
2015年「UTMF」に出場したララムリ最速のふたり、左アルヌルフォ・キマーレ、右/シルビーノ・クベサーレ。大会直前、富士山麓で調整中のふたりは「ターザン」の取材に応じてくれた。撮影/石原敦志
この連載の筆者・内坂庸夫さんはこんな人

あんなにロックな本を読んでいないのか。
中編は 『ボーン・トゥ・ラン』(以後『BTR』)の日本版が生まれるまで、そして『BTR』の翻訳権を取得し、日本語版を世に送り出した編集者の松島倫明さん自身が『BTR』に巻き込まれていくエピソードだった。
この後編では『BTR』被害者の会で、これまた会長クラスといえる甚大な影響を受けている山田洋さんに、話を聞かせてもらった。彼は『BTR』の超主役ふたり、タラウマラ族のアルヌルフォとシルビーノを霊峰富嶽の麓で世話をした男でもある。
山田洋さんは、日本版発売の前年からすでに『BTR』の存在を知っていた。米国発売は2009年5月、中編にあるように全米のランナーたちは『BTR』の評判を聞き、読み、評判に拍車をかけて発信していた。誰もが『BTR』に踊り、さらなる話題をやりとりしていた。後にニューヨークタイムズのベストセラーリストに4年近くも居座った『BTR』だから、語るネタは尽きない。
山田さんは当時、サンフランシスコのオンラインのランニングコミュニティに参加していた。すると2009年の夏ごろから(米国版発売3ヶ月後あたり)、「『ボーン・トゥ・ラン』っていいねえ」「あ、読んだ読んだ」「タラウマラ族ってほんとに速いのか?」なんてコメントが急増してくる。
コミュニティで、仲間が、「ヤマダあ、『ボーン・トゥ・ラン』はどうよ? 読んだ?」って振ってくる。
なんだよ、いまさらブルース・スプリングスティーン(*1)がどうしたっていうのさ、わけわかんない。
「Tarzan」補足*1 1975年、ブルース・スプリングスティーンが作詞作曲、もちろん自身が歌った大大ヒット曲「ボーン・トゥ・ラン/Born To Run/明日なき暴走」。
「なんで今ごろ、アメリカのランナーたちがブルース・スプリングスティーンを話題にするんだよ?」
「お前、あんなロックな本を読んでいないのか?!」
「え、本⁉︎ いや、ちょっと待ってくれ、僕は日本に住んでいるんだよ、まだこっちでは発売されていないかもしれない、どんな本なのさ」
「え、ランナーのバイブルだぜ。ララムリが出てきてさ・・・」
彼らは熱く語るんだけど、やっぱりわからない。中編の冒頭で紹介したように、『BTR』はいくつものジャンルを超えた話が、代わる代わる顔を出し、しかも同時進行していくのだから。
内容はともかく、コミュニティの盛り上がりをみれば、『BTR』がとんでもなく影響力のある本だということはわかる。気になるなあ。

