱中症になってしまったのである。
「第2セットの後半ぐらいですね。何か彼の動きがおかしくなって、あれっ変だなって思ったんです。まぁ、そうなると本心で言えばやりにくいんですよ。当たり前ですけど。でも、気遣うような部分が出たらこっちがダメになるパターンもある。だから、とにかく全力でやるしかないと考えていました」(遠藤)
「試合中なので、誰かが止めない限りプレーは続いていきますし、僕たちも勝ちたくてやっている。だから、無駄なことは何も思わず、一本一本のラリーに集中することだけを考えていました」(渡辺)
遠藤、渡辺が優勝。試合後、園田とペアを組んだ嘉村は「(園田)啓悟はやめたくなかったと思うし、自分がやめようと言っても結果は変わらない。だったら戦って、最後までやったほうが相手も気持ちのいい優勝になる。相手をリスペクトしながら最後まで戦いました」と語った。「まだ勝ちたいんだ」と。
すばらしい一戦だった。試合で緊張して気づいた。
話は少し遡る。16年、リオデジャネイロ・オリンピック。前述したように、遠藤は早川とペアを組み、日本男子ダブルス史上最強ペアと呼ばれていた。
全英オープンという大会がある。イギリスのバーミンガムでこれまで109回開催された歴史ある大会で、1977年に世界選手権が開催される以前は、実質上の世界大会であった。早川、遠藤はここで3度準優勝をしていて、リオの前年に行われた世界選手権でも3位になっている。誰もが当然のようにオリンピックでのメダルを期待した。
だが、オリンピックの1次リーグ3戦目の前の練習中に、早川がギックリ腰になってしまう。そして、決勝トーナメントの準々決勝で敗退。リオから帰国後の合宿中に、早川が引退を決意する。遠藤は語る。
「自分も辞める方向で考えていました。年齢もあのとき30歳で、選手としてベテランでしたし、辞めるんなら一緒にと思っていました」
小学校の高学年のときから、互いを意識して切磋琢磨してきた。日本ユニシスに入ってからは、2人で数々の勝利をモノにした。ライバルでもある親友の引退で、自分もと思うのは当然だろう。しかし、その考えを変えたのが、10歳下の渡辺の一言だった。渡辺は振り返る。
「リオが終わってすぐに、遠藤さんにごはんに連れていってもらったんです。そのときに自分とぜひペアを組んでくださいとお願いしました。東京オリンピックに出たくて、それならば遠藤さんしかいないと思っていましたからね」
しかし、渡辺にはもうひとつの顔がある。混合ダブルスの選手としての顔である。東野有紗とペアを組み、時期は前後するが、18年の全英オープンでは見事、優勝を飾っている。
ただ、2つの種目をこなすというのは、簡単なことではない。練習では各ペアとそれぞれ合わせなくてはならないし、試合では単純に言えば2倍の体力が必要になる。種目を重複している選手は渡辺ただ一人だ。
「2つやりたいという気持ちはすごく大きかったですし、やることに意義を感じていました。2種目で頂点に立ちたい。遠藤さんは僕よりずっとレベルが高いので、実はこれはチャンス、ラッキーって思ってました(笑)。同じようなレベルの選手と組んで工夫を積むより、引っ張ってもらえれば、より自分が成長できますしね」(渡辺)
渡辺の申し出に遠藤が応えるカタチでペアを組んだ。このペアで初めて出場した試合で、遠藤はそれまで自分がまったく意識していなかった事実に気づく。
「試合のとき、意外と緊張したんです。まだ、そんな気持ちが残っているのかと思いました。負けたくないんだ、と。もし、あのとき緊張していなかったら、今は現役をダラダラ続けているか、あるいはもう引退しているでしょうね」(遠藤)
お互いへの信頼感が、ペアの実力を高める。
現在のペアになって、遠藤のプレースタイルは変わった。早川とのペアでは「僕はスマッシュするだけでいい」と言い切ってしまうほど超攻撃的な選手だったのだが…。
「ただ打つだけではなく、先を見て動くようになりましたね。ユウタの動きが速いので、自分の場所だけはミスしないように注意している感じです。一番考えたのは、自分が動けなくなったら、どうしようかということ。年齢とともに、フィジカルとか落ちていくのがわかるんです。そうなると、単に攻撃を仕掛けるだけのプレースタイルでは、ダメなんですよ」(遠藤)
「最初の試合で“自由にやっていいよ”って言われて、心強かったです。僕は自分の持っているものを出し続けるだけというか、遠藤さんのことなんて考える余裕もなかった。そんななかで、遠藤さんはどんな状態でも合わせてくれる。安心感が大きく、この人についていけば強くなれると今でも確信しています」(渡辺)
ペアを結成して4年。もしかしたら、遠藤にとって東京オリンピックは集大成になるかもしれない。夢の舞台までは、もう半年を切った。
「メダルを目指してがんばっていきますし、勝つためにはまだまだ足りない部分もある。それを一人で答えを出さずに、一緒にやっていけばより一層強くなると思っています。体力面ですか? そのへんはユウタに任せて(笑)。4年前から、落ちるってわかっていましたから」(遠藤)
「まだ出場は決まっていないから、選考レースを戦っていくことが大事ですね。ただ、自分としてはペアを組んだときからのアグレッシブさを前面に出していって、あとは遠藤さんにカバーしてもらう。そこは絶大に信頼しきっているのですが、もう少し2人で話し合っていけば、さらに高いレベルの試合ができるようになると思っています」(渡辺)
オリンピックの目標はと尋ねると、「もちろん金メダルです」と、2人はキッパリと言い切った。期待して応援していきたい。