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勝ちたい気持ちが強いばかりに、ずっと勝てずにいた。世界ユース選手権をきっかけに考え方を変えた彼女は、今年、日本で初めてとなるアジアナンバーワンに輝いた。
「この金メダルで、被害者に元気になってほしかった」
2018年8月に行われたアジア大会。ボウリングの女子マスターズ戦で、優勝を飾ったのが、石本美来だ。マスターズ戦の日本人女子金メダル奪取は、初の快挙だった。石本は笑いながら、こう語る。
「優勝したときは、まったく実感できていませんでした。でも、試合がテレビで放映されていたようで、日本に帰ってきたときに、ボウリング関係者以外の人から——たとえば友人だったりとか——おめでとうと言われたことで、初めて勝ったんだと思えました。それに、いろんな人がこの競技に興味を持ってくれたというのが、すごくうれしかったです」
ボウリングの競技には、シングルス、ダブルス、団体などの種目があり、それぞれで順位を競うのだが、これら全種目を総合して順位を決めることを、オールエベンツという。
マスターズ戦に出場するためには、このオールエベンツの上位16位に入らなくてはいけない。アジア大会での石本は12位で通過した。しかし、マスターズの初日は絶好調の7連勝で1位に。翌日もトップを守り切り、決勝への進出を決めたのだ。そして、これで銀メダル以上が確定した。
決勝が行われた日は、まず、午前中に2位と3位の選手で、決勝進出を決める試合が行われた。どちらも、韓国選手だ。
韓国は今、世界最強の名をほしいままにしていて、どちらが相手になっても、石本には脅威の存在だった。そして、決勝へ進んだのはLEE YEONJI。ここで、石本はひとつの決断を迫られる。それが、オイルパターンの選択だ。
「オイルはレーンに塗るのですが、パターンとして、ロング、ミディアム、ショートがある。それぞれ、レーンに塗る長さが違うんです。そして、ロングであれば長い距離にオイルが塗られるために、摩擦が少なくボールが滑って変化しにくい。逆にショートなら変化しやすいわけです。
アジア大会では、ロングとミディアムで競われたのですが、先に決勝進出を決めた私に選択権があった。私はどちらかというと、ミディアムのほうが得意だったのですが、午前の決勝進出の試合でも、ミディアムが使われていたんです。
勝手な想像ですが、韓国選手2人は“石本はミディアムが得意だから、決勝もそれを選ぶだろう”と予測して、そのレーンに慣れておこうとしたんでしょう。だから、決勝ではあえてロングを選んで、勝負しようと思いました」
石本の言葉でわかるように、彼女たちが行っているボウリングは、我々が楽しんでいるものとは、まったく異質なものである。現に、この競技はレジャーボウリングとスポーツボウリングに明確に区別されている。
スポーツボウリングでは、レーンのオイルはロング、ミディアムといった塗る距離の違いもあるが、さらに微妙な読みが必要になる。それが、レーンコンディションだ。投げるたびに、ボールにはオイルが付着して戻ってくる。つまり、塗られているオイルが剝がれていくのである。すると当然、ボールの軌道も変わってくる。選手はそういったことまでを考え、投げなくてはいけないのだ。
ボール自体も表面の摩擦が少なくて滑りやすいタイプや、その逆でザラザラしたものまで複数個用意しているのである。このことを理解してもらえば、スポーツボウリングの奥の深さをわかっていただけよう。
「決勝の前半までは、自分はライン(ボールの軌道)を合わせ切れていないところがありました。緊張して力んでしまい、自分のイメージしたところでボールが曲がってくれないこともあったんです。
ただ、決勝では接戦になることはわかっていたし、ここまでこられたのはラッキーなんだと、笑顔で楽しく投げることだけを考えていました。それが、たまたま勝利に繫がったのだと思います」
小学校1年生でボウリングを始めた。祖父が全国大会に出場するほどの実力で、その影響を受け、そのころの目標は「おじいちゃんに勝つ」ことだった。
とにかく面白かった。マイボールを買ってもらって、地元・広島の松島匡紗志プロに教えてもらうようになる。そして小学校4年生から、県大会にも出場し始めた。
「月に300ゲームぐらいは投げていましたね。そのボウリング場にはポイントカードがあって、貯まったらボールをもらえるとかの特典があったんです。それも楽しくて、どんどん夢中になったという感じです。小学校のときはジュニアの全国大会で優勝することもできたんですよ」
父親の助言もあり、小学校時代から、大人たちに交じって試合をしていた。やはり、力の差はいかんともしがたく、幼心に負けたくないという気持ちが強くなっていった。
しかし、この負けん気の強さが後々、石本の成長にブレーキをかけてしまう。中学校に進み、1年生のときに全日本中学ボウリング選手権に出場する。