山田洋さん。スポーツライター。もちろん「カバーヨ・ブランコ」完走者である。着ているTシャツはアルヌルフォ、シルビーノからのおみやげ。
3人とも同年齢、同学年。
山田さんは翌年2月の日本版発売日、その日に本書を手に入れる、2日で読破してしまう。おもしろすぎる、腰を抜かす。
「日本語版が出たから読んだぜ、いや、これ、すごいわ。みんなが騒いでいたことがよーくわかる」とサンフランシスコのコミュニティに投げると、「そうだろ、そうだろ」と。
「毎年3月に例のカバーヨ・ブランコのレースがあるから、今度みんなで出ようぜ、日本からだとサンフランシスコ経由でメキシコに飛べばいいんだよ」「おお、いいねえ」
なんてやってたら、3月になって、松島倫明なる人がツイッターで、〈ビブラム・ファイブフィンガーズ〉で走ってる人、返信してください」なんてつぶやいてきた。そこで皇居に行ったら、松島さん、山田さん、石井さんは3人とも同年齢、同学年だ。『BTR』で盛り上がり、同世代ということでさらに盛り上がる。その後3人は後に『BTR』をテーマにしたトークイベントに顔を揃えることになる。
山田さんに尋ねてみた、いったい『BTR』のどこが、なにがそんなにおもしろいんですか?
常識が覆される快感。
「僕は、これまで当たり前だと思われていたことが、実は違う、となっていく瞬間が好きなんですよ。走り方も、シューズも、食事も、マインドも、『BTR』はみんなひっくり返しちゃう。ランナーって、ランニングってこういうものだ、って言われているものを、新しい知識や情報を紹介しながら、次々に否定してゆく、これがおもしろいんです」。
「特に日本人には保守的な人が多いでしょう。前例のないこと、新しい考え、はじめての知識を、アンチ的に潰しにかかるでしょう。とにかく否定する。そうしないと、それまでの自分を否定することになるから」。
そういえば、昔、高尾で「山は歩くもんだ!」と高齢のハイカーさんに怒鳴られたことがあるなあ。
「僕は、常識が覆されると、うわ、おもしろいなあ、ってワクワクしちゃうタイプなんです。『BTR』は、科学的にきちんと証明しながら、これまでの既成概念を次々にひっくり返していくでしょう、もう快感ですよね」
100マイルが近づくに違いない。
山田さんはすでにトレイルランナーだった。『激走モンブラン!』の被害者でもある。鏑木さんの「UTMB」2007年の屈辱、2008年の神をも抜いた4位、2009年の歓喜の2位・・・すべてを知っている。「激走モンブラン!」のDVDを何度観たことか。いずれは100マイルを、と思っていた。
そこで出会った『BTR』、〈ビブラム・ファイブフィンガーズ〉を履いた。とたんフォアフット着地走になった、「あれ、走り方がまったく変わったぞ?!」。
ここに書いてあることをひとつひとつを実践していけば、もっとバージョンアップできるかもしれない、100マイルが近づくに違いない。まさに『BTR』はバイブルになった。
「『BTR』にはたくさんの人が出てくるけど、スコット・ジュレクが好きなんです。僕は本を読んでいるから彼の活躍を知っているわけで、勝手に身近に感じてしまっている。で、彼がふつうにツイッター上にいたんですよ、『今度100マイルレースに挑戦しようと思うんだけど、アドバイスをください』なんて送ると、ちゃんと応えてくれるんです、いやもう、100マイルへのモチベーションが上がっちゃいますよ、これも『BTR』のおかげです」。

「カバーヨ・ブランコ」が開催されるウリケの町。ララムリたちが、ふつうにサンダルで、スカートで、派手なシャツを着て、キャップをかぶってる。撮影/松田正臣
ベアフット・テッドの脅し。
2012年5月に名脇役(迷惑役ともいえる)ベアフット・テッドが「ウルトラトレイル・マウントフジ/「UTMF」出場のために来日する、東京・駒沢公園で裸足ランのイベントが行われ、夜は神田でトークショー。そこで晩ごはんを食べながらテッドが言うのだ、「カバーヨのレースに来いよ」。
『BTR』の最後のエピソードは、謎の主人公「カバーヨ・ブランコ」が主催する人類最強の走る民族とウルトラトレイルのスターたちとの、手に汗握る大決戦。その地はメキシコの山岳奥地カッパーキャニオン。そこに来いと、そのレースに出ろと、しまいには「お前ら、来るのか、来ないのか?」と脅しにかかる。
ベアフット・テッドがそこまで言うなら仕方ない、山田さんは首を縦にふる。「そもそもあなたが行かなきゃ話にならないでしょう」と、一緒にいた松島さんも巻き添えを喰らう。2013年3月、石川弘樹さんを筆頭に被害者の会会員9名ほどが『BTR』最終章を実体験するのだ。

ウリケの町の壁にでかでかと。本書で紹介されたのは2006年大会、男子はアルヌルフォ・キマーレが1位、2位がスコット・ジュレク、3位がシルビーノ・クベサーレ。女子はもちろんのジェン・「ブルヒタ」・シェルトン。S・ジュレクは翌2007年に雪辱を果たしている。撮影/松田正臣

