ボクシング選手・田中恒成「弱い相手はいらない。強い選手とやるから自分は成長できる」
3階級制覇は、居並ぶ強敵だけではなく、ある意味、自分の肉体との闘いでもあった。強いチャンピオンがこれから進んでいく未来とは。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.770より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.770・2019年8月8日発売)
ラクな相手とやることにメリットがない。
田中恒成は、ミニマム級、ライトフライ級、フライ級の3階級で世界チャンピオンまで上り詰めたボクサーである。しかも、世界最速タイ記録の12戦で成し遂げた偉業であった。
そして、彼が行った試合で、印象に残る一戦がある。それが、今年3月16日に行われた田口良一とのタイトルマッチで、王者田中に田口が挑むという構図だ。
田口はWBAライトフライ級を7度防衛した強豪で、2017年に田中がWBOライトフライ級の王者だったとき、統一戦が組まれる予定だったが、田中のケガによりそれが流れた。そこで田中の誘いから、仕切り直しということになったのだ。
この試合、田中にとってWBOフライ級の初防衛戦であったのだが、まずこれに驚かされる。初防衛というのはそれほど強い相手とは行わずに、まず勝つというのが普通だからだ。あえて元世界王者を指名したというのは、どういう理由だったのか。
「ずっとやりたかった。だから、今もやってよかったと思っています。キャリアの中で成長していきたいと思っているから、ラクな相手とやることこそボクにはメリットがない。強い相手だったら、気持ちも高まるし、こっちも切羽詰まって練習する。そうすると、その期間に強くなれるんです。だから、田口選手は本当にいい相手だったと思っています」
試合は12ラウンドまでもつれ込み、判定で田中が勝利する。田口はライトフライ級からフライ級へと階級を上げたにもかかわらず、素晴らしい試合を展開した。
序盤はほぼ五分。中盤に入ると田中の足を使った攻撃に翻弄され始めるが、終盤には倒されそうな場面をクリンチで何度も逃れ、最後までリングに立ち続けたのである。そして、この試合ぶりも、また田中の刺激になった。
「(田口選手に)だいぶダメージがあるのは、やっていてもわかっていたんです。でも、効かないパンチではあるのですが、手数も衰えずに懸命に打ち返してきていた。そのへんの気持ちとかは、すごく伝わってきました。逆に、倒れそうになったときには、クリンチしてでも、という執念も感じた。いい意味で勉強になりましたね」
田中のボクシングには、ひとつ大きな特徴がある。まるでプロらしくないのだ。田中が語ったように、クリンチは倒されないようにする防御法だ。
また、歴戦のプロというのは、反則ギリギリの手を使い、勝利をものにすることはよくある。そして、それは決して間違ったことではない。しかし、田中は常にクリーンなファイトで敵に向かっていくのだ。
「まぁ、(試合で)そこまで追い込まれたことがないというのがあるんですが…。あんまり、そういう戦い方は選択肢として浮かんでこなかったんですね。どっちかといえば、やらないほうがいい戦術なので。ただ、どうしようもなくなったら、わかんないですけど(笑)。
この先どうかと言われると困るんですが、今、学ぶべきことではない。もっと他にやることがある。レベルアップさせたいところがたくさんあるし、そっちを高めていくほうが、強くなるためには近道だと思っていますから」
自分でお願いした戦い。でも怖くなってしまった。
強い相手とやりたい。田中はその気持ちをプロになってからずっと持っていた。それを端的に証明しているのが、デビュー戦でWBO世界ミニマム級6位のオスカー・レクナファ(インドネシア)を選んだことだ。6回戦ボーイとしては異例である。
「自分でやらせてくれってお願いしたんです。普通がいやだったから(笑)。それで、KOで決めるなんて大口叩いていたんですけど、試合が近づいてくると、アホなこと言っちゃったなぁって怖くなってしまった。そうとうビビってましたね。試合では1ラウンド目の1分ぐらいでダウンを奪って、そこからはほぼフルマーク(すべてのラウンドが10点満点)で勝つことができました。
ただ、最初のダウンがなかったら、もっともっとキツい展開になっていたと思います。倒したのは、流れの中で出したコンビネーションだったのですが、あれが自信になりました。オレ、いけんじゃないか!って、気持ちが高ぶりましたね。だって、本当に怖かったんですから(笑)」
順風満帆のなかで訪れた、初めての試練。
