東京と大阪に存在する“レジェンド”たちのジムを知っているか?
フィットネスブームより遥か昔に、カラダを作りボディビルダーとして名を上げた男たち。そんなレジェンドがいるジムで、歴史の重みを感じながら鍛えてみたい。訪れたのは東京と大阪。日本を代表する2大都市で、そのジムは門戸を開いて明日のトレーニーたちを待っている。
取材・文/黒田 創 撮影/石原敦志(シルバージム)、吉村規子(キングジム)
(初出『Tarzan』No.748・2018年8月23日発売)
36年間、ここで幾人ものトレーニーが鍛錬を重ねてきた
恵比寿駅からほど近いビルにある〈シルバージム〉。今年の夏に訪れると酷暑の中、数人の会員がマシンに向かっていた。
「基本的にエアコンはつけないの。せっかく鍛えているのにカラダを冷やしちゃ意味ないでしょ?」
斉藤隆廣さんは1960年代からトレーニングを始め、66年に日本ウエイトリフティング協会主催ボディビル選手権に出場。ミスター全日本とミスター社会人の2部門を制した。
「当時は今みたいにネットがあるわけじゃない。海外のトレーニング雑誌を立ち読みして内容を頭に叩き込み、そのあたりに転がっている鉄くずを集めてバーベルやダンベルを手作りして鍛えていたんです。〝こんなやり方はどうかな?〟と思ったら自分のカラダで試してみる。そういった知識と経験の積み重ねで少しずつカラダを作ってきました」
そうしてミスター全日本に輝いた斉藤さんは、その後社会人生活を経て1982年、念願の自分のジムをオープンさせた。
「ずっと好きでやってきたトレーニングを、なるべく多くの人に伝えたい。その気持ちを36年間ずっと持ち続けてひとりでやってきました」
話を聞いているうちに汗が噴き出してくる。お世辞にも快適とは言えないこのジムだが、それでも大勢が門を叩く。それは斉藤さんがひとりですべての会員の面倒を見て、親身に相談に乗るから。決してシステマチックではない、人間同士の温かみがひしひしと感じられるのだ。
「時代が変わっても人間のカラダの作りは同じだから、あくまで愚直に鍛えるしかないの。マシンに頼らない。ひとつひとつの動きをゆっくりやる。この基本は変わりません」
〈SILVER GYM〉
大阪の下町にある、男の汗と涙が詰まった虎の穴的なジム
一方、西のレジェンドは杉田茂さん。杉田さんは1976年にボディビルの世界大会、ミスター・ユニバースに出場し、各国の怪物級のビルダーたちを抑えて階級別(ショートマンクラス)および、他階級優勝者とのオーバーオール(総合)のタイトルも獲得。日本人で唯一ボディビル世界一に輝いた「伝説中の伝説の男」。現役時代の圧倒的な肉体美の写真がそのすべてを物語っており、あのアーノルド・シュワルツェネッガーと一緒にトレーニングした経験を持つ。
「マニュアルも少ない時代に世界一になれたのは、自分の骨格を正しく理解していたことに尽きます。従来のトレーニングは欧米人の骨格がベースで、日本人の骨格には効きやすいトレーニングと効きにくいトレーニングがあることに、試行錯誤するなかで気づいていった。自分に合ったやり方を見つけてからはどんどん筋肥大していきましたね」
世界を制した翌年に自身のジムを開き、80年代には個人経営ジムとしては日本最大の大きさを誇るまでに。閉鎖後はここ〈キングジム〉の顧問を務め、ほぼ毎日顔を出して指導にあたっている。現在同ジムに並ぶ器具は、すべて40年以上前に杉田さんが手掛けたものだ。
「このダンベルも、従来のものだと強度不足だったので友人のマンホール業者に特注で作ってもらったんです。負荷を細かく変えられるようプレートのバリエーションをいくつも作ったり、グリップの太さを日本人の手に合うよう工夫したりね」
そんな杉田さんのスピリットがいまなお息づいているキングジム。関西のビルダーの聖地として、いい意味で男くささに溢れた空間だ。