『ボーン・トゥ・ラン』みんな裸足で駆け出した|前編 トレラン正史 vol.9

今やすっかり市民権を得たトレイルラニング。でも冷静に考えてみると、山を走るという”競技”はどこから来たのか、そして、どこへ行くのだろうか。国内外でシーンを黎明期から取材してきたレジェンドエディター・内坂庸夫さんによる、山を駆ける者たちを取り巻く壮大なクロニクル。第9回は、革命の書にして反骨の痛快ブック『BORN TO RUN 走るために生まれた』の話。

text: Tsuneo Uchisaka photo: Yosuke Kashiwakura , Masato Kameda , Sho Fujimaki

この連載の筆者・内坂庸夫さんはこんな人

当選している宝くじ。

『BORN TO RUN 走るために生まれた』
著者/クリストファー・マクドゥーガル、翻訳/近藤隆文 発行/NHK出版 初版1刷 2010年2月25日 定価/2,000円+税。

まず最初に。『ターザン』は何度もこの『ボーン・トゥ・ラン』(以後『BTR』)を紹介しているけれど、たいていこんな書き出しから始まっている。

「この『BTR』を読んでいない人がいるのなら、あなたはたいへんな果報者だ、間違いなく当選する宝くじが目の前にあるのだから」。SNSではこんなふうだ、「もしあなたが未読であるなら、なんという幸せ、豊かな人生が目の前にあります。既読のあなたはもう一度お読みください、さらに楽しい日々を過ごせます」。

『BTR』。人物でもない、大会でもない、書籍だ。しかしこの一冊をトレラン正史に加えないわけにはいかない。原書は2009年5月、国内翻訳版は2010年に発売され、以来全世界あわせて300万部を超えている。ランニング界、トレイルラニング界に衝撃的な影響を、これほどの大改革を与えた本は他にない。特にウルトラトレイルレース界では、『BTR』の前と後では「ランナーのIQ」が大きく変わってしまった。まさに大事件、歴史的な一冊といっていい。

内容は? と尋ねられたら「ランニングの野生化・自然回帰」の書と答えようか。少し説明を加えれば、「厚底だ、カーボンプレートだ」とテクノロジーや商業主義が進みすぎた現代社会/ランニング界で、われわれが「快適」や「便利」と引き換えに失ってしまった人間本来の「驚くほど」高性能な身体能力に気づけよ、取り戻せよ、という革命の指導書だ。

ではジャンルは? これが説明しにくい。あとでエピソードを要約するけれど、スポーツ・ノンフィクションという枠にはおさまり切らず、謎を追うミステリーや胸躍る冒険活劇としても類なくおもしろく、かと思えば、いきなり200万年前に引き戻され「汗という冷却装置をもっているのはヒトだけだ」などの科学的人類学的好奇心もたっぷり満たされる。読み終えたとたん、誰でも(あなたもだ)ドアを開けて外に飛び出したくなる本だけど、ノウハウの詰まった実用書、技術書ではない。前述の通り「ランナーIQ」を高めるという意味では自己啓発書といっても間違いではない。

『ターザン』本誌674号。「世界の一流品」シリーズで紹介したこともある。Illustration: Ryuto Miyake

革命の書にして反骨の痛快ブック。

これもつけ加えておこうか。誰でも走れるフルマラソンだの、サブスリーを達成するにはどうのこうの、100マイルを完走するにはあーだこーだ、と「走る」ことに関する本は、メンタル系、トレーニング系も含め古今東西、玉石混交、いやというほどあるけれど『BTR』はまったく違う。革命の書の通り、これまでの「走り」は間違っている、その「カラダの使い方」は誤りであると、進化人類学の教授まで登場させて、次々に常識を否定、論破してゆく反骨の痛快ブックでもある。もう読まないわけにはいかない。

前回の『激走モンブラン!』テレビ放送やDVDを観てトレイルラニングを始めた人がいるように、この『BTR』を読んで、裸足で走り出した人は多く、サンダルを自分で作ってしまう人たちもあらわれた。さすがに裸足の選手を見たことはないが、サンダルでトレイルレースに出場することはそう珍しくなかったし、メキシコの山奥で開催される「あのレース」に出場しちゃう人たちまでいた。

