
自然の只中に身を置き、生活者の視点でガイドする。|ローカル・ヒーローに会いに行く。Vol.2
大会での成績よりもSNSの発信よりも、大切なことがある。メディアに登場することはほとんどなくとも、ローカルたちは知っている。そのストイックな姿勢を、素晴らしいバイブスを。リスペクトを集めるローカル・ヒーローはきっと、その街を少しずつ良い方向に導いていく。第二回は北海道の東、屈斜路湖畔に暮らしながら、一年を通じてその自然を楽しみ尽くし、伝える人。“アウトドアガイド”という枠を超えて土地の魅力を表現していこうとする、國分知貴さんのストーリー。
取材・文/小林百合子 撮影/根本絵梨子
2月、数年に一度の大寒波に見舞われた北海道。ここ数年、雪が少なくなっている北海道の東側でも久々の大雪となった。ほとんどの人が家で雪が止むのをじっと待っている中、國分知貴さんは嬉々として川へ向かい、カヌーに乗り込む。下るのは日本屈指のカヌーの聖地とも呼ばれる釧路川の源流部だ。

30kgほどあるカヌーをひょいと持ち上げて運ぶ。カヌーガイドは力仕事。

寒い日にはマイナス20度にもなる釧路川。雪が降る日は比較的暖かく、マイナス3度ほど。
「釧路川をカヌーで下る人の多くは夏の、それもよく晴れた日がいいと思うでしょうが、こんな雪の日も最高なんです。空から絶え間なく雪が落ちてきて、川に吸い込まれていく。周囲の音も一緒に川に吸収されるみたいで、ものすごく静かでしょう」

左/雪の日の釧路川。全く音がない静寂さが心地いい。右/冬の釧路川はカヌーを出す人が少なく、とても静かでゆったりしている。
國分さんが暮らすのは日本最大のカルデラ湖として知られる屈斜路湖畔。阿寒摩周国立公園の中にある家に住み、カヌーなどの自然ガイドと写真家という二足のわらじで地元の自然の魅力を伝えている。
片手で巧みにパドルを操りながら、もう片方の手で撮影する。國分さんにとって自然体験と写真は切り離せないもののようだ。

上/魔法瓶に入れてきてくれた温かいコーヒーがありがたい。パドルをトレーにしてほかの艇に渡す。下/から絶え間なく降る雪を撮影。パドルとカメラを忙しく持ち替えていた。
一晩にしてあらゆるものを白く覆ってしまった雪。空を見上げながら、「やっと降ってくれたなあ……」と目を細めてつぶやく。美しい雪の川を漕ぐことはもちろん、それと同じくらい嬉しいのは、待ち焦がれたスノーボードの季節がやってきたから。
地元ではカヌーガイドとしての顔がよく知られているが、じつはずっと経験が深いのはスノーボードなのだ。
「道東は北海道の中でも雪が少ないエリア。多くのスキーヤーやスノーボーダーは降雪の多いニセコや旭川周辺に行くので、このあたりでは滑り関係のガイド仕事というのはほとんどないんです。おかげでと言ったらアレですけど、冬は基本的に自分のために山に入って滑ってる感じです(笑)」

バックカントリーでスノーボードをするには板を二分割してスキーのように使えるスプリットボードを使う。滑り止めをつけ、この状態で山を登っていく。
主にカヌーを中心としたガイド業の傍ら、雪が積もると山を歩き回り、滑る。通年を通して地元の自然を探求し、写真家としてもその様子を記録し、発信している。
北海道東部、今暮らす弟子屈町の隣町、中標津(なかしべつ)町で生まれ育った。1歳上の姉と6歳下の妹に挟まれた長男で、アウトドアをこよなく愛した父親は幼い頃から釣りや自転車、スノーボードやサーフィンなどに連れ出しては一緒に遊んでくれた。

屈斜路湖の外輪山のひとつ、藻琴山を登る。この日は木々にびっしりと霧氷がついて、特別に美しかった。
「小学校の夏休みの自由研究では毎日町内の川という川を自転車で走り回って、どの川でどんな魚が、どれくらい釣れたかを調査。ニジマスとかイワナ、アメマスとか、釣った魚を料理して食べるところまで記録するというのをやりました。今やってもめちゃくちゃ面白い研究だと思うんですけど、そういうきっかけをくれた父親には感謝してますし、それが今の仕事とか生き方にすごく影響してます」
小学校高学年からはスノーボードに熱中。近所の裏山に雪のジャンプ台を作るなどして、ゲレンデとはまた違う山の中で自由に滑る楽しみを知った。中高時代も滑り続け、高校卒業前には雑誌広告でニュージーランドでのスノーボード留学を見つけ、胸を高鳴らせた。
「スノーボードの雑誌なんかを見ていると、みんなすごく自由に、やりたいことをしながら生きている。自分もそんなふうに生きたいと漠然と思っていたのですが、結局留学のことは言い出せませんでした。『あんた、何言ってるの!?』って親に言われるだろうなって思って。でもとにかくスーツを着て会社勤めするのは嫌だったから、子どもの頃から好きだった料理の道に進もうと。たぶん田舎町で唯一、自由そうに見えたのが料理人だったんでしょうね」
札幌の調理専門学校で学び、20代半ばまでは料理を生業にしてきた。転機が訪れたのは26歳の頃。しばしば遊びに出かけていたニセコで、理想の生き方をしているアウトドアガイドたちに出会った。
「夏はラフティングガイドをやって、冬はスキーやスノーボードを楽しむ。時には沖縄や各地の川へ出向いてガイドすることもあると聞いて。とにかく自由だし、めちゃくちゃ楽しんでる。自分は朝から晩まで働いてヘトヘトなのに、なんでこの人たちはこんなふうに生きられるんだ⁉︎って。羨ましいを通り越して、ショッキングでした」
かつて子どもの頃に憧れた生き方をする人たちが同じ北海道の中にいた。「自分も好きなことをやっていこう」とニセコに移り、ラフティングガイド会社が経営するカフェのマネジャーをしながらガイド修行に入った。
自然の中で働きながら、空いた時間には自分のために滑る。それほど幸せな生活はないと思った3年間だった。
30歳を前に母親が体調を崩したこともあり故郷の中標津に戻ったが、ニセコでの暮らしが頭を離れることはなかった。好きなことをやっていきたい。母を看取った後、その思いは高校時代に憧れていたニュージーランドに向かった。
長い旅をするための資金づくりのために始めたのが、これまでの経験を活かせるカヌーガイドの仕事。幸いなことに隣町の弟子屈(てしかが)町はカヌーの聖地だった。
「ニセコでは仲間と一緒に滑ったり、BBQしたり賑やかに遊んでいたんですけど、こっちは同年代の仲間もほとんどいなくて、とにかく静か。悪く言えば地味なんですけど、ひとりで近所を散歩していてもすごく美しくて、楽しい。春になると、ああ、この鳥が来たなとか、初夏に新緑が出てきたなとか、冬には屈斜路湖に白鳥が渡ってきたなとか、季節が移り変わることだけでこんなに感動したのは初めてで。遊ぶんじゃなくて生活する。ただ生活しているだけで、こんなにも面白い。徐々にそこに魅力を感じるようになってきました」