そのころの田中には、ひとつの青写真があった。それは、プロ5戦目で世界チャンピオンになること。これは、プロ6戦目での世界チャンピオン奪取という井上尚弥の記録を抜くことが、頭にあったのだろう。
「だから、余分な試合はしませんでした。ただ、プロになったときにチャンピオンになれると思っていたかというと、まったくそうではありません。そこを目指してみたいという感じです。4戦目の東洋太平洋タイトルマッチに勝って、次は必然的に世界戦になる。そこで、初めて現実的に見えたということなんです」
15年、フリアン・イェドラス(メキシコ)とWBO世界ミニマム級王座決定戦を戦い、3−0の判定で勝利する。プロ5戦目、井上の記録を抜いた。この試合後に田中は「課題もたくさん見えたが、ベルトを勝ち取れてうれしい。これからも強い選手と戦っていきたい」と、語っている。やはり、相手に求めるのは常に強さなのだ。
ここまでは順風満帆。だが、初めての試練が訪れる。ミニマム級での防衛戦だ。この試合、田中にいつものキレがなかった。序盤から苦戦を強いられて5回にはダウンを奪われてしまう。それでも6回に大逆転のボディブローを放ち、KO勝ちを収めたが、らしからぬ試合に、観客もとまどった様子だった。
「減量の問題です。ミニマム級の防衛戦では10kg以上でした。年齢的に筋肉や脂肪が増える時期だったんだと思います。だから、ライトフライに階級を上げるということを、ジムの人たちも認めてくれたんです」
そして、階級を上げての2戦目。WBOライトフライ級王座決定戦に勝利し、こちらは井上と並び8戦目で2階級制覇を成し遂げたのだ。ただ、この階級でも長くは続けられなかった。筋肉は大きくなり、体重は増え続けたのだ。
減量を繰り返し、防衛戦を2度戦ったのだが、最後の試合ではTKOで勝利したものの、カラダには大きなダメージを受けた。両目の眼窩底骨折である。そして、このケガによって、田口との統一戦が流れてしまったのだ。
「このときも同じ。ライトフライ級ではキツかったんです。それで、フライ級に上げることにした。だから、3階級制覇の最速タイ記録を狙っていたわけでは、全然ない。しょうがなくやっていった結果が、たまたま記録になったということなんです」
WBO世界フライ級王座決定戦は、木村翔との日本人対決となった。激しい打ち合いを制したのは田中。12ラウンドをフルに戦ったのだが、壮絶な試合展開に、会場には観客の大きな歓声が鳴り響いた。試合後、田中は木村に「疲れたので座ってもいいですか」と言ったらしい。
今は増やすのではなく、足りない部分を補う。
今、田中は名古屋にあるSOULBOX畑中ボクシングジムで、毎日汗を流している。ジムの会長は、中部地方で初めて世界チャンピオンになった畑中清詞さんだ。どのような練習をしているのであろうか。
「フライ級でもカラダが大きいほうなので、ウェイトトレーニングは一切やっていません。現時点では、(カラダのなかで)強くなった場所がたくさんあるので、それに追いついていない部分を、調整というか、トレーニングをしています。
カラダ全体のバランスが取れるようにですね。たとえばパンチ力が上がったのに、それにカラダが耐え切れなくなってきている。だから、肩の柔軟性を増すようにしたり、初動の動きを練習してみたり。関節の可動域や、そのまわりの細かい筋肉などの足りないところを補っています」
田中が歯痒いのは、地元名古屋ではスパーリングパートナーが見つからないこと。東京や大阪に比べ、ボクシングジムが圧倒的に少ないのだ。
「試合の相手に似たようなタイプを探すとなると、名古屋では無理なんで東京、大阪、海外にも行きます。それは、環境と戦うという意味もある。人の畑に行くと緊張しますから、そこでも力を出せるようにするのが目的です。
今年6月にフィリピンに行ったのですが、世界ランカーや東洋太平洋チャンピオンもいて、いい練習になりました。自分が世界チャンピオンだから、まわりは憧れの視線で見てくるんです。でもそれだけじゃなく、オレだってというハングリーな気持ちも伝わってくる。こういう環境もいいなと思いましたね」
8月24日、田中はフライ級で2度目の防衛戦を行う。相手はジョナサン・ゴンザレス(プエルトリコ)だ。もちろん、勝利を収めて先を目指してほしいのだが、彼自身はどのような未来を描いているのか。
「防衛戦ではミスを重ねたくないですね。相手との距離をうまく取れればいいと思っています。それと、まだカラダが大きくなっているんです。だから階級を上げることも考えていますが、4階級制覇の記録を狙うためではない。
これまで通り、上げるべきときに上げるということです。ただ、1階級上のスーパーフライ級には井岡一翔さんや、海外にも強い選手がたくさんいる。その中に割って入りたいとは思っています」。