「老いてなお“花”があるか、“花”を求めるか」いとうせいこう(作家・クリエイター)後編|老いと表現

「最近、固有名詞がパッと出てこない。集中力も続かないし、夜遊びはちょっとしんどい。そんな変化に気づいたとき、ふと"老い"という言葉がよぎる。この連載では、編集者・伊藤ガビンが表現者たちに、自らの「老い」をどう捉え、どのように生きていこうとしているかを尋ねていきます。初回のゲストは、いとうせいこうさん。後編は、“書くこと”について。

そして幽玄の世界へ

編集者の伊藤ガビンです。表現者、とくにユースカルチャーを担ってきた方々の老いが気になって仕方がない62歳です。ゲストにいとうせいこうさんを迎えた後編になります。

肩書多すぎなせいこうさんに、前編のラッパーとして老いから、今回は小説家として老いていく歳のアティチュードについて語っていだいております。

ガビン
ここまでラッパーとしての「老い」について聞いてきたんですけど、困っているというより「老いのビッグウェーブ」に積極的に乗って行ってる感じですね。でも、「老い」ってそれだけじゃないですよね。せいこうさんが切実に感じている「老い」の困りごとってあるんですか?
せいこう
僕はほら昔からほらあの、記憶力がひどかったじゃん?
ガビン
「じゃん?」って言われるほどは知らないですよ。
せいこう
いや、ひどいの。それについての本出してるくらいなんだよ。えっとなんだっけ。自分の本の名前も忘れてるんだからね。ああ〜〜ッと、えーと『ど忘れ書道』※1!

※1 『ど忘れ書道』(2020年7月17日発刊・ミシマ社)は、いとうせいこうが9年間にわたって記録した「ど忘れ」の記録集。ど忘れした言葉をスケッチブックに筆ペンで書き、その時の状況を説明した実用性皆無のエッセイ。

ガビン
そのタイトルを「ど忘れ」するのはやばい。
せいこう
忘れた言葉を毎月真剣に書道にして、なんでその単語を忘れちゃったのかっていうことについて書くっていうものだったのよ。そんな連載するくらい物忘れがひどかったんだけど、それがますます半端ないものになってきててさ。もう昨日あったこと… ていうか下手したら1時間前にあったことが、本当にあったことなのか、昔にあったことなのか夢で見たことなのかの区別が一切つかないんだよね。もう夢心地の中で生きてんのだ。だから僕が「能」に惹かれていったのも必然かなみたいな。
ガビン
正直ちょっと心配なレベルかなと思いますが、それが能の世界の夢が現かわからない世界のようだと?
せいこう
そう。「幽玄」の世界に入ってきてる。能だと現実の中にいたはずのお坊さんが 300年前に死んだ人の霊と普通に喋ってるわけだから。そんなことあるわけないでしょ。でも、もう俺もそこに入ってってるんですよ幽玄の世界に。
ガビン
ド忘れで困っている風ですけど、困ってないですねそれは。新しい扉開いちゃってるじゃないですか。世阿弥が「まことの花」なんて言うじゃないですか。老いてはじめて手に入れる芸の姿のようなものを。ああいうことにつながってきている感覚があるんですか?
せいこう
ああ。青年から中年になる頃、頭もよく回ってね、レベルの高いものが書ける気がしてたとするじゃない? 今はそんなものが書けるかどうかは全く予想がつかない。でも、ひょっとしたらとんでもない計算外のことが書けてしまう可能性もあるわけ。全然ダメなものしか書けないかもしれないけど。
ガビン
「老い」を利用してる…。
せいこう
特に僕は色々と計算してものを作るように「思われてきた」んだけど、少なくともいまの状態はもっと自由なんですよね。
ガビン
困ってないですよね。
せいこう
ただ記憶は不自由だから、困ることはあるよ。エピソードトークみたいなことはできませんからね。話すのに固有名詞がいくつもいるでしょ? こないだ誰々にあって、誰々っていう人の話をしたんだけど、っていう誰々の両方がもう出ないからさ。
ガビン
僕はAIに頼るようになってきちゃいました。
せいこう
そうなっていくよね。いや、でもAI によって、より一層思い出すことをしなくなったら、どこまで自分でどこまでが人の記憶なのかもわからないよね。 だからもう幽玄の世界にみんな入っていくんだよね。
ガビン
「AIで幽玄の世界に入る」、これはいいパンチラインいただきました。
せいこう
それを「いいこと」とするか「悪いこと」とするかに価値判断の話が出てくる。自己を守り切ることがいいのか、それとも自分か他者かわからないけれど、ひとつの新鮮な結論が出ることを喜ぶかっていったら、当然後者になるわけですよ。
ガビン
作家としてはそうなっちゃいますか〜。そうですよね、選べと言われたら。

