「計画倒れの日々」文・長瀬ほのか|A Small Essay
ウェルビーイングな時間ってなんだろう。様々な人に、その人ならではの視点でエッセイを寄せてもらいます。
文・長瀬ほのか 写真/編集部
文・長瀬ほのか
私はこれまで何かを計画的にやり遂げたことがあっただろうか。いや、ない。
30代後半に差し掛かった人間の気づきとしては、かなり恐ろしいものがある。
子どもの頃から、夏休みの宿題に最終日まで追われていたし、やる気満々ではじめた進研ゼミの教材も溜めに溜め、結局やめさせられた。そんな風でも恥をかきたくないプライドと火事場の馬鹿力だけはあって、いつもギリギリでどうにかなってきた。それがよくなかったのかもしれない。
明確な失敗体験がないまま大人になった私は、文筆業でもやはり締め切りギリギリである。ぼんやりしたり、寝過ぎたり、歯石取りや粉瘤除去の動画を見ているうちに、あっという間に期限が迫ってしまう。私を買い被っている人は、「きっと書いていない時間にも意味があるのでしょう?」とフォローしてくれたりするので、「確かにそうかもしれません」などとアホ面で返しているが、歯石取りや粉瘤除去の動画を見た時間が活かされた文章というのは恐らくロクなものではないだろう。久しぶりに会った大学時代の友人からは、「わぁ、ほのちゃんってレポートとか論文とか、本当にいつもギリギリだったもんねぇ!」と、まるでMDウォークマンでも見たかのような、ただただ懐かしいという反応をされ、自分の成長してなさ加減を思い知らされた次第である。
そんな奴が何を言い出すんだと思われるかもしれないが、私は計画を立てるのが好きで好きで仕方がない。計画が趣味と言っても過言ではないくらい、常に計画しまくっている。
これも子どもの頃からそうで、夏休み初日には必ず宿題の計画を立てた。「ワークを1日何ページ……」「平日に本を読んで感想文を週末に……」「起きたらまず前日分の日記を書いて……」など、あれこれ綿密に考え抜いて表にまとめる。「予備日」を必ず設定し、想定外の事態に備えるのがポイントだ。最も想定外なのは己の実行力のなさだというのにご苦労なことである。翌日にはさっそくダラダラし始め、数日中に計画は崩壊。立て直しを余儀なくされるが、なんせ計画するのが好きなので、また計画ができるぞとわくわくする始末である。
月に何キロ痩せようだとか、何冊本を読もうだとか、毎朝6時に起きて走ろうだとか、計画を立てては倒し、立てては倒しの人生。もちろん、そんな自分に嫌気がさしている。しかし、サボった分を取り返そう! と気合を入れ直してまずやることといえばやはり計画で、同じことの繰り返しである。
どうして私は計画をやめられないのだろう。
それはたぶん、計画とは未来に思いを馳せる行為だからではないか。どうやら私はまだどこかで、自分には無限の可能性があると思っている節がある。生まれたての我が子に親が向けるような期待を、最近白髪がちらほら現れ出した自分自身に向けている。
計画は自分を信じている証だ。何度裏切られても、性懲りもなく自分を信じてしまう私は、本当に私のことが好きなのだなあ、と半ば呆れながら思う。
不本意ながら、この計画倒れの日々こそが、自己肯定の証明なのである。

Profile
長瀬ほのか/エッセイスト。1988年、北海道生まれ。東京都在住。「古生物学者の夫」がnote主催の創作大賞2024で双葉社賞エッセイ部門を受賞。初のエッセイ集『わざわざ書くほどのことだ』(双葉社)を2025年に刊行。