「勝ち残ったのはいいんですが、決勝で、現プロの霜出佳奈さんと当たったんです。そのとき、100点差をつけられて負けました。
彼女は2歳上だったのですが、同じぐらいの歳の子には、それまで負けたことはなかったし、すごく驚きました。ボウリングも次元が違っていた。実力を出せなくて負けたら悔しかったのでしょうが、そんな気持ちもなくて、練習が必要だと思いましたね」
技術面でも、ひとつ問題があった。石本は右利きだが、レーンの右端から投げ、ボールに左カーブをかけてストライクを狙うことはできた。しかし、レーンの中央からボールを右側に向けて投げ、左カーブをかけてストライクを取ることはできなかった。
この投げ方は、ボールがレーンの端に出されて、そこから中央へ逆“く”の字を描く軌跡で戻ることから、“出し戻し”と呼ばれている。
「投げ方がワンパターン。ボウリングでは致命傷です。レーンコンディションによっていろんなバリエーションの投げ方ができないと、対応し切れない。だから、フォームの修正をしっかりとやることにしました」
このときの練習が、現在までの素地になった。そして、中学校2年生のときには、日本代表の選考会に挑み、最年少で選ばれたのである。
しかし、全日本中学選手権ではどうしても結果が残せない。2年のときも準優勝、3年のときは3位である。小学生以来の負けず嫌いな側面が、プレイに悪影響を与えてしまうのだ。
「このときは、日本代表だから勝って当たり前と思っていました。ボウリングでは、力が入るとダメ。それが、なかなかわからなかった。自分で全部ダメにしてしまう。辛抱できない、キレちゃってたんです。高校になっても1年のときの全国高校選手権は6位、2年では2位でしたから。
ただ、2年の全国が終わったあとに、世界ユース選手権に出場したんです。そこで、考え方がガラリと変わった。まわりは海外のすごく強い選手ばかりだし、どうしていいかもわからなかった。だから、自分のボウリングをやろう、楽しめればいいやって思ってプレイしたら、(18歳以下の)マスターズで優勝できた。それからは他の選手に勝つことを考えないようになった。
実は、まだ考えちゃうときもあるんですが(笑)。すべてをコントロールすることはなかなかできないですからね。でも、そういう気持ちでボウリングができるようになって、高校3年生で全国優勝したときには、本当にうれしかったんです」
ボウリングはメンタルに大きく左右されるスポーツであることをもはっきりと理解した石本は、現在も自分を鍛えてくれる“言葉”を探し続けている。
「インターネットとかで探して、ノートにメモしたりしているんです。たとえば“プレッシャーを感じるときこそ、意識的に笑顔を作ることで、パフォーマンスは向上する”。あぁ、これかぁなんて。
私なんかでも、対戦相手がずっとヘラヘラしていたら、なんだ余裕あるじゃんと思って焦りますし。笑えば、自分の気持ちに余裕が生まれますからね」
現在、石本は岡山商科大学のボウリング部に所属して、練習を続けている。強豪大学であり、大学選手権では昨年に続く連覇が目標である。
「部では週3回、2時間の練習です。それだけでは足りないので、終わったあとに、自分に足りない部分を個人でやっています。
とにかく反復することが重要。ボウリングのフォームは再現性が一番求められる。いかに同じ投球ができるかがポイントになります。動画を、後ろ側と横側から撮って、おかしい部分を修正していますね。細かいところがちょっと違うだけで、フォームはバラバラになってしまいますから。
あとは、ナショナルチームの課題で、週4日のウェイトトレーニングをしています。下半身と体幹が中心。それに、最近カラダの重心のかけ方を重視する4スタンス理論を取り入れています。これは自分に合ったカラダの使い方を覚えることができるんです。実践してみたら、これまでよりカラダが動かせるようになりましたね」
スポーツボウリングにはプロボウラーとアマチュアボウラーが存在する。が、他の競技のように優劣の差はまったくない。どちらに進むかは本人次第だ。プロならば個人での賞金を懸けての戦いになるが、アマは国の代表として戦うことができる。
大学4年生の石本の選択はいかに。
「アマチュアでやり残したことがあるので、それをすべてやったらプロの道も考えようかなという感じです。去年、世界選手権に出場させてもらいましたが、結果はボロボロでしたから。
やっぱり、国の代表として戦うことはうれしいですし、アマでは団体戦もあるので、これも非常に楽しいんです。今年7月に西日本豪雨がありましたよね。私の実家が広島県で被災して、避難地域になってしまったんです。大学のある岡山も大変で、暗いニュースばっかりだった。だから今回のメダルで、被災した人たちに、ちょっとでも元気を出してもらえたらと思っていました。
これは、プロになってしまったら、なかなかできないことです。だから、今はアマで頑張ろうと思っています」
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.754・2018年11月22日発売)