「想像が生み出す老いのディティール」カレー沢薫(漫画家・エッセイスト)前編|老いと表現

「最近、固有名詞がパッと出てこない。集中力も続かないし、夜遊びはちょっとしんどい」そんな変化に気づいたとき、ふと"老い"という言葉がよぎる。この連載では、編集者・伊藤ガビンが表現者たちに、自らの「老い」をどう捉え、どのように生きていこうとしているかを尋ねていきます。第3回目のゲストは、カレー沢薫さんです。

取材・文/伊藤ガビン 編集/平井莉生

老いを多角的に考える。

こんにちは、伊藤ガビンです。急に人生100年時代とか言われて戸惑いませんか。 50代、いや、40代に突入するあたりから老いを感じ始める方もたくさんいると聞きます。となると人生半分以上が老い!? この連載は、さまざまな世界の表現者たちに、執拗に老いについて尋ねるものです。聞けば聞くほど「老いの捉え方」が多様でウハウハします。さて今回のお相手は、マンガ家で文筆家でもあるカレー沢薫さん。

カレー沢さんのマンガはですね、ご存知の通りドヒャハハと笑えるエンタメでありながら、度々「ウッ!」と体を仰け反らせるような、生きることの本質をえぐる剛速球が胸元ギリギリに飛んでくるので油断がなりません。特に、近年の作品に登場する老人たちの姿や、死の有り様の描写に、しびれております。なぜこのようなものが描けるのか? じっくり語っていただきました。

ガビン
私と比べるとまだまだ若すぎるカレー沢さんを「老い」なんていうテーマでお呼び立てしてしまって申し訳ないのですが、このテーマでカレー沢さんにどうしても伺いたいことがあるのです。ドラマ化もされた『ひとりでしにたい』はもちろんのこと、他の作品でも度々老人が登場しますよね。それがまた一癖二癖ある方々で、それでいてリアリティがあります。私が仕事で出会った高齢者が話してくれた内容と瓜二つのものが描かれていてびっくりしました。でもカレー沢さんの創作のスタイルは、どちらかと言えば自分の身の回りに起こったことから構築するスタイルだと思うんですね。あのてんこ盛りのエピソードたちはどのように採取されているんでしょうか?
カレー沢
自分や家族の親を見ていて、その周りで普通に起こることを元にはしていますけど、そのまんまではないです。あとは想像して。
ガビン
取材をしているわけではないってことですか?
カレー沢
結構想像で描いていることも多いですね。 あとはインターネット……SNS をやってるといろんな愚痴とかが流れてくるんで、ああ、こういうことが起こってるんだな、と。
ガビン
えええ、それはすごい。あのリアリティはかなり実体験というか、あそこに登場するような高齢者たちを観察する機会があるのかと思っていました。
カレー沢
実情を知らずに描いてしまっているんですけど。
ガビン
マジですか……私が特に気になるのが、ひとつのストーリーの中でのモノの見方が、別の人の登場によって反転したりするじゃないですか? ああいうのはなかなか想像で書けるものじゃないと思うのですが、ああいうのも想像なんですか?
カレー沢
そうですね。色々な立場から考えてみるんです。そこにいる人たちが何を考えているのか、一方からはこう見えるけれど、向こうだって何も考えてないわけじゃないよねと。例えば親子の話だと、子供から見たら、なんで親はこういうことするんだろう?って疑問に思うけど、親は親で多分何か別のことを考えているだろうな、っていう。

※1 『ひとりでしにたい(1)』 ©カレー沢薫/講談社 (モーニングコミックス)
笑って読める終活ギャグマンガ。綾瀬はるかを主演に迎えてテレビドラマ化され、NHK総合で放送。叔母の孤独死をきっかけに、死、人生について主人公・山口鳴海が見つめ直す物語。

生きるのは、自分のため?誰かのため?

