『コマンドー』(1985年)「観客の常識に揺さぶりをかけるテンポのいい“脳筋”的問題解決」|入江哲朗の筋肉映画論。
鍛え上げられた肉体は、なぜ人を魅了するのか。この連載では、アメリカ思想をバックボーンに映画批評を執筆する入江哲朗が映画史に残る名作を題材に、筋肉と映像表現の関係を読み解く。今回は、“筋肉で問題を解決する男”アーノルド・シュワルツェネッガーが大暴れする『コマンドー』(1985年)について。
edit: Keisuke Kagiwada
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入江哲朗(いりえ・てつろう)/東京外国語大学世界言語社会教育センター講師。著書に『火星の旅人─パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』。

Moviestore Collection/Aflo
映画の楽しみ方は多様です。物語にハラハラドキドキさせられる。カメラワークの巧みさに唸る。堂に入った演技を堪能する。俳優の見事な筋肉にほれぼれする……。この連載の目的は、筋肉映画の楽しみ方の案内役となることです。筋肉映画の定義はひとまず「主演の男優ないし女優の筋肉を強く印象づけられる映画」としておきましょう。その楽しみ方にも複数の側面があります。アメリカ思想の研究者であり筋肉映画ファンである私はこの連載をとおして、たんなる筋肉賛美だけが筋肉映画の楽しみ方だというわけではないことを、読者のみなさんにお伝えするつもりです。
連載の初回である今回取り上げるのは、マーク・L・レスター監督『コマンドー』(1985)です。アーノルド・シュワルツェネッガー主演作のなかでも特に人気が高い映画のひとつです。ボディビルダーのシュワルツェネッガーが80〜90年代アクション映画の稼ぎ頭となってゆく過程は、本作により決定づけられました。彼が本作で演じるのは、もとはコマンドー部隊(特別奇襲部隊)のリーダーでありいまは引退しているジョン・メイトリックス大佐です。
メイトリックスと娘ジェニー(アリッサ・ミラノ)の平穏なふたり暮らしは、アリアス将軍(ダン・ヘダヤ)率いるテロリスト集団の襲撃により破られます。かつて南米の国の独裁者だったアリアスは、メイトリックスの部隊に失脚させられたことを恨み、ジェニーを誘拐したうえで政敵の暗殺をメイトリックスに命じます。メイトリックスはアリアスらのもくろみの裏をかき、過剰に武装したうえで敵拠点へ乗り込み、雨後の筍のように現れる大量の敵をひとりでバッタバッタと倒してゆきます。
メイトリックス初登場時のカメラは、顔のまえにまずシュワルツェネッガーの上腕二頭筋を舐めるように映します。観客は最初から、筋肉をこのうえなく印象づけられるわけです。メイトリックスは眼前の問題を圧倒的筋肉でもって解決してゆきます。筋肉による問題解決がテンポ良く畳みかけられることと、観客の笑いを誘う台詞が随所で挿まれることが本作の最大の魅力です。
問題解決の連鎖により物語が紡がれること自体は、古典的映画においてもありふれていました。しかし本作における問題解決は破格です。メイトリックスはたとえば、敵が公衆電話を使うのを阻止すべく、敵の入った電話ボックスを持ち上げ、投げ捨てます。これは、圧倒的筋肉があるからこそできる(しかし最適解とは言えそうにない)問題解決です。
こうした“脳筋”的問題解決の数々に、観客は当初驚き、徐々に順応してゆきます。常識を揺さぶられた観客はだんだん脳筋的プロセスと同調し、メイトリックスの一挙手一投足がおもしろく感じられてきます。つまり本作における圧倒的筋肉は、愛でられるためだけにあるのではなく、ストーリーテリングの原理としても機能しているのです。観客の困惑を快楽へ変化させる脳筋的ストーリーテリングに身を任せることも、筋肉映画の楽しみ方のひとつです。
『 コマンドー』(1985年)
“シュワちゃん”の愛称で知られるアーノルド・シュワルツェネッガーが、出世作『ターミネーター』の翌年に出演した痛快アクション。特殊部隊コマンドーの元隊長ジョン・メイトリックスが、誘拐された愛娘を助けるためにアジトを強襲する。

