脳栄養学者と料理家が考える、「脳に役立つ食事」の話。
私たちが日々繰り返す食事は、脳の働きや健康を支えるうえで大切な要素。そもそも「食べる」という行動が、脳科学ではどこまで解明されているのだろう? 日々の献立づくりに役立つヒントについて、料理家が研究者にインタビュー。
なお『Tarzan』934号では、喜田教授が「脳の活動と健やかさを保つ9つの成分」について解説。お見逃しなく!
text: Hirokuni Kanki edit: Taichi Abe photo: Kiichi Fukuda
『Tarzan』No.934 on sale September 24, 2026.

教えてくれた人
喜田聡(きだ・さとし)/東京大学大学院農学生命科学研究科教授。食の好き嫌いや食行動が経験によって変化する仕組みを、記憶や感情との関わりから研究。栄養素が脳機能に及ぼす作用や記憶の制御機構を解明し、加齢や認知症に伴う記憶機能の低下を改善する応用研究にも。
山田英季(やまだ・ひですえ)/〈and recipe〉代表。フレンチ、イタリアン、和食の料理人を経て独立。料理家・フードディレクターとして、レシピ開発やスタイリング、著述、撮影、飲食店・食イベントのプロデュースなど、幅広く活動する。
脳の働きに必要なのはエネルギーと将来の備え。

左:東京大学大学院農学生命科学研究科教授・喜田聡さん、右:料理家・山田英季さん。
山田
そもそも、先生が専門にされている「脳栄養学」とは、どんな学問なのでしょう?
喜田
脳科学と栄養学を組み合わせ、栄養素や食品成分が脳でどんな役割を果たし、どんな効果をもたらすのかを調べる領域です。主にマウスを使って「食の記憶」や好き嫌い、栄養素と記憶の関係を研究しています。人を対象にした研究は、共同研究として取り組むこともあります。ただ、食べ物は薬と違うので、必ずしも医学部と組むわけではありません。医学だけに閉じた分野ではないのです。
山田
なるほど。僕たちは「これを食べれば集中できる!」という即効性のある食べ物を知りたくなりますが、もう少し複雑なメカニズムがあるんですね。
喜田
ええ。例えば、昨日の出来事や食事の記憶を自然に残せるのは、側頭葉の内側にある「海馬」をはじめとする領域が日常的に活動するからです。そのためのエネルギーのほか、神経細胞に含まれて働かせる材料も必要になる。糖のように比較的すぐにエネルギーになるものがある一方で、脂肪酸、タンパク質、ビタミン、ミネラルのように「日々摂ることで将来の脳を支える栄養」もあります。
「美味しそう」という期待感も実は重要。
山田
好きなものを食べること自体は、脳にとっていいことなんでしょうか?
喜田
おいしいものを食べれば報酬に関わる神経系が働き、幸せな気分になりますよね。それも大切な要素です。ただ、好きなものだけで必要な栄養がそろうとは限りません。人間は先天的に甘味を好み、苦味や強い酸味を避けやすい。また、脂肪の多いものにも引かれます。本能のままに選び続ければ、栄養は偏りやすいです。
山田
そうは言っても、健康のためだけに食べたくないものを食べ続けるのもツラいな……。
喜田
その感覚は重要ですよ。食事には栄養だけでなく、「食べたい」「おいしそう」という感情が必要ですから。具体的には、好物をひとつ入れるのは賛成です。その喜びを入り口にしながら、健康にいいものにも価値を感じられるようにしていく。私の研究室では、食の好みは生まれつきだけで決まらず、経験によって変えられることに注目しています。
山田
料理の見た目や香りも、そうした経験の一部ですか?
喜田
大きな要素ですね。私たちは料理を見ると、食べる前から味を予測します。おいしそうだと思えば期待が生まれて、自然と唾液が出る。カラダも食べるための準備を始めるんです。視覚や香りなど、複数の感覚が味の感じ方を変える「クロスモーダル」という現象もあります。だから、日本料理やフランス料理の盛り付けは理にかなっていますし、苦手な食材でも、見せ方や調理法で受け止め方が変わる可能性もあるんです。
山田
お弁当の凝った彩りにも飾り以上の意味があるとわかって、うれしいです!(笑)
複雑な食体験が、脳の回路とリンクする?
山田
ちなみに「誰と食事をするのか」も脳に影響しますか?
喜田
大変いい質問ですね。周りの人がおいしそうに食べていると、自分も食べたくなることがあるでしょう。これは「観察学習」の一種です。マウスの実験で、別の個体が餌を食べる様子を見た直後に摂食量が増えるといった行動が見られます。
山田
そんなことまでわかっているんですね。
喜田
さらに詳細な実験では、ひとつのアミノ酸を投与して記憶や行動の変化を見ます。食べ物を選ぶときに脳のどこが活動したか、神経活動に伴って現れるタンパク質を指標にしたり、顕微鏡で確かめたりするんです。複雑な食体験をひとつずつの要素に分け、脳の回路と結びつけていくわけですね。
山田
こうした研究は、将来どんなことに役立つのでしょう。
喜田
健康にいいとわかっていても、我慢ばかりでは長続きしません。この報酬の仕組みを解明できれば、つらさを減らしながら食習慣を変える方法につながります。例えば未来の社会で、人類にとって「動物性食品に代わる新しいタンパク源」が必要になったときに、未知の食べ物を自然に受け入れる助けにもなるでしょう。また、記憶を支える栄養素の作用を解明し、それを人でも確かめられれば、加齢や認知症に伴う記憶機能の低下を改善する研究にも展開できます。
「脳にいい食事」は一食にしてならず!
山田
脳にいい食事とは、「いま働く脳」と「将来の脳」の両方を支えるもの、という考え方ですね。
喜田
その考え方でいいと思います。何をどれだけ摂れているかを毎食、正確に計算するのは難しい。だから多品目を食べることは、理にかなったリスク分散です。脳がいま働くために糖で当面のエネルギーを補う。魚や肉、大豆、野菜、ナッツなどを組み合わせ、長い目で脳を支える栄養素を摂る。見た瞬間に食べたくなる彩りと、好物の楽しさも忘れない。脳を急に変えようとするのではなく、「食べるよろこび」が続くかたちにする。それが、現実的な「脳にとっていい食事」だと思います。
「マズローの欲求階層説」に基づいた食行動の欲求階層。

生理学的視点を加えた食行動の欲求階層。それぞれの階層で満足感(幸福感)が得られる。人の成長につれて上位の階層の食行動の欲求が生まれてくるが、下位の階層も影響を与え続ける。
(岩波書店『科学』2025年4月号、喜田聡「食嗜好性と食行動の心理メカニズム—次の一皿はどう決まるか?」から引用)