『ターザン』本誌593号。ヒッピーカップルの片割れジェン・シェルトンは日本を走っている。2011年「信越五岳110km」では2位に2時間以上の差をつけてぶっち切りの女子優勝、総合でも7位だった。photo: Sho Fujimaki

今世紀最大の皮肉。

未読の人のためにエピソードを紹介しようか。

1)C・マクドゥーガルが謎の怪人カバーヨ・ブランコ(白い馬)を探し当てて、そもそもカバーヨ・ブランコって何者? を解き明かしてゆく話。ぞくぞくするミステリータッチの冒頭。 

2)紆余曲折のはてにようやく出会えるメキシコ奥地の山岳高地に暮らす正体不明の「走る民族/タラウマラ族」。

3)最新の知恵とテクノロジーを盛り込んだ「衝撃吸収機能」満載のハイテクシューズこそが、膝間接や足に障害をもたらすという今世紀最大の皮肉。

4)その障害のエビデンスとともに、「かかと着地走法(*)」は、〈ナイキ〉がシューズを売り出すために考案した非人間的な走法だ、とばっさり。

*『ターザン』補足。〈ナイキ〉は創業当時、スティーブ・プリフォンティーンという世界一の中距離選手と契約していたけれど、実際の販売はマーケットの狭い陸上競技シューズではなく、万人に向けた健康ランの靴だった。そして健康になるために、健康を維持するために「ジョギング(ウォームアップのそれとは違う)」という「かかと着地」の健康ランをプロモーションしていた。かかとから着地すればストライドが広がり、同じ一歩でも距離を稼げる。「〈ナイキ〉のジョギング走法はゆっくりだけど、速いのだ」とこじつけることができた。

5)超長距離走という、およそ似つかわしくない快楽に魅せられてしまったヒッピーカップル(ジェン・シェルトンとビリー・バーネット)の賑やかな青春物語。

6)ウルトラの帝王(ウェスタンステイツ7連勝など)スコット・ジュレクの「走る」ことへの愛。本書ではかっこいい役どころを演じる。

7)200万年も前からヒトはどうやって生き抜いてきたのか? 進化生物学から進化人類学へ、そして(裸足であるゆえの)フォアフット着地走法(*)の集団持久走狩猟へ。すとんと腑に落ちる心地よさ。

*「ターザン」補足。裸足ではかかと着地走法はできない。そこでやってみればいい、一歩も踏み出せないことが激痛とともに体感できる。200万年前のヒトは〈ナイキ〉を履いていない、裸足ではイヤでもフォアフット着地になる。ヒトは獲物が疲れ果てるまで、どこまでも追うことができた。走ることは食を得ること、ヒトという種だけが生き延び、繁栄してきた。くるぶしから先をテコのごとく使えるように、われわれのかかとの端にはアキレス腱という強力なバネがついている。われわれの足の裏には足底腱膜というこれもまた強靭なバネがついている。このふたつ、重力と着地エネルギーをたくわえ、瞬時に跳ね返す。走るためにある。歩行にはたいした役に立たない。本書のサブタイトル「走るために生まれた」を人間解剖学に説明すればここに落ち着く。「人は走るために裸足で生まれた」。フォアフット着地走=人間本来の走り方=どこまでも、疲れず走り続けることができる。かかと着地走=非人間的な走り方=障害を起こす可能性がある。

8)北米ウルトラレースの歴史と黒歴史、客寄せパンダ扱いされた世界最強の走る民族。

『ターザン』本誌685号。タラウマラ族最強最速のアルヌルフォ(左)とシルビーノが上田瑠偉さんと富士樹海を走ったなんて、知る人は少ない。photo: Atsushi Ishihara

全部自分のせいだ!

