「金メダルが獲りたい。友香子と一緒に東京で」レスリング選手・川井梨紗子
世界選手権で優勝し、東京オリンピックの切符を姉妹で手に入れた。だが、強力なライバルを前に、その道はまったく平坦ではなかった。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.776より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
(初出『Tarzan』No.776・2019年11月7日発売)
妹・友香子との約束が心を揺らがせる。
今年9月に行われたレスリングの世界選手権。女子57kg級で優勝したのが、川井梨紗子だ。女子で唯一の金メダルであった。ただ、今大会の決勝で、川井はかつて経験したことがない苦悩の中にいた。
それを生み出したのが、妹・友香子との約束。「二人で東京オリンピックに行こう」。その切符は世界選手権でメダルを獲得すること。川井は準決勝を制し、切符を手に入れるが、決勝前に起きた予想外の出来事に、大きく心を乱されてしまったのだ。62kg級の友香子が3回戦で敗退してしまったのである。ただ、負けた相手が決勝に行けば、敗者復活戦に出場でき、銅メダルを獲得できる可能性があった。川井は振り返る。
「自分の決勝のことより、友香子が代表になれないかもしれないということのほうが大きかったです。どうしようと思ったのですが、私じゃどうにもできない。もし友香子がメダルを獲れなかったら、もう1回代表争いをしなくてはならない。
だから、そうなったら自分のことより、そっちを優先しないといけないと思っていました。友香子も泣いているし、見に来ていたお母さんも泣いて。私もやっぱり同じで、決勝に向かう気持ちを作るのが難しかったですね」
もし妹がメダルを獲れなかったら、サポートする。それは、覚悟のいる行動である。なぜなら、自分の練習を犠牲にしなくてはならないからだ。東京オリンピックまでは1年を切っていて、選手にしてみれば時間は少しでも欲しいはずだ。決勝の直前、川井はこんなことを思っていた。
「二人で出るためにやっているのに、妹にどう声をかけていいのかもわかりませんでした。妹が立ち直れるか、ただそれだけが心配。私の決勝の前に、友香子が負けた相手が決勝戦に進出したことで、敗者復活戦を戦えることになった。
これで勝ち上がって3位に入ればメダルが獲れる。だから、私は自分が戦っている姿を見せて、友香子を奮い立たせることができたらと思いました。言葉より行動を見せたほうが絶対に響く。しっかり勝ち切ろうと考えていました」
川井は見事に決勝で勝利する。宿泊していた部屋は姉妹同室。戻ってから二人の間に会話という会話はなかったようだ。ただ「私の試合を見て、友香子は何かを感じ取ってくれていたと思う」と話す。そして、翌日に行われた敗者復活戦で、友香子は勝ち上がり、銅メダルを獲得したのである。これで、伊調千春・馨姉妹以来、3大会ぶりとなる姉妹でのオリンピック出場が決まった。
「自分が優勝したときより、友香子が銅メダルを獲ったときのほうがうれしかったです。安心感がカラダを覆ったような…。自分が優勝した後に友香子が勝ってくれて、あぁ、これでやっと喜べるんだという感じでしたね。ようやく夢がかなったという思いでいっぱいでした」
友香子が銅メダルを獲った瞬間、川井と母・初江さんは、うれし泣きに泣いた。そして、姉妹は「ありがとう、友香子」「ありがとう」と涙を流しながら、抱擁したのである。
続けているうちに実力差が詰まった。
川井は「自分が強くなったのは、至学館高校に入ったから」と、常々語ってきた。小学校2年のときから、母がコーチを務める金沢ジュニアレスリングクラブで競技を始め、小学校6年のときには全国少年少女レスリング選手権で2位になった。中学校3年では全国中学選手権52kg級で優勝した。
成績を見れば、幼いころから強い選手だったのだ。だが、至学館高校には、全国から強豪中の強豪が集まってくる。そして、高校生、大学生、卒業したOBらが揃って練習する。その数40人以上。こんな環境で鍛えられたのである。
「勝てない人がいっぱいいて、最初は練習がいやだなと思っていたんです。全日本の選手もいたし、1つ上の先輩にも強い人がたくさんいた。それでも、続けていくうちに実力差が詰まっていくのがわかったんです。人数が多い分、練習相手には事欠かないし、みんなががんばるから、私も苦しいけど我慢しようというようになっていった。それに、(吉田)沙保里さんとかもいて、私もオリンピックに出場できるかもと、具体的に考えるようになっていったんです」
至学館大学に進学してからも、ジュニア大会では多くの優勝を果たす。ただ、確かに強くなったのだが、同じ階級にオリンピック3連覇を果たした伊調馨がいた。全日本選手権では2度敗れてしまったし、それだからコーチや監督は階級を変えることを勧めた。伊調がいない階級にすれば、オリンピックで優勝することも可能だったからである。だが、川井はなかなか首を縦には振らなかった。