レースは3カ所のポイントを折り返すので、選手がすれ違う区間が多い。右端で背を向けている青いウェアは松島さん(サンダル!)、左から3人目、黄色のキャップは石川弘樹さん。撮影/松田正臣
山田さんにしてみれば、そもそもの始まりがサンフランシスコのラン仲間。いつか行こうね、と誘われていたこのレース。まさか、本書の登場人物に強引に誘われて参加という、思いもよらぬ展開になってしまうとは。
ひじきと豚肉味噌炒め。
その2年後。2015年早春、山田さんにアルヌルフォとシルビーノが「UTMF」に出場すると知らされる。カッパーキャニオンで出会った『BTR』のヒーローふたりが揃って日本にやって来る。
「え、いつ来るの、どこに泊まるの、何を食べさせるの、レースサポートは? エイド補給は?・・・」、どうもはっきりしない。
「人類最強の走る民族、ララムリ(*2)に添加物たっぷりのコンビニ弁当を食べさせるわけにはいかないでしょう。だったら私が手伝いますよ」、山田さんがサポート役を買って出た、そして山田さんの最初のリクエスト。「『UTMF』のレース前後は富士山の麓に滞在しますよね、彼らに毎日3食食事を作ってくれる人を雇ってください」。
「Tarzan」補足*2 「ララムリ」とは、タラウマラ族の人たちが自身を自称するときに使う言葉で「走る人々」「足の速い人々」という意味。「タラウマラ族」はよそ者が彼らを表現するときの言葉。
「UTMF」現地にキッチンつきの宿を借りた。かくして山田さんの奧さんがアルヌルフォとシルビーノのライフライン/生命線となる。彼女は朝5時から夜9時まで、ずっと台所に立ちっぱなし。ときに食材が足りなくなると近くのスーパーに買い出し。
ララムリたちのマネージャーは大学の先生で、英語が話せる。「彼らはなんでも食べますよ」と、「でも、トルティーヤ(小麦粉やコーン粉でできた円形の薄いパン、タコスやブリトーの具を包む「皮」)があるとうれしいですね」と。
なんでも食べますよ、と言われても、それでも好き嫌いはあるだろう、5つくらいおかずをそれぞれ大皿に盛って、好きなものを選んでもらう式。減ったものが好き、減らない皿はいまいち。わかりやすい。3食これを繰り返すうちに、こっちも彼らもおおよそがわかってくる。
「シルビーノは豚肉の味噌炒めを気に入ってましたよ、トルティーヤに巻いて食べてた。アルヌルフォはひじきでしたね。ふつうの日本のひじきの煮物、でも辛味が足りないようで、七味とうがらしをばんばん振りかけていたなあ」「ジャガイモをゆでて、そこらにおいておくと、勝手に塩をかけて食べていました、おやつがわりだった」「あ、カレーも好き好き、でもやっぱり辛さが足りないって、七味とか一味とか入れてた」