本書には登場人物だけでなく、識者やレジェンドの言葉としていくつもの忘れられない文やセリフが出てくる。いくつかを紹介したい。

21ページ。まずはもっとも素晴らしくない言葉から。走って足を痛めてしまった著者が数ヶ月をかけて、何人もの専門医を訪ね受診するのだが…デラウエア大学ランニング障害診療所の所長、生体力学のエキスパートであるアイリーン・デイヴィス博士の言葉。

「走ることは身体に悪いからです」
なぜ悪いのですか? 
「足を痛めるからです」

225ページ。怪人カバーヨ・ブランコに率いられた米国のウルトラランナーたちはメキシコ奥地に住むタラウマラ族を訪ねるために、麻薬カルテルが支配する無法地帯に足を踏み入れなくてはならない。ここで「自己責任」の本質がユーモアたっぷりに描かれている。

「ストップ!」
カバーヨはテッドだけでなく、われわれ全員に話しかけていた。急停止がかかったのは、排水路に架けられた不安定な橋の真ん中だった。
「みんなに血の誓約をしてもらいたい」とカバーヨは言った。「右手を挙げて、私の言葉をくりかえしてくれ」
「向こう側に渡る前に誓いを立ててもらう」とカバーヨは迫った。
「後ろが出口。こっちは入り口だ。ここから入っていくなら誓いを立ててもらいたい」
われわれは肩をすくめ荷物を置いて右手を挙げた。
「けがをしたり、道に迷ったり、死ぬようなことがあったら」カバーヨが言いだした。
「けがをしたり、道に迷ったり、死ぬようなことがあったら」われわれは復唱した。
「それは全部自分のせいだ」
「それは全部自分のせいだ!」

316〜317ページ。ユタ大学の進化生物学者であり、ヒトの「持久狩猟説」を証明したデニス・ブランブル博士の言葉。

「ヒトにはアキレス腱があるが、祖先を同じとする二足歩行のチンパンジーにアキレス腱はない」 
「チンパンジーの足裏は扁平だが、われわれの足には土踏まずがある」
「人間にとって走ることとは、速く進むことではなく、遠くへ行くことなのかも知れない」「だとすれば、われわれの足と脚にばねのような腱がつまっているのも説明がつく」

345ページ。1905年から続くディップシーレースに67年連続で出場し続けた“ディップシーの鬼”ジャック・カークの言葉。

「人は年をとるから走るのをやめるのではない」
「走ることをやめるから年をとるのだ」

407ページ。本書の最後の最後、文末。行きすぎたテクノロジーや商業主義に反発するC・マクドゥーガルの真骨頂といえる一文、そうか、これが言いたかったんだ。

カバーヨのもとに生涯最高のオファーが届いた。人気アウトドアスポーツメーカーの 〈ザ・ノース・フェイス〉がレースのスポンサーになると申し出たのだ。カバーヨ本人の、そしてレースの将来もこれで安泰になる。カバーヨはじっくり検討した、1分間ほど。「いや、けっこうだ」と彼は決断した。「私が人に望むのはひとつ、こっちに来て走り、パーティをし、踊って食べて、われわれと仲良くやることだけだ。走ることは人にものを買わせるのが目的じゃない。走ることは自由じゃなきゃいけないのさ」。

炎天下の一騎打ち。

カッパーキャニオンからやってきたサンダル、富士山を走った。photo: Atsushi Ishihara

さ、こっちもそろそろまとめに入ろうか。

本書がなにより素晴らしいのは、その構成だ。一見ばらばらに見えるたくさんのエピソードが自由勝手に進んでいくようでいて、やがてそれらの伏線がひとつにつながってゆくところ。じわりじわりの伏線回収から、谷間の小さな町に飛び火してめらめら燃え上がり、イッキに加速して、走り、走り、走り、そして涙腺崩壊のエンディング。これはもう、極上のハリウッド映画を観ているかのよう。

最後の舞台は土ぼこり舞うメキシコ奥地のカッパーキャニオン、ウリケの町。灼熱地獄のかんかん照りのもとで、アメリカのウルトラの帝王スコット・ジュレクと最強民族中の最強走者アルヌルフォとの一騎打ちに息を呑み、スコットの仲間のヒッピーカップルやベアフット・テッドたちが、腰布サンダル履きの最強民族たちを追い、追いかけられの一部始終に手に汗を握るのだ。

『BTR』。読み進めるうちにC・マクドゥーガルの術中にはめられ、靴を脱がされ、裸足になって、彼の手の上で気持ちよく踊らされてしまう。活字の奥で書き手のクリストファーがほくそ笑んでいる、エンターテイメントとしても実に見事、実に秀逸である。

後編に続く。