一人で書いてるように思えない

ガビン
小説家は、おじいさんロールモデル豊富じゃないですか。せいこうさんが憧れる人はいるのでしょうか。
せいこう
それはもちろん、僕に才能があったら谷崎潤一郎に決まってる。おじいさんになればなるほど過激なことを書いていくっていうさ。ただ、自分がそうじゃないかもと思った時に、深沢七郎※2っていう存在が浮かび上がってくるんですよ。何年か前に柄谷行人さんと歩いていたら急にね「わかった! 君は深沢七郎なんだ!」って言うだけ言って去っていったことがあって(笑)。

※2 深沢七郎/1914年、山形県生まれ。1987年没。小説家・ギタリスト。1956年『楢山節考』で第1回中央公論新人賞を受賞し文壇デビュー。1960年『風流夢譚』が右翼テロ事件を誘発し放浪生活へ。埼玉県でラブミー農場を営み、今川焼き店も経営。1979年『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞受賞。

ガビン
去るのかー。
せいこう
その時、そうか、谷崎じゃなくてそっちの道もあったんだと気がついたわけ。面白い随筆みたいなのも書く一方で「楢山節考」も書く。それに音楽やるんだよねあの人。
ガビン
ギタリストですね。それに晩年はラブミー農場っていう非常に奇妙な場所で農作物を育てていたり、ベランダー※3であるせいこうさんにも通じる。生前葬をやりまくったり、かなりおかしなことをたくさんされた人ですよね。

※3 「ベランダー」は、いとうせいこうのエッセイ『ボタニカル・ライフ―植物生活』(新潮文庫)に登場する、「ベランダで植物を育てる人」の造語。NHKドラマ『植物男子ベランダー』(2014年〜)も放送され、都市生活における自然との共生を象徴する言葉として定着した。

