歩きながらスケッチを描き、山への感謝を伝える絵師。 ローカルヒーローに会いに行く。vol.3
山を楽しんで、無事に帰ってきてほしい。その一助になるようにと、鳥の目で見た地図を描く。山からの恵みによって生かされていることを深く知る絵描きは、地元の山へと還元するための活動を続けている。連載「ローカルヒーローに会いに行く。」第3回は、山梨県の峰々を鳥瞰図として描く男・温絵文の物語。
取材・文/村岡俊也 撮影/阿部健
上空3000メートルからの目線で地図を描く。
秩父多摩甲斐国立公園に位置する景勝地、西沢渓谷の入り口には、その全体像を描いた絵地図が掲示されている。真上からの俯瞰ではなく、斜め上空からの鳥瞰によって描かれているために、距離と高低差の関係が把握しやすい。山行のイメージ作りを助ける鳥瞰図は、西沢渓谷ほか、乾徳山、乙女高原、大弛峠などにも設置されている。ところどころにウサギやカエルなどの小さな動物が歩いていて、ユーモアを感じさせる手描きの図には、「温絵文」(ぬくえもん)というサインが入れられている。

登山口に掲示された鳥瞰図。山行のイメージを助ける、とてもわかりやすい図。

可愛い動物の姿も描き込まれている。

温井さんは、実際に何度も沢に入り、地形を把握している。
「温絵文」こと温井一郎さんと初めて会ったのは、山梨県韮崎市出身のトレイルランナー、山本健一さんが進める「甲斐国ロングトレイル」を解説する冊子のための取材だった。それは甲府盆地を取り囲む峰々を繋いで一周するプロジェクトで、冊子では山梨各地の山岳人から話を聞くという企画だった。温井さんには、山梨各地の山岳を描いた鳥瞰図を見せてもらいながら、奥秩父の歴史について聞いた。山岳信仰や修験道など山の歴史についての知識もさることながら、その精緻な作品のおかげでルートの説明がとてもわかりやすかった。
温井さんは事もなげに「もしも、その冊子に使うなら、自由に使ってくださいね」と言った。温井さんにとって鳥瞰図は「山へ入る誰かの役に立つために」描いているものであって、芸術作品ではない。あくまでも地図であり、有用性こそがもっとも重要なファクター。「山に入って、楽しんで、また来てもらう。そのための一助となるなら、こんなに嬉しいことはないですから」と微笑んだ。実際にその冊子に鳥瞰図を掲載させていただいた。

以前に描いた甲武信ヶ岳近郊の山々のスケッチ。温井さんにとっては、日記のようなもの。

紅葉後のふかふかのトレイルを歩く。
顔を上げて全体像を把握しながら歩く。
温井さんに、どうやって鳥瞰図を描いているのか、具体的な手法を訊ねると、まずは山に登りながら、スケッチを取るのだという。山道を歩きながら、目についた風景をサッと描き、同時に植生や所要時間、気になったポイントを書き込みつつ、その場で彩色までしてしまうと答えた。見せていただいた横長のスケッチブックには、美しい山行記録が残されていた。
デコボコの山道を歩きながら、あんなに雰囲気のある絵を描いてしまうなんて。にわかには信じられず、撮影のために訪れた西沢渓谷の入り口で、実際に描いてもらった。あいにく小雨が降る寒い秋の終わりだったが、温井さんは雨を気にもせずにサクサクと歩きながら、ペンを走らせていく。もちろん一瞬立ち止まって山を見上げたりはするのだが、あっという間に山の輪郭を描き出し、ディテールを加えながら、その後には水筆を使ってパレットの絵の具を溶かし、彩色までこなしてしまった。ほとんど足元は見ずに、トレイルを歩いていく。
「足元を見ている方が危ないですからね。進む道の先を把握していれば、顔を上げて歩いた方が危なくない。だから熊が出ても、すぐに気づきますよ」
そう言いながら、下り道は素早くステップを踏んで走っていく。「ゆっくり歩いている方が危ない箇所もあるからね」と説明してくれたが、「絵を描きながらなんて危ないよ」と、時折、登山客から注意されてしまうこともあると笑った。安全靴に、シャツ。身軽な服装は、考え抜かれた達人のスタイルだが、なかなかそうは見えないのかもしれない。その注意をしてきた登山客の手元にある昭文社「山と高原地図」の執筆を担当したのが、実は温井さんだったりする。

水筆で、パレットの絵の具を溶かして、彩色していく。

西沢渓谷の入り口を歩きながら、ほとんど10分ほどで描きあげた鶏冠山の風景。
町職員として、測量のために藪漕ぎしていた。
温井さんは、2005年に山梨市に合併されるまで牧丘町の職員として、道路や河川、災害復旧などを担当し、合併後には観光課や農林課として、市内の山中を歩き回っていた。
「林道を通したり、橋を造ったりする時には、藪の中を鎌や鉈鋸を持って伐採しながら進み、杭を打って測量していくわけです。今ではコンサルティング会社に任せることが一般的ですが、それでは時間もかかるし、希望する形に仕上がらないこともある。地元の地権者の要望を聞いて、一緒に現場を歩けば、話が早く予算も削減できますから。山林原野を何キロも測りながら測量データを記帳していきます。横断方向、縦断方向、勾配、それらのデータを取って、帰ってきてから設計積算するわけです。その風景を一つの映像、写真として自分の頭の中に入れておかないと、図面に仕上げる際に間違いが起きますね。山の形状を自分の目に焼き付けておかなければいけないんです」
道なき藪漕ぎの測量に比べれば、整備されたトレイルを歩きながら絵を描くことなど、容易いのだろう。測量のために幾度となく山に入り、積み重ねられた山の全体像を把握する能力が、幼い頃から好きだった絵と合流したのが、鳥瞰図だった。
温井さんは合併後の最初の市長である中村照人氏から、「観光向きで山の案内ができる職員を」と指名を受けて、二人で山梨市内の山に登るようになった。中村市長は、山梨では山にこそ文化があり、それが下界の甲府盆地に伝わっていくと語っていたという。山の恵みこそ、山梨の文化の源である、と。その思いがジオパーク構想へと繋がっていくのだが、温井さんは中村市長と山に登りながら、役職の垣根を超えた交流を結んでいった。残念ながら、中村市長は在任中に志なかばで亡くなってしまうが、温井さんの鳥瞰図には、当時の思いも反映されているのかもしれない。
「西沢渓谷周辺で遭難が発生しているのに、一周何キロという看板もなくて、イメージが掴みづらい。それなら、俺が描くよということで、看板を描いたんですね。絵画だったら文字も入れずに、展覧会や美術館に出展しますが、私の絵は登山者や通行者の道案内としての立体地図なので、いろんな人に活用してもらえたらありがたいです」

