選手時代の結果とコーチングは別物。
―自身が海外、あるいはテニスと出会ったのはいつですか?
小学1年生の時に、父の仕事でイギリスに住むことになりました。その際に、ウィンブルドンの決勝、(ジョン・)マッケンロー対(ビヨン・)ボルグの試合を観ることができたんです。
―今からもう…。
40年近く前になりますかね。とにかく“すごいな”と。カラダも大きいし、ボールの動きもそれまで見たこともないようなもので。そして、“僕は、このセンターコートに立つんだ”という明確な目標のようなものを持ったことを覚えています。
―それが2019年に実現することになりました(コーチとして望月慎太郎選手とウィンブルドン・ジュニアの部に参戦し、日本人初となる優勝を果たした)。
ジュニアの大会で、僕自身が選手ではなかったですし、試合はセンターコートではなかったですが、感慨深いものがありました。
―イギリスに移り住んだ頃、テニスをやっていたのですか?
兄がやっていたこともあって、僕もイギリス人コーチについてやるようになりました。幸運なことに、そのコーチが日本に来ることになって、帰国してからも教えてもらうことができました。彼の考え方や教え方に、コーチになった今も大きな影響を受けています。
―特徴を挙げるなら、どんな点ですか?
技術面で言うと、ボールの“多様さ”。例えばサービス一つとっても、スピンやスライス、それらをミックスしたものとか、さまざまな引き出しを持つことの大切さを知りました。それから、精神面で“怒られる”ということがなかった。むしろ、良いところを伸ばしたり、夢中にさせたり、飽きさせない工夫が重要なことを教わりましたね。
―なるほど。
彼は選手として大成したわけではないんですよ。プレイヤーとしての実績とはまた別に、コーチとしての素晴らしさがあったということが大きい。
―特に日本では指導者には選手時代の結果が重視されるように思います。それとコーチングとは別物ですか?
実績があるからできることもあります。例えばグランドスラムに立ったことがあれば、そのレベルや舞台で戦う気の持ちようなど経験者だから教えられることもある。でも、選手を長い時間かけて育てていくとなると、また違ったものが必要だと思います。
僕は21歳で選手を退いたのですが、そういう意味では迷いがなかった。選手とコーチは別ということ。それから“この人のようになりたい”と思えるコーチに教えてもらっていたので。
演劇の世界に足を踏み入れたことも。
―選手からコーチになるにあたって、まずはどのようなところに注意したのでしょう?
まず“自分のテニス”を教えることはしないようにしました。
―え?
自分が選手としてグランドスラムには行けなかったわけですし、同じやり方をしても上を目指せません。それに選手は一人一人違います。同じやり方を別の選手がやってもうまくいくとは限りません。さらに言うと、同じやり方やトレーニング内容だとしても、選手によって“伝え方”も変えないと、伝わらないこともある。それで、表現力を磨くために演劇の世界に足を踏み入れたこともあります。
―面白いですね。
僕は自分を出すこと、表現することが苦手なんですね。本当は褒めたいのに、できなかったりして。例えば、指導者は“ありがとうございます”と言われることがあっても、自分から“ありがとう”と伝えることは少ないかもしれません。
でも、選手に感謝する場面はたくさんあるし、そこで“ありがとう”とたった一言ですが、伝えるか伝えないかで気持ちが大きく変わったりもします。
年齢が上になればなるほど、そのような気持ちになりにくいかもしれませんし、自分とは別の世界に飛び込んだり、新しいものを見たりしなくなるかもしれませんが、とても大事なことだと思っています。
―挑戦し続けるのはなかなかにしんどいかもしれませんが…。
僕は、人生で何度かギブアップをしているんですね。ジュニア選手を卒業して海外に1年間出て、また戻って…ある意味“逃げた”と言ってもいい。でも、14年前、盛田ファンドのコーチになることに対して、グランドスラムのセンターコートに立つには“ここを逃してはダメだ”と確信したんです。
―ギブアップしたというよりは、次に進んだ、とも言えるのでは?
…そんなふうにポジティブに言うことができればいいんですけどね(笑)。いくらでも言い訳はできます。でも、へんに正当化するよりも、僕は失敗を失敗と認めたいと考えています。そうしないと、最悪を想定することもできませんし、本当の意味で次に進むことができませんから。