「“老い”でしか辿り着けない芸の境地がある」いとうせいこう(作家・クリエイター)前編|老いと表現

「最近、固有名詞がパッと出てこない。集中力も続かないし、夜遊びはちょっとしんどい。そんな変化に気づいたとき、ふと"老い"という言葉がよぎる。この連載では、編集者・伊藤ガビンが表現者たちに、自らの「老い」をどう捉え、どのように生きていこうとしているかを尋ねていきます。初回のゲストは、様々な領域を越境して活動を続けるいとうせいこうさんです。

取材・文/伊藤ガビン 編集/平井莉生

わたしの推しは「老い」

こんにちは、伊藤ガビンです。現在62歳の編集者兼大学教員であります。今年『はじめての老い』という本を出しました。というのも50代後半あたりから、自分の中の「老い」がやたらと元気といいますか、「老い」がノリノリといいますか、とにかくものすごい勢いで「老い」がすすんでまいりました。以来、「老い」に夢中になっております。あなたの推しは? と問われれば「老い」と即答する状態です。

さて、今回から始まるこの連載では、「老い」のオッカケであるわたしが、表現者の方々に執拗に「老い」について聞いていくというものになります。よろしくおたのもうします。

第一回目にご登場いただくのは、説明不要のいとうせいこうさん。

せいこうさんは1961年生まれ。わたしより2つ年上のちょっとだけセンパイにあたります。旧知の間柄というか、ライブの演出を頼まれたり、MV作ったり、『親愛なる』という不思議な小説の出版の仕組みを作ったりと、人生のところどころでお仕事を一緒にしてきた仲であります。

まあそれ以前に、わたしはデビュー以来のせいこうファンとして、その動向をチェックし続けてきておりますゆえ、せいこうさんが自身の「老い」についてどう考えているのか気になっているのです。

文学者でもあり、俳優でもあり、MCでもあり、ちがう意味でのMCというかラッパーでもある、せいこうさんとの老いトークです。初回にして最終回のまとめ回のような話になりました。

経年変化は人生の金貨

ガビン
これ、連載の第一回目なんですけどね、いろんな表現者に「老い」をどう捉えているかってことを聞いてみたいなと思って。特に「新しい職業」の人いますでしょ。「その職業」にはまだ老人がいない=ロールモデル不在、という仕事があるなあと。その職業の第一世代の人たちが「これから」をどのように考えているのか非常に気になります。一方で、死ぬまで働くことができる文学者や芸能の方々もいて、こちらも興味津津。さてどちらを先に聞こうかと思った時に、あ、両方やってる人いるじゃんてことで、せいこうさんに話を聞きにきました。
せいこう
はいはい。
ガビン
小説家からテレビタレント、芸人、そして古典芸能にも入り込んでいるせいこうさんですが、最初に第一世代のラッパーとしての「老い」をどのように捉えているのかお聞きしたいなーと。
せいこう
僕もさ、同世代のラップの第一人者の人、Chuck D※1とかKRS-One※2とかが、どういうことやっていくのかっていうのは気になってきたよね。それは自分がもう40代あたりから気にしてた。

※1 Chuck D/1960年生まれ、Public Enemyのフロントマン。鋭い政治的リリックと重厚な声で、ヒップホップを社会運動の武器へと昇華。『Fight the Power』などで黒人解放を訴え、2013年にロックの殿堂入り。現在も講演などで発信を続ける。

※2 KRS-One/1965年生まれ、Boogie Down Productionsの創設者。“Teacher”の異名を持ち、知識と意識の啓蒙を重視。『Sound of da Police』で警察批判を展開し、Stop the Violence Movementも主導。ヒップホップを文化・哲学として位置づけている。

ガビン
そんなに若い頃から! あー、そうか、第一世代は、若い時からずっと前例のない年齢を突き進んでいってるわけですもんね。常に最先端で最長老。
せいこう
それでいうとChuck Dは、割と早くブルースに接近していったよね。そしてKRS-Oneは自分の哲学や政治的な行動、教育的なこともはじめてたから、なんというかある意味で「ちゃんとした大人」になっていったんですよ。
ガビン
ブルースという自分のルーツに近づいたり、社会貢献に向かうことは「真っ当な成長」ともとれると思うのですが、せいこうさんは違和感あったんですか。
せいこう
いいことだと思ってましたが、自分は元々おじいさんに対する憧れがあるからね。大人を一足飛びにしておじいさんになりたいわけ。そのために、自分のやるべきことを探っていくなかで古典芸能に入っていった。
ガビン
「いつまでも若く」みたいなことに、最初から執着なかったんですね。
せいこう
あのね、ラッパーとして老いていくことの先端に自分もいる、という感覚はあったのよ。そこへ、みうらじゅんっていう人が「アウト老」※3って言いだしたでしょ? みうらさんの場合は、ずっとピッタリくる言葉を探し続けていたと思う。最初は「老いるショック」って使ってたけど、それ、ポジティブに捉えたいのにショック受けちゃってるじゃんって俺は突っ込んでた。「いや、元気よく、ショーック!って言うんだ」って言い張ってたけど(笑)。
ガビン
そこでついに「アウト老」を発見するわけですね。

