病床のドキュメンタリー。| 極私的なカラダの名著 vol.4 アートディレクター 平林奈緒美
もっとも身近でありながら、知り尽くせない自分のカラダ。ユニークな活動をする人々が夢中で読み、カラダの解像度を高めるヒントにした本とは? 連載の第4回で話を聞いたのは、アートディレクターの平林奈緒美さん。8年前からテニスを始め、今では、深夜や早朝を含めて、週5回もコートに立つことがあるという熱中ぶり。体を動かす習慣はあれど、世に言う「健康」には思うところも多いそう。病院には行かず、見る専門!? そして、平林さんにとって完全に好みのタイプだという小説家の野坂昭如が、病に倒れて亡くなる直前まで綴った日記を読んで考えた「老いていくこと」への態度について。
取材・文/大和佳克

Profile
平林奈緒美(ひらばやし・なおみ)/東京都生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業後、資生堂宣伝制作部に入社。ロンドンのデザインスタジオ〈MadeThought〉に出向後、2005年よりフリーランスで活動を始める。主な仕事に〈YAECA〉、〈ARTS & SCIENCE〉、〈gantu〉、2011年から2014年まで雑誌『GINZA』やサカナクションのアートディレクションなども手掛ける。
Instagram:@naomi747400
起きているあいだは常に何かをしていて、ボーッとしている時間はない。というか、耐えられない。アートディレクターの平林奈緒美さんは、ある仕事に関わる作業をしながら、別のプロジェクトについて考え、調べものをしながら、食事をしながらでも、仕事のことを考えている。しかし、テニスをしている時間だけは例外。「本当に何も考えられない。そのことが精神的な健康に役立っている気はします」。
テニスを始めたのは8年前のこと。今では、多いとき週5回もコートに立つ。ただ、スポーツに親しむようになったのは、テニスを始める2年ほど前通っていた空手教室が初めて。
「学生時代は、体育の授業ほど苦痛なものはないというタイプで、運動とは無縁でした。ですが、基本的にドMなんですよ(笑)。自分がダメなシチュエーションに置かれると頑張ろうと思える。ランニングなど自分と向き合うようなスポーツは難しいけれど、点が入り、勝負がつくテニスは続いています」
オールタイムベスト
『MEDICAL MUSEUMS』Samuel JMM Alberti and Elizabeth Hallam(編)
『Im Krankenhaus』Alfried Krupp von Bohlen and Halbach-Stiftung(編)
医療ミュージアムや病院の写真集。
粘りづよい思考の時間と、そこから解放されてボールを打ち続けるテニスの時間。そうして、平林さんがアートディレクションを担当し、世に送り出してきた仕事の数々は、情報が的確に整理され、デザインの流行り廃りとは無関係に強度を保つ理にかなったもの。
平林さんにとっては、仕事道具などの身の回りのものを選ぶときにも「合理性」は重要で、業務用や軍モノなどを好んできた。その極致にあたるのが、医療用の器具や空間かもしれない。その合理性は生き死にを左右する。
「医療ミュージアムが好きで、世界中行っています。一般公開しているところだけではなく、事前に連絡をして病院の資料室に入れてもらったり。ロンドンの赤十字の施設では、昔の薬のパッケージを見せてもらいました。なかでも私が好きなのは、シャリテーというベルリンの大学病院のミュージアム。レントゲンの初号機があったり、器具やホルマリン付けや、解剖の映像も流されています。この『MEDICAL MUSEUMS』は世界中にあるマニアックなミュージアムを紹介したガイドブックなのですが、一生、見ないでもいいようなイメージが沢山載っていてかなりハードな本です」
人類と医療の関係、そして技術の発展を伝えるメディカルミュージアム。研究機関としての側面がある大学病院。平林さんは、こうした医療施設に関わる本や写真集を何冊も持っているというが、現代の病院を記録したのが『Im Krankenhaus』だ。
ドイツの慈善団体「アルフリート・クルップ・フォン・ボーレン・ウント・ハルバッハ」が編集し、1993年にオリジナル版が出た本の続編のようなかたちで、フォトグラファーや映画監督が複数招かれ、アルフリート・クルップ病院の内部を撮影した。エッセイや科学的な観点での論考も掲載されている。
「病院の空間や器具はもうたまらない。タイルだったり素材選びなどインテリアの参考にしています。でも私自身は、医療行為全般がすごく苦手。病院に行くぐらいなら、死んだ方がマシ。されるのは嫌いだけど見るのは好きで、見る専門(笑)。技術には当然リスペクトがあります。コロナの時期に登場した船や飛行機がまるごと病院になったものには、すごい、と感動してしまって、それについてずっと調べていました」
最近読んだカラダの本
『絶筆』
著 野坂昭如 2019年(新潮社)840円
脳梗塞で倒れてからの12年間の日記。
そもそも、と、平林さんに読書の傾向について尋ねると、ほとんど本を読まないという。3年に1回ほど読むとしたら、エッセイかノンフィクション。小説で最後に読んだのは、20年くらいまえに読んだ、マイケル・クライトンのSF小説『ジュラシック・パーク』。ということで、最近読んだわけでもないが心に残っている一冊を教えてもらった。
「脳梗塞で倒れてから、亡くなる数時間前まで書いていた12年間の日記と、エッセイをまとめた本です。日記ということもあるのか言葉に余計な加飾がなくて、淡々としています。特に大きな出来事は何も起こりません。でも、抑揚がなくてもいいんじゃないですか、と思いますね。私は、淡々と生きたいんですよ。大きな感動も大きな絶望も要らない。野坂さんはきっと、それまでの人生で無茶苦茶をしたから、この12年を淡々と書くことができたのかな、とは思うんですけど。自分にとってはめずらしく、共感するポイントがたくさんある本です」。そのひとつが、野坂が急逝した2015年に書かれた、10月某日の日記である。
近頃は少年老いやすく、老人死に難し。老いに抗う何やかやが、持て囃され、元気な老人こそあらまほし。日本は、上手に老いて上手に死んでいくことの難しい国となった。(新潮文庫、615p)
「年寄りらしくなく元気に動けて、元気に食べる。そういう老人像が良いとされる風潮があるような気がして、それってなんなんだろう? と思うわけです。気持ちは衰えていかないとしても、体は誰もが衰えていくものでしょう。下降していくのは当たり前のことだと私は思うし、それでいいんじゃないですか。とにかく健康でいなければいけない、とムキになって、体が衰えて抗えなくなったら気持ちまで折れてしまう、というのはなんだか変ではないかと。この日記には、そうした違和感をずばり言い当てたポイントがたくさんある。戦争を体験した世代の、最後の一文も読んでみてください」

平林さんが集めてきた医療グッズ。国外への配送はできないことが多いため、海外に行くたびに自ら薬局やネットで買い足してきた。「薬局で売っている市販のもののデザインも好きですが、お医者さんが手術の前に腕を消毒する消毒薬のボトルなど、プロ用のそっけないデザインのものも手を尽くして手に入れています」