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2階級制覇のプロボクサー・京口紘人が語る師・辰吉丈一郎と、次の目標

京口紘人(きょうぐち・ひろと)/1993年生まれ。161cm、48kg、体脂肪率8%。中学校1年生のときに大阪帝拳でボクシングを始める。2016年、プロデビュー戦でTKO勝ちを収める。以降、8連続勝利でIBF世界ミニマム級王者に。2度の防衛後、王座を返上し、昨年、WBA世界ライトフライ級王座を奪取。12戦12勝9KO勝ち。ワタナベボクシングジム所属。

WBA世界ライトフライ級スーパー王者、ベッキー・ブドラーに10回TKO勝ちを収めた京口紘人。そのときに効果的だったのが、“浪速のジョー”直伝のコンビネーションからの左ボディだった。しかし、日本最速でミニマム級のチャンピオンになった京口は、やがてこの階級での限界を知るようになっていく。そして選んだ道が王座返上と階級を上げることだった。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.761より全文掲載)

チャンピオンを棄権に追い込むハードパンチャー。

「おい、世界チャンピオンになりたい、じゃ絶対になれんぞ。そんなヤツはごまんとおる。なりたい、なんて言っているようじゃダメなんだ。チャンピオンになる、だ。ジョーちゃんには、くどいほどこう言われていたんです」

ジョーちゃん、というのは“浪速のジョー”こと、辰吉丈一郎氏(正確には「丈」は右上に点、「吉」は「土」の下に「口」)。元WBC世界バンタム級王者である。

京口紘人は中学1年生のときから、大阪帝拳でボクシングを始め、入門したときから1年半、ほぼ毎日辰吉氏の指導を受けた。最初に会ったときに、“ジョーちゃんと呼べ”と言われたらしい。京口は続ける。

「徹底して教え込まれたんです。本人(辰吉氏)は、ホンマにそんなんだったっけ、って言うんですけどね(笑)。サンドバッグで6ラウンド、左ボディだけを打たされるなんて日もありました。

終わると左半身が筋肉痛。ボディの打ち方は、拳は肘よりも前、腕を曲げる角度はこれぐらいで、こう打て。ジェスチャーを交えて何度も指導してもらいました」

辰吉氏は現役時代、コンビネーションからの左ボディをもっとも得意としており、数々の勝利をつかんできた。その世界有数のテクニックを中学1年生の少年に、余すところなく伝授しようとしたのであろう。

「ただ、わからないのは、僕が大阪帝拳に入ったとき、すぐに教えてくれたこと。まったくの初心者ですからね。今、僕がジム(所属するワタナベボクシングジム)のキッズの子らに指導するのと同じですよ。なかなかないことだと思うんですね」

サンドバッグを打ち込むプロボクサーの京口紘人

ただ、京口の場合は3歳のころから空手を始めていたから、まったくの素人ではなかった。それにプラスしてその才能が、もちろん目利きの辰吉氏の関心を引いたのだろう。

京口は昨年の大晦日、WBA世界ライトフライ級スーパー王者、ベッキー・ブドラーに挑戦して、10回TKO勝ちを収めた。そのときに効果的だったのが、辰吉氏直伝のコンビネーションからの左ボディだった。

「簡単な試合にはならないと思っていました。ただ、相手を研究するなかで、自分のスタイルなら、やりやすい相手だと感じていた。実際やってみて、そうでしたからね。試合前から、ジャブを打って、近い距離から左ボディというのがプランの一つでした。それがはまりましたね」

この試合、京口は非常に冷静だった。無理に攻めることなく、ジャブやストレートを繰り出し、相手の右のガードが上がったところで、すかさず左ボディを打つ。

試合前半ではチャンピオンも抗戦したが、ラウンドを追うごとに左フックがジワジワと効いて、このパンチを避けることが最大の目標になってしまった。

カラダをひねり、ボディに当たらないようにするのだが、こうなると京口が圧倒的に有利になる。なんといっても彼は、軽量級では珍しいハードパンチャーだからだ。KO勝ちが少ない軽量級で、これまでプロ12戦を戦い9KOなのである。

そして、10ラウンドが終了したとき、チャンピオンは、なんと棄権する。これには京口も驚いたという。

「えっ、あきらめたん?って思いましたね。だって、世界タイトルマッチってチャンスもなかなか来ないですし、大きな舞台じゃないですか。それを棄権するって本当にできないですよねぇ、普通。僕は絶対にやめない。自分の状態を冷静に判断したのか…、ちょっとわかりません」

いや、戦う気力を削がれるほど、京口の攻撃が激しかったのだろう。

1年3か月で8試合を、毎回減量して挑んだ。

辰吉氏に教えられた後も、高校までは大阪帝拳でボクシングを続けた。しかし、当時はそれほど強い選手でも、有名な選手でもなかった。国体にも出場しているが、高校の1年と2年では大阪の予選で敗退。3年では全国進出を果たしたものの、1回戦負けという結果だったのだ。

「ジムに相手がいなくて、スパーリングも1か月に1回がやっと。練習環境に恵まれてなかったんです。ただ、この期間がムダだったとは思っていませんでした。

基礎体力など地盤を固められたのは、高校時代。1回戦負けも経験しましたけど、ずっとチャンピオンになる、という気持ちは持っていました。何の根拠もなかったんですけど、それだけはブレずに行こうって思っていました」