※3 アウト老/みうらじゅんによるエッセイ『アウト老のすすめ』(文藝春秋)で語られた、「はみ出し老人」として老いを自由に楽しむ生き方。常識に縛られず、ユーモアを武器に“老けづくり”を肯定する、新しい老後のすすめ。

せいこう
例えば、二人で仏像を見に行った時に、なんの迷いもなくとんかつ屋に入ったのよ。その時に、「これがアウト老だ! ってみうらさんが言うのよ。つまり還暦過ぎてとんかつ食べることに言葉がついていってなかったんだよね。みんな健康のことばっかり言うじゃない。そんな中で、みうらさんはアウト老を発見していった。
ガビン
老いてショックを受けるっていうのは、若いほうがいいってことですもんね。
せいこう
ヤングじゃなきゃいけないっていうアメリカの価値観にずっと支配されてたから。だから僕も僕で、ガビンさんがMVを撮ってくれた「ヒップホップの経年変化」※4という曲のリリックですでに「経年変化が人生の金貨」なんだって言ってるわけだからすでに。

※4 いとうせいこうが参加している□□□(クチロロ)の楽曲「ヒップホップの経年変化」は、2011年にリリースされたアルバム『CD』に収録。作詞はいとうせいこう、作曲は三浦康嗣と村田シゲ。MVを伊藤ガビンが手がけた。

ガビン
そうでした。「ヒップホップの経年変化」を作ったのはせいこうさん50代ですよね。あの時にすでにそういう気持ちだったんですね。
せいこう
何しろ古典芸能の方に行っちゃって、お稽古しちゃってるわけだからさ。その世界に入ると50歳なんてのはひよっこの部類なんだよ。60代70代でもまだまだで、80代90代でやっと大人になるという。なんていうか年齢の計測単位がそもそも違う。それで、余計に年をとることが面白くなっちゃうよね。急に新人になっちゃうわけで。ガビンさんの『はじめての老い』って本のタイトルもそういう宣誓なわけじゃん?
ガビン
僕なりに老いて困ってるつもりなんだけど、本屋の「老いコーナー」に置かれると、90代80代の本に取り囲まれるので完全に新人のポジションで、それは新鮮ですよ。
せいこう
中年になる時もそうなんだけど、年齢から来る変化を感じた時にもの凄くアドレナリンが出るっていうかね。
ガビン
老いとはいえ「変化」ですものね。

老いに賭ける

ガビン
ラップの話に戻しますけど、せいこうさんは日本語ラップのオリジネイターと認識されているけれど、一時期まったくラップやってない空白の期間がありますよね?
せいこう
やってないよ。義太夫節とか習ってたんだからさ。それにいまだって、やってることはポエトリーリーディングだからね。
ガビン
非常に音楽的なポエトリーリーディングですね。ラップからポエトリーリーディングにいったのはどういう心境の変化なんですか?
せいこう
ラップってさ、きちんとやんないといけないじゃん。16小節で収まるとかさ。まずそれがいやんなったっていうのはある。
ガビン
ああ、窮屈だったということ?
せいこう
『MESS/AGE』※5っていう日本で初めてのラップだけのアルバムを作って、そのライブの時にね、直前になってヤン(富田)さんと、DUB MASTER Xに、俺達自由に音を出すからいとうくん適当にやってと言われたの。でも89年くらいだからフリースタイルの技法もないし、適当にって言われてもね。実際に演奏が始まると、すごくいい音楽がバーンと出てさ、僕はどうしたらいいんだろう、そうだアレを出せばいいって既存のラップを32小節とかやってると、もう音楽は先に行ってしまっているわけ。どんどんモチーフが変わっていってるの。音楽ってそういうものだよね。

※5 いとうせいこうのソロアルバム『MESS/AGE』は、1989年7月25日にAstro Nationレーベルからリリースされた。1995年3月21日には、FILE RECORDSから再発盤がリリース。