ガビン
『わたしの証拠』を読むと、老いたキャラクターがすごくたくさん出てきます。あれも特定のモデルがいるというわけでなく? 毎回設定されているんですか? 身内の話とかではなく?
カレー沢
そうですね、設定してます。 親の話で言うと、父親が1回倒れてしまって車椅子で要介護の状態なんですけど、それを直接ネタにすることはしていないです。ちょっと不自由になった親、とか、その面倒を見る母親の存在をリアルな例として見ているところはあります。
ガビン
ああ「関係の変化」みたいなところに視線がいくわけですね。
カレー沢
はい、そうなると自分が「結局あんまり何もできない」ということがわかったりするんです。本当の親とわたしとの関係は 『ひとりでしにたい』ってマンガで描いたような父と娘の形ではないんですよね。マンガの中ほど、父と交流していない。父のことをわかっていない。そうなると急に「介護」となっても、何もできないんですよね。母は父が何をして欲しいのかわかるみたいなんですが、わたしはわからないし、父もわたしに要望を言ったりしないので。
ガビン
観察者の視点なんでしょうか。それを咀嚼して物語にしていると。いまそこで起きていることを、ポジティブでもネガティブでもなく淡々と描写されていることに、非常に共感を覚えます。いま私の父は施設に入っているのですが、会いにいっても自分が何していいかわからないんですよね。その施設に行くのに、私の住んでいるところから往復10時間かかるのですが、会っている時間はせいぜい1時間足らずで。この「丸一日」が無意味かというと、そんなことはない。「この時間」は自分のための時間になっているとは思うんです。
カレー沢
そうですね。何か意義があるんだろうな、と思っているというか、こっち的には意義があることは確実。でも向こうは分からないですけどね。
ガビン
私は『わたしの証拠』の中で、犬を次々と看取っている「犬ババア」のエピソードがかなり好きなんですね。女性が犬を飼い始めたきっかけは、失恋の痛みから逃れるためにという「自分の寂しさ」だったんだけど、それが「この子たちが寂しくならないように」と考えるようになっていったという話。アレを読んだ時に、「誰のため」みたいなことからも自由になる感じがありました。相手のことは結局わからないんだけど。

※2 『わたしの証拠 (1) 』 54P ©カレー沢薫/小学館(ビッグコミックス)
上手に生きられない悩める人に寄り添い「自分では手の届かない」部分をじんわりほぐすオムニバスショート。自称「犬ババア」である響子さんは「その6 資格」に出てくる犬好きのおばさん。自分の心を癒すために飼い始めたはずが、いつしか愛犬たちのために生きるようになっていた。

悩んでも仕方ないことは悩まない。

ガビン
カレー沢さんご自身の老後や死に方についてどのようにお考えなのか気になります。
カレー沢
マンガでは描いているけれど、自分自身はそんなに考えてるわけではないですね。先に考えておいた方がいいことは多いと思うんですけど、考えすぎちゃダメなこともあるかなと思っています。何十年かすると、社会がすっかり変わってしまっていると思うんですよ。先がわからない状態で、今計画を立ててもしょうがないし、不安になるのも無駄かなって思います。
ガビン
悩んでも仕方ないことは、悩まないと。逆に、先に考えておいたほうがよいことってどのあたりでしょう?
カレー沢
これ言うとどうなんだろうと思うんですけど、やっぱりお金がいるってことは、この先も変わらないと思うんですよ。だから資産形成っていうのはもう20代30代あたりから、早くから考えておいた方が絶対いいことだなって思っていて、それはやってます。この先を考えてやっていることってそのくらいですね。
ガビン
そういえばお金に関するマンガも描いてますね。
カレー沢
お金があれば、社会が変わっても生活の選択肢は増えるかなっていうのがあるんです。それ以外は、あんまり先のことまで考えすぎない方がいいのかなって思っています。
ガビン
いわゆる「老害」の話題になると、年取ったら潔く若者に道をゆずれよって話をよく聞くんですけど、生活のために仕事にしがみつきたい人も多いと思うんですよね。そういう人を「若い時に資産作っておけや」と言っても、解決しないんですよね。
カレー沢
ああ〜、そうですね。老人に冷たくしてもしょうがないんですよね。 みんな老人になるし。でも個人がお金貯めてなかったのが悪いみたいなのもおかしいなとは思うんです。 そういうことって、やっぱり社会で解決することだと思うんですね。年とっても不自由なく暮らせるようになっていくべきなんじゃないかなと。

※3『レベル1から考えるお金の話』 ©カレー沢薫/シュークリーム
どんな生き方をしても、避けて通れぬ「お金」の話。ならば真正面から向き合い、「お金」と仲良くしていくための教科書のような一冊。以下のURLから読むことが出来ます。
https://ourfeel.jp/episode/2550689798581263226