当日のスケッチで描いた鶏冠山が、作品ではこう描かれる。谷間から雲が生まれ、迫力のある風景に。

自身が監修・執筆した地図を参照しつつ、鳥瞰図を描いた。
山岳画と地図との絶妙なバランス。
地図である以上、正確さが求められる。温井さんは、広いエリアの鳥瞰図を描く際には、「山と高原地図」と照らし合わせながら描く。地図を等分に割り、それぞれの区画の東西南北を正確に捉えながら、等高線を立体に起こしていく。山行の目印となるもののほか、地名やコースタイムも書き込んでいく。中には「山と高原地図」には記載されていない道を記した絵まであるという。
ただし、正確さに固執しすぎてしまうと、本来は見えない山の向こう側の道は描けない。あるいは山の形状も、角度によっては一般的にイメージする山とは違って見えてしまう。そこで、地図としての実用性を担保しつつも、多少のデフォルメや演出を加えて、よりイメージしやすい山の姿を描き出していく。その塩梅こそが、温井さんの真骨頂だろう。地図であり、絵でもある。鳥瞰図のそのバランスは、少しずつ変化していったという。
「地図としてずっと描いていましたが、どうしても説明的になると平面に近くなってインパクトがなくなります。それで地図ではなく絵の方に重みを持たせるようになっていったんです。それは、山岳画協会の理事長を長らく務めていた韮崎の武井清先生の影響も大きい。20年ほど前に、山梨日日新聞で先生の山の絵を見て、描き方を習いたいと思って会いに行きました」
現在93歳を超える武井清氏は、日本アルプスだけでなく、モンブランやマッターホルン、アイガーなどにも登頂し、山に登ることと絵を描くことが一致した日本を代表する山岳画家だ。温井さんの自宅には、武井から「一枚あげるよ」と言われて譲られた、迫力ある冬季の槍ヶ岳の絵が飾られていた。
「先生のところに自信作を持って行って、油性のマジックペンで直すべきところを書いてもらうんです。『構図が6割。描きすぎないように』とか、色や筆の使い方など具体的な技法だけでなく、写真では表現できない、絵だからこそできることを教わりましたね。絵を8割として描いた方が、見た目の深みも出てくるし、奥行きが違う。そういうアドバイスをいただいて、今でも半年に一度は、先生に絵を見ていただいています」

個展から帰ってきたばかりの作品を自宅の居間に並べてくれていた。

八ヶ岳。多少のデフォルメをしつつ、ダイナミックかつ地形が把握しやすい。
初期に描いた西沢渓谷入り口にある地図と、温井宅にある近作では、明らかに迫力が違う。より細密になっているのと同時に、地図を超えた存在感を放っている。
里にある細かな道などは、描かない方が迫力があるかもしれない。あるいは、雲で隠して仕舞えば、構図もスッキリするだろう。実際に、武井氏からもそうアドバイスを受けることが多々あるという。けれど、温井さんがずっと描いているのは、あくまでも「絵画としても成り立っているけれど、この山に登るためには、こういう道を行くんだよ」と示すための地図。多少のデフォルメを選んだとして、それはイメージを伝えやすくするための工夫に過ぎない。山岳画と地図のバランスを追求しながら、「何かに役立つ実用的な新分野としての絵を描きたい」と願っている。
「ありがたいことに原画を譲ってほしいと言われることもあるんです。でも、原画をお渡ししてしまうと修正ができない。だからね、手元に置いて、新しい道ができたり、通行止めになったりしたら、その旨を描き足しています」
山は恵みをもたらしてくれる場所。比喩的な意味ではなく、かつて奥秩父の山からは、木材だけでなく、さまざまな鉱物を採掘して東京へと送り出していた。今でも、清浄な空気や水を生み出している。温井さんは言う。
「山の恵みはが貴重でありがたいものだから、入り口には山の神が祀られています。柏手を打って、『登らせてください』と言ってから、その霊域に入らせていただくんです。自分たちが山を征服するんだという気持ちは好きになれませんね。六根清浄し、素直に謙虚になって、山の恵みに感謝して、新鮮な空気を味わう。日頃溜まったストレスも全て解放してくれて、しかも新しいエネルギーをいただける最高の場所。だから、何らかの形で恩返しをしたい。そんな気持ちで、描いています」

牧丘町西保地区の入り口に設置された案内図。自宅からこの場所に通って、一ヶ月かけて描いた作品。
Profile
温井一郎(ぬくい・いちろう)/温絵文(ぬくえもん)として、主に山梨県内の山の絵地図を描く。山梨市の登山道付近に絵地図を設置するほか、地元に貢献する活動を続けている。山梨県山岳連盟副会長、こまくさ山の会会長。また、三富山岳救助隊副隊長としても活動している。