「純粋に自分のベストの階級で強い人と戦って、勝ってオリンピックに行きたかった。馨さんというビッグネームがいない階級で行くより、馨さんを倒して行きたいということにこだわっていたんです。ただ、周りの人に“自分だけのこだわりでオリンピックを逃すのはもったいない”とずっと言われてはいたんです」
リオデジャネイロ・オリンピックまで1年と迫った2015年。オリンピックが終わったら、元の階級に戻っていいからと説得され、階級を58kg級から63kg級へと2階級上げる。実は、これはこれで大変なことなのである。5kgの差は大きい。
「パワーが全然違うんです。私は63kgに上げているのに、相手は63kgに落としてくるんですから。リオでは前日に計量だったので、試合当日は(食事をしたりで)67kgぐらいある選手もいたと思うんです。あのとき戦った選手たちは、今、ほとんど68kg級に出てますからね。後で階級を落としたのは私一人ですから、みんな大きかったんだなって(笑)。
ただ、試合では必死すぎて、体格差なんて考えてなかったですね。もう、気持ちで行くだけ。技術も体力も必要だけど、やっぱりパフォーマンスをどれだけ出せるかは、気持ちによるところが大きいと思うんです」
そして、初めて出場したオリンピックで、金メダルに輝く。結果だけを見れば、選択は正しかったのだ。
「オリンピックに出て、会場の雰囲気とか、日本チームの盛り上がり、それに注目度などを、身をもって実感できたのはよかったと思います。優勝したときには、次は東京でという気持ちになったのも大きかった。友香子も現地で私が戦っているのを見て、私もと思ったようなんです。ただ、これが58kg級だったらという思いは若干残っているんですけど」
この直後、姉妹は約束を交わすのである。ただ、この約束は川井にとって、簡単なものではなかった。リオデジャネイロ・オリンピックの58kg級では、伊調馨が4連覇を果たした。階級を戻すということは、強い伊調と戦うということなのだ。
どんなに泥臭くても勝たなくてはならない。
世界選手権でメダルを獲得する。これが、オリンピック代表になるための最短の道である。そして、18年12月に行われる全日本選手権、19年6月に行われる全日本選抜選手権がひとつの指標となっていた。この2大会で優勝すれば、文句なしで世界選手権出場。優勝者が分かれれば、その2人のプレーオフとなる。ちなみに、東京オリンピックでは階級変更により、川井は58から57kg級になった。
まずは初戦、全日本選手権。一次リーグで川井は伊調を2―1で破る。伊調にとっては、日本人選手に負けたのは17年ぶり。しかし、両者は再び決勝で当たり、終了間際に逆転され、川井は負けてしまう。伊調が一歩リードした。しかし、次戦の全日本選抜では、決勝で伊調を破って優勝。プレーオフに持ち込んだのである。そして、この試合では友香子がセコンドについた。
「馨さんはただ力があるとか、技術がすごいだけではないんです。トータル的にバランスがよくて、守りも強いし、攻めもうまい。オールマイティに何でもできるので、隙を見つけるのが難しいんです。とにかく、代表になるためには、どんなに泥臭くても、どんなにもつれても勝たなくてはならないと思っていました。緊張しましたよ(笑)。友香子が近くにいたのは、心強かったです」
結果は3-3。だが、ビッグポイントの2ポイントを取った川井が勝者となり、世界選手権代表になる。そして、その大舞台で、姉妹の約束が果たされることになったのだ。
さて、前述したが、東京オリンピックまで、残りの時間は僅かしかない。といっても、川井は最短で出場の切符をつかんだのだから、未だ出場できるかどうか決まっていない選手に比べれば恵まれているといえよう。今後、彼女はどのようにして、オリンピックへの道を進むのか。
「世界選手権での反省点がたくさんあるので、まずそれを直していきたいですね。決勝のときに9-0になって、あと1回タックルに入れば勝ちという場面があった(10ポイント差がつくとテクニカルフォールとなり試合終了)。そのとき、最後の1回を甘く見ちゃって、6ポイント返されてしまった。そういうところもよくないと思ったりして。ツメが甘いと自覚できました。
体力的な面では、満足してしまうと落ちていく一方だし、リオのときのように若さと勢いだけで戦うのは無理(笑)。しっかり取り組んでいきたいです。それから今、カラダの使い方を教えてもらっているんです。うまく使えるようになれば、動きはもっとよくなると思います。東京オリンピックのためにたくさん苦しんだし、一生懸命やってきた。だから、金メダルは獲りたいです。友香子と一緒に」