せいこう
俺がむかし住んでたあたりで今川焼屋をやってたりね。不思議な因縁があるんだよね。やっぱり谷崎より深沢なんですかね、僕の場合は。
ガビン
そうなると、世阿弥の方向とはまたちょっと違う感じですか?
せいこう
でも世阿弥もさ、若い頃は将軍の前で演らなければならないとか半端ないプレッシャーがあって。でもその後流刑になるでしょう。それが逆によかったのかもしれないよね。そこではじめて自由になってさ。
ガビン
いろいろと解放されて、さらに芸が際立ってくる。
せいこう
そうだね。老いてなお「花」があるか、「花」を求めるかは非常に重要な問題だと思うね。
ガビン
そこもうちょい詳しくお願いします。
せいこう
これは日本の伝統的な美学の問題に入ってくるんだけど、老いに花があるというのは、やはり人を惹きつける何かがあるってことなんじゃないですか。花が勝手に咲いているってことはないと思うんだよね。ここに花があるな、と思われることが重要なんだろうね。そういうのって全部自分が決めることじゃないと思うんだよね。つまり他人が決めるってことでしょ。自分の判断を捨ててこそ、老いの花が香ってくるっていうのは当然だよね。
ガビン
老境に差し掛かってなお「俺が俺が」だと、到底そこには行き着けませんね。芸についての話だけでなく、老害になるひとつのパターンでもありますね。
せいこう
それについては、みうらじゅんさんがいいこと言ってるの。老いるということは「介護を受ける」ということを前提として考えなければいけない、と。介護される時に、可愛い老人じゃなかったら大事にされないぞ。だからそれを目指しているんだ自分は、と。だから権威を振りかざす老人なんて絶対になってはいけないし、女の人をバカにするような人になってもいけないと。そこがあの人のゴールなの。
ガビン
そこをゴールと考えると、自然と謙虚になりそうですね。花を求めつつ、欲を捨てるというのは、バランスが難しいと思うけれど、それをコントロールしようとするのも、またちがう、と。
せいこう
これは記憶がなくなってくるとこととも大いに関係があることだと思う。
ガビン
夢と現があいまいになって来てるというお話がありましたが、そこの線引はもうしないでOKって感じなんですか?
せいこう
まず、確かめようと追いかけてもね、確かめられないんだよね。誰が言ってたことなのかとかは確かめられない。でもそれを聞いたのは俺の経験だから。経験としては確か。でも誰々が言った、とは書けないわけだよね嘘になっちゃうから。「ちょっと先輩の人が言ってたと思うが」みたいな文章になってくる。やたらと幽玄がついてくるのよ。
ガビン
幽玄て。
せいこう
霧みたいなものが文章のあっちこっちに出てくるのよ。30代くらいまではさ、いままで自分がどんな文章を書いてきたかは全部あたまに入ってたの。どういう比喩を使ったとか。書いてる時にね、ああ、これは前に書いたやつだ、とかわかってたんだよね。だけどある瞬間からわからなくなったんだよね。
ガビン
書いてる時に、これすでに書いたものかどうかわからなくなってくるってことですか?
せいこう
そうだね。でもそれを過去書いたものを調べる気はないなっていう。それが40代でもう来ちゃったから、それからはもうちょっと雰囲気変えて書くしかないよね。「これは前も書いたかもしれないが」ってよく書いてるんだよね。
ガビン
その感じ、めちゃくちゃ分かります。
せいこう
それさえ書いとけばいいし、読んだ人が教えてくれたりする。「あれってモッコウバラについてのあの文章ですか?」とか。だからこれはね、一人で書いてるんじゃないんだよね。そういう意識じゃないの。誰かと一緒に書いているくらいの意識で書いている。それがまたいいんだよね。
ガビン
「自分が書いている」という輪郭があいまいになってきてる感じですかね。
せいこう
自分がなくなってきてるのかもしれない。
ガビン
自分の父親と話してると、記憶が薄れているだけじゃなくて、最近はねつ造がはいってきてるんですよね。ありもしない先祖の話とか。小田原城主に仕えていたとか。いやいやいや、そんなわけはないんだけど。そのときに、そのありもしない話から父親の心が少し覗けるような気もするんですよね。「自分の記憶」というタガがはずれていった時に。
せいこう
でもそれも最近たまたまみたニュースでやってた内容かもしれないよね。
ガビン
その可能性も大いにある。
せいこう
それもいいよね、欲じゃないもんね。何かがスパークしたんだろうね。そういうことが起こるなら、これからの自分の数十年も楽しみになってくるね。

なんとなく壁を押していく

ガビン
最近思うのが、気力がなくなって仕事の速度が落ちる部分もあるんですけど、いろいろとどうでもよくなってくるから、逆に速度があがる部分もあるのかなって。
せいこう
今回の『はじめての老い』だって、久しぶりの伊藤ガビン節が出ているからね。これこれ、と思ってさ。猛烈なスピードで書いているんだろうなと思ったよ。やっぱりこういうのが面白いわけですよ。
ガビン
猛烈ってこたないですけどね。
せいこう
スピード持ってやると自分を超える時があるでしょ。ドストエフスキーの『罪と罰』※4だって、あれめちゃくちゃ短い期間に書いてんのよ。みんな推敲してると思ってるけど、あの人博打打ちだからさ、金ないからすごい勢いで小説を書いてそれを売って生活してるから、だからアドリブが多いんだよ。そういうことがね、前からすごく大事なことだと思ってる。

