映画『急に具合が悪くなる』から読み解く、自律神経を整えるヒント。
バーンアウト寸前の介護施設長マリー=ルーと、余命半年を宣告された真理。映画『急に具合が悪くなる』では、緊張に支配された二人が出会い、少しずつ心をほどいていく。そんな作品に描かれた"癒やし"のメカニズムを、精神科医・樺沢紫苑さんが解説。
なお『Tarzan』931号では本作のほか、『PERFECT DAYS』『プロジェクト・ヘイル・メアリー』における“心身をととのえるヒント”も掲載。ぜひチェックを。
text: Kouhei Hara
『Tarzan』No.931 on sale August 6, 2026.

教えてくれた人
樺沢紫苑(かばさわ・しおん)/精神科医として活躍する傍ら、映画雑誌『FLIX』に連載を持つ映画評論家の顔も。代表作『アウトプット大全』のほか、『父滅の刃 消えた父親はどこへ アニメ・映画の心理分析』など著書多数。
『急に具合が悪くなる』
パリ郊外の介護施設で施設長を務めるマリー=ルーは悩みを抱えバーンアウト寸前。そんななか、森崎真理という日本人の演出家に出会う。同じ名前の響きを持つ偶然に導かれ、二人の交流が始まり……。WEBサイト
自律神経の乱れた主人公が癒やしを得る、“ととのい映画”。
※一部結末に触れている文章があります。鑑賞前の方はご注意ください。
『寝ても覚めても』や『ドライブ・マイ・カー』などで知られる濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』は、3時間16分という上映時間の中で二人の女性の連帯をつぶさに描き出す珠玉の人間ドラマだ。
舞台はフランス・パリ。郊外の介護施設〈自由の庭〉で施設長を務めるマリー=ルーは、入居者を人間らしくケアすることを理想としつつ、人手不足やスタッフとの人間関係に悩まされている。
仕事にはやりがいを感じるが、社会構造や他者などどうにもコントロールできない状況が彼女を苦しめ、もはや爆発寸前。そんななか、息抜きで観た演劇で、森崎真理という日本人の演出家に出会う。
「この映画は“癒やし”が重大なテーマですよね。人はどのようにして癒やされるのか。あるいは、副交感神経の働きを活性化させ、自律神経を整えるにはどう生きればいいか。そう言い換えることもできます。冒頭の約30分では、マリー=ルーが働き詰めによって“バーンアウト”寸前であることが描かれます。欧米でよく使われる言葉ですが、仕事に根を詰めすぎて燃え尽きてしまうことを意味するんです。職場では人間関係のストレスを抱え、施設の課題は山積みで、夜は睡眠薬を飲んで数時間の休息をとるだけ。交感神経優位な生活ですよね。よく、“仕事が好きだから睡眠や休みを削ってでも働きたいんです”と言う人がいますが、絶対にいずれ病気になってしまうからやめてほしいんですよ。何度も言うように興奮とリラックスはバランスが大事なので、どれだけ仕事にやりがいを感じていても適度に力を抜く時間が必要。マリー=ルーの場合は、真理と出会うことで徐々にリラックスの時間を増やしていくことになります」
片やバーンアウト寸前、片や余命半年の主人公。

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Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
マリー=ルーは仕事でストレスを抱え、真理は進行がんによっていつ「急に具合が悪くなる」かわからない。「どちらの状態も、常に緊張に晒されて交感神経が優位。そんな二人が出会い、癒やしを得ていきます」
自己開示と自律神経の意外な関係性。
真理はマリー=ルーにどこか親近感を覚えたのか、「進行がんで余命が半年だと言われているんです」と自己の内情をほぼ初対面で打ち明ける。真理が信頼のうえで自己開示したことにより、マリー=ルーの緊張も解け、互いに自分が置かれた状況を吐露していく。
病気を受容するのか、否認するのか。

死が目の前に迫るというのは、心理的に絶大なストレス。「本作はいかに病気を受容するかが描かれています。抗うことで新たな緊張や不安が生まれる。真理はがんを受け入れ、穏やかに落ち着いていくんです」
「心理学的には自己開示をすることで互いの関係性が深まるといわれますが、自律神経にとってもいいことです。つながりや癒やしを得て、副交感神経がうまく働いてくれる。河川敷を歩きながら会話するシーンは、相手が横にいるだけで安心感を覚えられるような親密さが捉えられています」
川沿いを歩くシーンが自己開示の重要性を説く。

マリー=ルーと真理の心が近づく、川沿いの場面では、お互いに「あなたは誰?」と聞き合う。「多くの人は辛いことがあっても人には話せない。しかしそれが可能になったのは、互いに自己開示していたからです」
不健康な行いが、自律神経のバランスを取ることも?
人間らしいケアの方法としてマリー=ルーが施設に取り入れる「ユマニチュード」という技法では「目を見る」ことが重要視されている。
アイコンタクトから幸せホルモンが生まれます。

スタッフに、入居者との関わり方をレクチャーするマリー=ルー。樺沢さん曰く「目を見ることによってオキシトシンが分泌され、安心感を与えることができます」
「足をマッサージする行為も本作ではキーになりますが、こうしたスキンシップも幸せホルモンのオキシトシンが分泌されて自律神経を安定させる。河川敷のシーンにも、同じような精神的なつながりがあると思います。観ていて面白いのは、彼女たちが徹夜して話し合ったり、早朝にカップラーメンを食べたり、一般的には健康によくないとされる行動もとること。興奮とリラックス、交感神経と副交感神経のせめぎ合いですよね。真面目に健康なことばかりしていても疲れますから、これらの行動も、自律神経のバランスを取っていると捉えて問題ないと思いますよ」
タバコ、徹夜…、不健康も時に許される?

マリー=ルーはヘビースモーカーで、真理とは夜通し会話をするなど一般的には不健康な場面も。「ストレスを抜く行為になっていればいいですよね。清濁併せ呑むとも言いますが、それが生きるということでしょう」
“癒やし”を得たことで、仕事の向き合い方にも変化が。
リラックスできる時間を取り戻したマリー=ルーには、さまざまな変化が訪れ始める。
「上司が頑なに意見を変えなかったり、仕事の責任を押し付けられたり、人はコントロール不能な立場に置かれるとストレスを覚えるもの。マリー=ルーもそうした状態でしたが、人とのつながりや行動によってコントロール可能なものに変えていくのが本作の醍醐味。交感神経と副交感神経のバランスが取れてうまく仕事にも向き合えるようになるマリー=ルーの癒やしの経路が、最後のシーンまで一貫して描かれているのです。自律神経的に観ても傑作ですよ」
都会と自然、交感神経と副交感神経。

中盤で登場する「自然は都会に奉仕させられている」という話題にも注目。「自然をリラックス、都会を興奮と捉えると、自律神経の話にも捉えられる。どちらか一方が優位になるのでない、均衡を維持しましょう」
ところで、映画鑑賞で自律神経はどう働くんですか?
「特に映画館で観る映画はただ観るだけでなく聴覚や振動による触覚といった五感を刺激する体験ですから、心理的な影響は大きいです。ホラーやアクションを観るとアドレナリンが出ますが、これは交感神経と関連しています。だから、夜遅くに観ると興奮して寝られないことがあるんです。一方で感動したり癒やしを得たりできる映画ならば、リラックスして副交感神経が働く。自律神経のバランスを意識して映画を選ぶのもいいかもしれません」