ララムリ最速の中の最速、アルヌルフォ・キマーレ。米国のウルトラ帝王スコット・ジュレクを負かした男である。「ひじき」が大好きだった。撮影/石原敦志

最後の最後でS・ジュレクに置いていかれたシルビーノ・クベサーレ。「UTMF」ではナイキを履いた。撮影/石原敦志
成田空港での号泣。
彼らは奧さんに胃袋を掴まれてしまう、この人にそっぽを向かれたらごはんがもらえない。奧さんにしてみれば、彼らの好きなものがわかってきて、「おいしい」と、たくさん食べてくれれば、それはそれはうれしい。
やがて互いに信頼が生まれる。朝起きると、台所で準備している奧さんに優しく「おはよう」と挨拶をし、食事が終ると食器を片づけ、奧さんに「ごちそうさま」と心からのお礼をいう。朝昼晩、10日間毎日、自分たちのために食事を作ることがどれだけ大変なことなのか、彼らにはわかっていた。日本ではたくさんの人にお世話になったけど、毎日朝から夜まで自分たちをとことん世話をしてくれた彼女は特別な存在だった。
彼らが成田から旅立つとき、アルヌルフォが静かに近づいてきて奧さんをハグする。シルビーノは手を出して彼女の頭を優しくぽんぽんしながら、何かを言っている(きっとお礼の言葉だろう)。こんなことはありえない(*3)。彼女はわんわん大泣きし、山田さんもつられる。
「Tarzan」補足*3 16世紀以降、ララムリは侵略者たちがやってくると、戦わず高地に隠れるという選択をして生き延びてきた。いまでも彼らは精神的にも物理的にも他人と距離を置く人たちで、警戒心が強く、そう簡単には打ち解けない。よくいえばシャイだ。握手ですら、手を握ることなく、指先で相手の手のひらを触る程度。その彼らが、自ら近寄ってきてハグする、相手の頭に触れるなんて考えられない。彼女はララムリがほんとうに心を許した相手だからだ。
土日は農業、鎌倉野菜。
実は山田洋さんも、2015年、都心から鎌倉に引っ越してしまった。「都会暮らしはもういいや、都会は飽きた。鎌倉には海があって山があって、人間が人間らしく暮らせるじゃないか、と思ったんです。引っ越したらその通りでした」。
ライフスタイルが変わってしまう。山田さんは毎週末、土日に農業をしてる。バスケットコース3面ぶんの畑、いわゆる鎌倉野菜を作ってる。それから大工さん気取りでDIYも、いま住んでいる家もそうだけど、よその古い家を再生してる。
週に1回、仲間と鎌倉を走ってる、松島さんと新しいトレイルを開拓することもある。「友達が鎌倉に遊びに来ると、朝から走り出して、だくだくに汗かいて家に帰ってきて、庭でビール! ってのがいいんですよ」。
それぞれインタビューの最後に、「『BTR』の中でいちばんお気に入りのエピソードやセリフは?」って尋ねてみた。
走ることへの愛。
山田洋さん。「最初のころは、誰でもそうだと思うけど、リーバーマン博士のランニングと人類進化学のエピソードですよ。でも、何回も読んでいるうちに、135ページから始まる人間機関車エミール・ザトペックの『ランニング愛』が気に入りました。彼はとにかく走ることが大好き、練習が大好き、自分でいろんなトレーニング(*4)を工夫しちゃう」
「1952年のヘルシンキ五輪。5000m、10000mで金メダル、そして最後の種目、マラソンをまだ走ったことないからって出場して、優勝しちゃう。5000、10000の選手がマラソンに挑戦、初マラソンがオリンピック、そして金メダル。ザトペックはとんでもないアスリートで、ほんとに走ることが好きなんですよ」「しかも、コーチなし、最初から最後まで自分ひとり、生涯自主トレです、もうランニング狂い」。
「カバーヨ・ブランコもスコット・ジュレクも、もちろんララムリたちも、つまりは登場人物全員が、走ることが大好き」「『BTR』ってランニング愛の本だと思うなあ」。
「ターザン」補足*4 長距離選手は速く走る必要はない、といわれていた時代に、負荷の高いインターバル(スピード)走を積極的に行って、好記録を残し、陸上長距離界にインターバル走を「当たり前のトレーニング」として広めた人としても知られる。

正確には「ウルトラマラソン カバーヨ・ブランコ/UMCB」、ここに冠として大企業の名が入ることはない、これまでもこれからも。撮影/松田正臣
走ることは自由でなきゃいけない。
松島倫明さん。「いろいろなエピソードがあって、それぞれ素晴らしいんだけど、ひとつだけ、となると本書のいちばん最後、作者クリストファー・マクドゥーガルが、走ることの本質を語るところ、商業主義ときっちり線を引いているところ。カバーヨ・ブランコのセリフになってるけど、これがかっこいいんです」。
前編でも紹介しているけど、407ページにある。
『カバーヨのもとに生涯最高のオファーが届いた。人気アウトドアスポーツメーカーの 〈ザ・ノース・フェイス〉がレースのスポンサーになると申し出たのだ。カバーヨ本人の、そしてレースの将来もこれで安泰になる。カバーヨはじっくり検討した、1分間ほど』。
『「いや、けっこうだ」と彼は決断した。「私が人に望むのはひとつ、こっちに来て走り、パーティをし、踊って食べて、われわれと仲良くやることだけだ。走ることは人にものを買わせるのが目的じゃない。走ることは自由じゃなきゃいけないのさ」』。