※4 ドストエフスキーの代表作『罪と罰』(新潮文庫)は、貧困学生ラスコーリニコフが老婆を殺害後、良心の呵責に苦しむ心理小説。わずか1年余りで執筆された傑作。

ガビン
僕の本でいうと、大学にいることもあって関連ジャンルだとしっかり調べないと怖いのでスピードでなくなってたんですよね。老いってテーマはそもそも個人的な体験のみしか書けないので、楽っていうのはありました。調べなくてもあんまり嘘にならないという。
せいこう
僕で言えばラップって音楽とやれないわって思ったことと近いよね。1回行き詰まって、というか壁がでてきて、それをなんとな〜く押してたら壁が倒れたみたいな。
ガビン
全力で押すんでなくてね。なんとな〜く押していると、あれ? っていう。
せいこう
その時にはじめて出てくる景色があるよね。
ガビン
せいこうさんって、世間的には若い頃からいろんなことを順調にやってきたと思われているフシがありますけど、むちゃくちゃ壁をぶち当たってきてますよね。
せいこう
そうだよ。そして今だってまた小説が書けなくなってるから。それで古典の訳とか頼まれもせずにやってるんだけど、ごまかしかもね。
ガビン
おお。いまもまた壁が。ごまかしですか?
せいこう
なんというかデュシャン的なさ、自分のオリジナルに興味が持てないというか。
ガビン
それはごまかしではないやつです。
せいこう
自分のオリジナルではないんだけど、自分じゃないと訳せないものをやっているっていうのは気が楽なんだよね。
ガビン
でも、(マルセル・)デュシャン※5のことを考えたら、オリジナルは書けないというより書く必要がないのかもしれないじゃないですか。せいこうさんは、チェスやったりデュシャンの影響大きいでしょう。

※5 マルセル・デュシャン 1887年生まれ、1968年没。はフランス生まれの美術家。既製品を作品とする「レディメイド」で美術概念を革新。代表作「泉」で従来の芸術観を破壊。1923年以降は制作を放棄しチェスに没頭したとされたが、実は20年間秘密裏に「遺作」を制作していた反芸術の巨匠。

せいこう
そりゃあもう大学の時からもう大影響受けてるからさ。デュシャンがいなければ自分はないよ。それを考えるとさ、デュシャンはもうものを作らないと言って、なにもしていないふりをして、長い時間をかけて『遺作』と言われるものを作っていたわけじゃない。あのふざけた態度は、晩年に向かってだんだん偉くなっていくっていうモデルとまったく別じゃない? やっぱりああいう先生がいてくれると、うーん、頑張れなくなっちゃうよね。
ガビン
え?? え??
せいこう
いや、がんばるとデュシャン先生に怒られちゃうもん。郡司先生にもさ。いとうくんなに真面目にやってるんですか、ちゃんといい加減にやってくださいって怒られちゃうよね。
ガビン
あー、そういうことか。でもせいこうさんは、どちらかと言えば本来生真面目なタイプですよね。
せいこう
そうなの。生真面目すぎてね。
ガビン
ナチュラルにしてると生真面目になるわけですよね。「いい加減」をやろうとすると、むしろ頑張らないと…しかし頑張るとそれはまた違って…とぐるぐる回ってしまうのでややこしい。
せいこう
いやだからそれが崩れてきてるんだよ「老い」によって。生真面目すぎるとかは自分のコンプレックスだったのに、結局はちゃんとしちゃうみたいなね? それが崩れてきてるんだよ、ゲラもパーッとしか見なくなってきてるからね。自分がなにを書いたか確かめもしなくなってるから。
ガビン
すごい「老い」の使い方だ。
せいこう
だから今はね、幸せです。

前編では第一世代ラッパーとして、後編では小説家としてのせいこうさんに質問したのだけど、どちらも「老い」への向き合い方は同じでした。当たり前か。「老い」への態度はとかく、ポジティブな人や、抗う人の声が大きく聞こえるけれど、せいこうさんのそれは、ちょっとまた違いますよね。「老い」によってもたらされる流れを利用するような、合気道の達人の技を見るような驚きがありました。

Profile

いとうせいこう/1961年、東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、編集者を経て、1986年に日本語ラップの先駆けとなった歴史的名盤『建設的』でデビュー。ラッパー、タレント、小説家、作詞家、俳優として幅広く活動する。近著に『「国境なき医師団」をそれでも見に行く 戦争とバングラデシュ編』(講談社)他多数。