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村上春樹をちゃんと語れるランナーは、ハンサムだ

フルマラソン、トライアスロン、ウルトラマラソンに挑戦してきた著者が綴る走りについてのエッセイ集。650円、文藝春秋。

真のハンサムランナーを目指すならば、村上春樹の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読み、その思考回路をインストールすべし! まだ読んでいないという人のために、彼のランナーマインドを感じとれる、『走ること〜』のパンチラインを紹介しよう。

ハンサムランナーたる者、村上春樹氏の『走ることについて語るときに僕の語ること』を読んでなくちゃ、お話にならない。文字通り、村上氏が小説と同じくらいの気合でもって向き合っている〝走ること〟について、2005年夏から2006年春にかけて綴った一冊。

もし「小説家の余技だろ?」と見くびっているなら、そのスポーツマンシップにもとる行いを悔い改めるべきだろう。なんせ村上氏は、33歳で本格的に走り始め、フルマラソンは基本的に3時間半でゴールを切っていたという筋金入りのランナーなのだから(その後、40代後半でタイムは少しずつ落ちていくのだが)。

というわけで、まだ読んでいないという人のために、村上氏のランナーマインドが感じられる、『走ること〜』のパンチラインを紹介しよう。

……人は誰かに勧められてランナーにはならない。

人は基本的には、なるべくしてランナーになるのだ。

村上氏が走り始めたのは、仕事を辞めて専業作家となりつつあった頃、体調維持のため。一人でできて、なおかつ特別な道具がいらないというのが理由だった。

と同時に、「何ごとによらず、他人に勝とうが負けようが、そんなに気にならない。それよりは、自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか―そちらの方により関心が向く。そういう意味で長距離走は、僕のメンタリティーにぴたりとはまるスポーツだった」。つまり、村上氏にとって走ることは(動機から実践まで)、徹頭徹尾自分と向き合うことであるようだ。そして、それは小説を書くこととも似ているとも村上氏は言う。

誰かに故のない(と少なくとも僕には思える)

非難を受けたとき……

僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。

人に傷つけられたとき、どうやってそれを癒やすか? 村上氏は走る。「腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい」。

そうやって走った結果、「自分の肉体を、ほんのわずかではあるけれど強化したことになる」と。心身ともに、ストイックなのが村上氏なのである。

今のところは僕はまだ、音楽とコンピュータをからめたくはない。

友情や仕事とセックスをからめないのと同じように。

だから、村上氏は走るときにデジタル音楽プレイヤーで音楽を聴かない。使うのはもっぱら、MDプレイヤーである。2005年の話だから現在は定かじゃないものの、細部にもこだわりを貫き通すあたり、いかにも村上氏らしい。

聴いているのは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズやザ・ビーチ・ボーイズなど。「走るリズムにあわせることを考えると、伴走音楽としてはロックがいちばん好ましいような気がする」というのが理由だ。

筋肉は覚えの良い使役動物に似ている。……

「これだけの仕事をやってもらわなくては困るんだよ」

と実例を示しながら繰り返して説得すれば、

相手も「ようがす」とその要求に合わせて徐々に力をつけていく。

村上氏も書くように、ランナーならば誰もが自然と身につけるだろう、筋肉についての基礎知識ではある。しかし、村上氏の手にかかれば、こんなに小気味よい比喩表現に生まれ変わる。いずれにしても、だから村上氏は「たとえ絶対的な練習量は落としても、休みは二日続けないというのが、走り込み期間における基本的ルール」だと語る。ここからも、村上氏のストイックさは伝わるだろう。

「よし、今回はうまく走れた」という感触を取り戻せるまで、

僕はこれからもめげることなく、

せっせとフル・マラソンを走りつづけるだろう……。

年をとってくると、悲しいかな、若い頃のような練習量では良いタイムが出せなくなってくる。50代に入り思うような結果が残せなくなった村上氏は、それを痛感する。しかし、それでへこたれる村上氏ではないのだ。

顔や才能と同じで、

気に入らないところがあっても、

他に持ち合わせはないから、

それで乗り切っていくしかない。

年をとるのも悪いことばかりじゃない。自分のありのままの姿を、ある程度の諦めとともに受け入れられるようになってくるからだ。村上氏の場合は、自身の生まれつき硬い筋肉を受け入れられたという。いわく、「冷蔵庫を開けて、そこに残っているものだけを使って、適当な(そして幾分か気の利いた)料理がすらすらと作れるようなものになってくる」と。

やれやれ、

もうこれ以上

走らなくていいんだ。

これは村上氏が初めて(ほぼ)42.195kmを完走し終えたときの感想。ここで自身の小説の主人公たちにおなじみのセリフを持ってくるあたり、ギャフンと言うほかない。そして、今もなお走り終えたときはそう思うらしい。しかし、少し時間が経つとその辛さはケロッと忘れて次のレースに向けて走り込みを始めている。そんな懲りない自分に対して、村上氏はこうつぶやく。「やれやれ」。ギャフン!

取材・文/鍵和田啓介 イラスト/東海林巨樹

(初出『Tarzan』No.759・2019年2月21日発売)

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