死に至る過程はきっと楽しい。

ガビン
老いの話をするとどうしても「死」の話にもなるんですけど、カレー沢さんは「死」について考えることはありますか?
カレー沢
ま、「死」そのものは、もう「死」でしかないので考えないんですけど、死に至る過程についてはすごく考えます。寝たきりで何十年も生きたくないな、とか。ただこれは今の立場だから、思うことなのかな。実際に、自分が寝たきりになった時のことは、まだうまく想像ができないんですけど、もしかしたらその状態でも何か楽しいことは見つけられるんじゃないかなってことは考えたりします。そうなってみたら、その状態で何ができるかを考えてみたいっていうのはありますね。
ガビン
私が最近思うのは、体の自由がきかなくなって来たときに、あたまだけクリアだったらそれはそれで辛いのかもしれないな、と。老人になってまわりのことがよくわからなくなっていくことも、良きものとして設計されているのではないかという気もします。
カレー沢
ああ、そうですね。逆にそういうことかもしれない。今より、いいことももしかしたらあるかもしれないですね。認知症も、死の恐怖から逃れられるから逆にいいみたいなこともたまに聞きますね。
ガビン
尊厳死についてはどう思われますか? 医療が発達していくと、死ぬタイミングを自分で選択するような世界もリアリティ増してきたなと思うのですが。
カレー沢
難しいですね。死が選択できるようになっちゃうと、周りの圧力に負けて選んじゃう人とかが出ちゃいそうで怖いな。自分の意思ではなく、迷惑がかかるからっていう理由で死を選ぶ人、多分いっぱいいると思うんですよね。
ガビン
迷惑をかけるくらいなら死にたい、みたいなことはよく聞きますよね。わたしは、今のところはなんか生に執着していこうかなと思ってます。
カレー沢
すごくいいと思います。みんななんかちょっと迷惑をかけちゃいけないっていう気持ちがちょっと強すぎるなって思います。迷惑かけられる側になったら、そうは言ってられないと思うんですけど。

※4『ひとりでしにたい(1)』28P ©カレー沢薫/講談社 (モーニングコミックス)
『ひとりでしにたい』より、主人公・山口鳴海に心を寄せる同僚・那須田優弥が、介護の現実を突き詰めてしまう一コマ。

ガビン
カレー沢さんは、親御さんとの関係などで、つらかったこととかないんですか?
カレー沢
ないんです。今こういう発言ができてるのは、わたしがあまりそのそういう面倒なことに関わらずに来てるせいだとは思います。だからこそ、介護とかの問題がいっきに自分に降り掛かってきた時には、いきなり「耐えられない」みたいなことを言い出すんじゃないか心配。面倒ごとから逃げる気がします。
ガビン
例えばの話ですけれど、親御さんの介護がしんどくなった時に、施設に入ってもらうことに対して、心理的な葛藤はありそうですか?
カレー沢
あまりないんですが、それを親が「嫌だ」って言った場合どうしようっていうのはありますね。 こっちの都合で入ってほしいと思っても親が嫌だと言ってるのを無視していいものか? 多分それって事件が起こるやつだなっていう。
ガビン
事件!?
カレー沢
あの〜、殺人事件とか。
ガビン
そこまで!
カレー沢
それは幸せになりませんよね。親が施設に入りたくない家に居たいと言ったことで、子供に殺される可能性が….。
ガビン
カレー沢さんが捕まっちゃいますね。
カレー沢
でも自分の親世代は、家で子供に最後まで面倒見てもらおうっていう考えの人がちょっと減ってきてるかなって感じます。うちの親の場合も、この子には介護とかムリだろうと、最初から期待をしていない感じがします。だから、人に迷惑かけたくないっていうわけじゃなく、「自分のために」施設の方がいいっていう判断になる親は結構いるような気がします。

前編はここまで!

「みんななんかちょっと迷惑をかけちゃいけないっていう気持ちがちょっと強すぎるなって思います」という発言が刺さりました。しかし一方で、こうしたことって自分が迷惑かける側として確定してしまうと実に言いにくいことでもあります。迷惑が少ないうちに言えるだけ言っておきたいと思いました。

「体力の衰え」などの話題の後編に続きます。

Profile

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)/1982年、山口県生まれ。漫画家、エッセイスト。漫画『クレムリン』でデビュー。2021年『ひとりでしにたい』で第24回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門優秀賞を受賞した。エッセイ作品に『負ける技術』『ブスの本懐』など多数。