ガビン
その時代のラップ技工では対応できない状況だったと。
せいこう
それでその時には「音楽とラップはまぐわえない」と思っちゃって、1回ラップを僕は辞めたんだよね。
ガビン
そうだったんですか、ある意味挫折したんですね。
せいこう
それでラップから離れて古典芸能なんかをやっていたんだけど、ある日「そうか、自分が書いた本をごっそり積んで、DJに音楽任せておいてマッチするものを読めばいいんだ」ということに気づいた。そのうちに自分の書いたものでなくてもよくなって、そうやって今のポエトリーリーディングのスタイルを編み出したんだよね。
ガビン
普通のポエトリーリーディングのスタイルじゃないですもね。DUBの要素も入っているし。
せいこう
そう、しかも名うてのミュージシャンたちとバンド形式でやってみたら、彼らに詩を教えていないのに、ちゃんと盛り上がるところで盛り上がるんだよ。すごく自由に言葉と音楽のセッションができるようになっていったの。なぜそんなことができるのか聞いてみたら「いや、いとうくんの言葉に真剣に耳を傾けていたら、自然にそうなったんだよ」って言うんだよねえ。それが僕の本当にやりたかったことなんだよ。だから今は本当に幸せ。
ガビン
ラップ以上にポリティカルな言葉を使っています。
せいこう
ラップを辞める前に「そもそもラップとはなんなんだ」って考えたわけですよ。そうすると「スピーチ」に行き着く。公共の場やカフェなんかでスピーチがはじまる。それでスピーチを調べて聞きまくってたんだよね。むかしの政治家の演説からなにから。コーネル・ウェストという大学の教授がスピーチするともう音楽のように聞こえたりね。
ガビン
ラップの源流にスピーチがあって、そこにすでに音楽的な要素があったと。
せいこう
それにね、僕は散文家であって詩人じゃないから「詩を読みます」とは言えないんだよ。でも「演説をします」は言える。なんだけど、その演説の中に、比喩が入ってきたり、繰り返しが入ってくることで、演説なのにあたかも詩であるかのようになっていく。さらにそれを音楽が支えていく構造。それを楽しんじゃってんの。今はそういうことになっちゃってんのよ。
ガビン
これまで歩んできた道のりで集めてきたピースが、ものすごい精度でピタッとはまった感じですね。
せいこう
そうだね、そして老いの話に繋がるんだけど、昔の俺だったら、うまくいかないかもとか不安になってさ、「あの人だけには事前に読ませておこう」とかやったかもしれない。でも今は、ダメだったらダメでいいか、今日のソレを楽しまなきゃダメだよなあっていう、そういうところに行ってるのは「いい老い」が来てるなと思うんだよね。
ガビン
いい老い! 手放せるようになったということですかね。コントロールしようという意識ではなく。
せいこう
郡司正勝先生※6っていう歌舞伎の専門家の先生がいてね、俺は学生時代に出会ったんだけど、その先生とある演劇の雑誌で対談することになっちゃったの。その時に、郡司先生が雑誌をパラパラっとめくって「最近の若者は『表現、表現』って卑しいね」って言ったんだよ。すごい衝撃だったの。この言葉はもう何十年も俺を縛ってるの。この時俺は「え、どういう意味ですか?」と聞いたんだ。そしたら「その日、花道でふっと上がった右手が美しければそれでいいのに」って言ったんだよ。

※6 郡司正勝/北海道札幌市出身の歌舞伎研究家・演劇評論家で早稲田大学名誉教授。歌舞伎研究に民俗学を導入した『かぶき・様式と伝承』で芸術選奨文部大臣賞を受賞。1963年から古典歌舞伎の復活上演に力を注ぎ「郡司かぶき」と称される独自の演出スタイルを確立した。

ガビン
おお、、、、痺れますね。
せいこう
それが「花」だね。その人がなんか考えて、この角度で上げようと思ったわけでもなく、役の中で音楽に耳を澄ませていたらふわ〜っと手があがったけど、それがまあ、見事な間で見事な高さで見事な柔らかさだったんでしょうね。それ言われちゃったらさ、もう「表現」なんかできないよ。
ガビン
支配しようとすると卑しくなる。
せいこう
逆にいうと、卑しくなく芸ができる人がいるってことだからね。確かにいるんだよ、そういうデザイナーも、コメディアンも。自由自在にやってんだけど、すごくいいっていう。あそこに行きたい。そのためには老いるしかないんだよね。
ガビン
「老いるしかない」
せいこう
老いる以外に方法がない。特に鍛えてこなかった俺は。鍛えてきた人たちは、芸の到達点としてそういうことができるようになるのかもしれないけど、やってこなかった俺は老いることに賭けるしかないんだよ。
ガビン
それはすごい境地ですねー。
せいこう
「この文章、文法とかむちゃくちゃで、ひどいね。でも面白いんだよ。どういうこと!」っていうさ、そういうところに行くためにはね。

というわけで、前半はここまで。軽い気持ちで、ラップの第一世代が「老い」にどう対峙するのかを聞きにきたつもりが、全然そういうレベルの話じゃなかった〜。老いることは、失うことと捉えられがちなのだけど、手放すことでもあるんですよね。そして手放すことしか、得られないものがある。後半に続きます。

Profile

いとうせいこう/1961年、東京都出身。早稲田大学法学部卒業後、編集者を経て、1986年に日本語ラップの先駆けとなった歴史的名盤『建設的』でデビュー。ラッパー、タレント、小説家、作詞家、俳優として幅広く活動する。近著に『「国境なき医師団」をそれでも見に行く 戦争とバングラデシュ編』(講談社)他多数。