高校卒業後、大阪商業大学に進学すると、大阪帝拳を離れ、ボクシング部に入部した。そして、ここで一気に才能が開花することになる。

「高校まではどれだけ練習をしても、それを実戦へと変換できる環境がなかったんです。大学に入ってからは、同じ歳ぐらいの部員がいますから、スパーリングも、マスボクシング(実際にパンチを当てずにボクシングの動きを再現する練習)もたっぷりできた。

1年のときに、同じ階級の先輩とスパーリングをして勝って、それからはレギュラーでしたね。力がついたと実感していましたし、卒業後はプロだと思っていました」

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ミット打ちに励むプロボクサーの京口紘人

その言葉通り、大学3年生のときには国体で優勝を飾ったし、大阪商業大学は関西リーグで準優勝3回と優勝1回に輝いた。京口が入学する前は5位止まりだったのに、だ。

そして、東京のワタナベボクシングジムに入門。これには、ちょっとした縁があった。中学時代に大阪帝拳で指導してもらっていた井上孝志トレーナーと、大学3年生のときに再会したのだ。井上トレーナーはワタナベボクシングジムに所属していて、「一回、練習を見に来い」と誘ってくれた。プロ生活が始まる。

「寮に住んで、ジムと往復の毎日。それにバイトでビルの清掃業をしました。デビューしたのが(2016年)4月17日だったのですが、翌年の2月に東洋太平洋のタイトルマッチが決まって、ボクシング一本に集中するということでバイトは辞めたんです。それからしばらくは貯金を切り崩しながらの生活でした」

東洋太平洋というのは、OPBF東洋太平洋ミニマム級王座のこと。そう、京口はもともとライトフライ級の下の階級で戦っていたのだ。デビューから東洋太平洋までの半年、京口はバイトを続けながら5戦を行い、5KOというバケモノぶりを見せつける。くどいが、軽量級で、だ。

そして、東洋太平洋の初タイトルもKOで手中に収め、その翌年にはIBF世界ミニマム級王座に輝くのである。全8戦での世界戴冠は、奇しくも辰吉氏と同じ試合数であった。しかも、1年3か月での世界タイトル奪取は日本人最速だった。

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プロボクサーの京口紘人

「チャンピオンを目指してやってきたので、もちろん人生で一番うれしい瞬間でしたね。ただ、考えてもらえばわかるんですけど、1年3か月の間に8戦やっているんですよね。

数字だけ見たら、トントンって駆け上がった感じですが、毎試合減量して挑むんですよ。ボクシングでは3~4か月おきに、年間3、4試合行うのが普通なんです。その倍ぐらいになりますから…。KOが続いたからやれたんだと思うし、本当に運がよかったんだと思っています」

王者となった約5か月後には、初防衛戦を行い、KOで圧勝する。ところが、翌年の2度目の防衛戦では、精彩を欠いた試合になってしまった。相手はビンス・パラス(フィリピン)。19歳のプロ無敗選手で、強敵であったのは確か。しかし、“らしさ”を感じられない試合だった。

「3回にダウンしたり、脚は攣りだしたりで、限界だと思いましたね。ミニマムで戦えるカラダではなくなってしまっていたんです。このときは11kg以上減量しなくてはならなくて、最後が非常につらかった。潤った状態ではなくて、全部出てしまってから2kg減らしましたから。

自分の持ち味であるパワーを発揮できないし、このままミニマムを続けて、減量苦でしたって言い訳もしたくなかった。それで、階級をライトフライ級に上げる決断をしたんですよ」

アマチュアでの戦績はまったく当てにならない。

トレーニングを積み重ねるごとに、カラダは大きくなる。これは若い選手には当然のこと。ミニマム級は47.61kg以下、ライトフライ級は48.97kg以下だ。その差を考えれば、上の階級で戦いたいと思うのも当然だろう。

しかし、そうするためには現在持っているタイトルを返上しなくてはならない。京口は「世界タイトルマッチってチャンスもなかなか来ない」と前述しているし、ジム側としても、せっかく育てたチャンピオンを失ってしまうのだ。そして再び、頂点に上りつめることができるという保証はどこにもない。

「ベストを出せないし、パフォーマンスを落としてまで、こだわる階級でもないなと考えていました。でも、ジムにとってはチャンピオンを手放すという、すごいリスクがあることなので、自分の思いを尊重してくれたことに、とても感謝しています」

そして、この決断が正しかったことを京口は証明したのだ。それが、最初に記したWBA世界ライトフライ級王座だ。2階級制覇だった。

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プロボクサーの京口紘人

さて今、日本のボクシングファンの間で、とても盛り上がっている話題がある。それが、京口と拳四朗の統一戦だ。拳四朗は現在、WBCライトフライ級チャンピオン。2人は同じ歳で、よく似たキャリアを積んできている。ただ、ボクシングスタイルはかなり違うといっていい。

京口は相手との距離を詰めて積極的に打ち合うタイプであり、一方、拳四朗は、相手との距離を測って戦う、アウトボクシングが得意だ。

このように、戦い方が違う選手が頂点を競う場合、面白い展開になることが多い。それを期待している人たちが大勢いるのである。京口自身はそのことを、どう考えているのか。

「自分の一番の目標になっていますね。自分のベルトを、これから2、3度防衛できれば、統一戦のチャンスが来るかもしれない。拳四朗は強いですよ。アマチュアのときに、4回やって3回負けてますから(笑)。

でも、お互い変わったし、プロはラウンド数もグローブも違う。条件が違うのでアマの戦績は当てにならないですね。今、勝てるかと聞かれたら、まだ自分が不利だと思う。でも、対戦が決まるまでに力をつけて、そのときは勝ちたいと思っています」

取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文

(初出『Tarzan』No.761・2019年3月20日発売)

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