藻琴山の尾根に出て、滑る斜面を探す。後ろに見えるのは知床の斜里岳。

山を下りながら、いい斜面があれば滑る。木々の間を縫って滑るツリーランはバックカントリーならでの楽しみ。
晴れた日のカヌーやパウダースノーでの滑り。どちらも最高に違いないが、自然の只中に暮らし、日々その移り変わりを見つめるうちに、そうではない魅力も見えてきた。真冬の釧路川ダウンリバーもそのひとつだ。
「観光的な観点だけではなく、胸打たれる風景や、体験したことのない遊び方というのはいくらでもあって、それはその土地に暮らす人だけが知るある意味特別なもの。例えば屈斜路湖が凍結した日には湖の上でスケートをしたり、クロスカントリースキーで森の奥へ自由に入っていったり。ここで暮らしている人たちが日常的に遊んでいるやり方で自然を楽しんでもらえたらいいなと思うようになって」
今、國分さんの頭の中には、自分が生活する土地の自然や暮らしを丸ごと楽しんでもらうためのあるプランがうっすらと描かれ始めている。

國分さんが暮らすのは屈斜路湖まで歩いて5分ほどの森の中。傷みの激しかった古いログハウスをほぼ自力で修復した。
「自宅の隣に宿を作って、泊まった人に薪割りとか、薪を使った風呂沸かしとか、暮らしを楽しんでもらう。その日の状況や気分で外に遊びに行ってもいいし、写真が好きな人は一緒に撮影に出かけてもいい。春なら山菜をとりにいって一緒に料理するのも楽しそう。それは全部、自分がここでの生活を通して面白いと思ったことなんですけど、すごく創造的で。なんていうか人間として本来持っている力がどんどん目覚めていく感覚があります。ガイドに導かれるままに楽しむだけではなくて、体験を通じて何かその感覚に気づいてもらえるようなきっかけを提案していけたら、それはこの土地ならではの魅力も発信にも繋がるのかなと」
たっぷりと雪が積もった翌朝、國分さんは愛犬のカイと一緒に森へ出かけた。クロスカントリースキーを履いて腰にロープをつけると、片方をカイのハーネスに結ぶ。

凍結した屈斜路湖の上で、愛犬のカイと。

どんな時もカメラを持ち歩く。自然はもちろん、人を撮るのも好き。
散歩を待ちかねていたカイが走り出すと、それに引っ張られるようにしてスキーを履いた國分さんがスイーっと前に進む。まるで犬ぞりのようだ。

クロスカントリースキーをはいて、カイと散歩。冬だけの楽しみ。
なるほど、確かにこれはどこのガイド会社でもやっていない。カイに引っ張られて森を進むと、一部が凍結した屈斜路湖に出た。観光ガイドには掲載されることのない普段着の屈斜路湖はどこまでも静かで、スキーがあればどこへでも歩いていける。

夕暮れの屈斜路湖。2月に入ると湖は凍結し、温泉が湧く周辺だけが水をたたえる。
「観光というのは本当に難しいですよね……」と國分さんがポツリと言う。それはおそらく、このエリアで進む観光開発計画と無縁ではない。実際、特にここ数年はインバウンド客の増加もあり、屈斜路湖や釧路川源流部をはじめ、国立公園全体の利用状況、そして利用者層に変化を感じるようになってきた。地域活性化の側面では喜ばしいことだが、そのバランスを取るのは簡単ではない。
「いろいろな立場の人がいて、みんな思うところがある。でも、ただ文句を言っているだけじゃ何も変わらないんですよね。自分の中に理想の地域や自然、観光の形があるのだとしたら、やっぱりそれを口に出して、行動に起こしていくべきだし、ここに暮らして自然を生業とする人間の責任だとも感じます。自分の声なんて小さなものかもしれないけど、何も主張せずに理想の形を求めるというのはやっぱり違うと思うから」

屈斜路湖では毎年11月ごろには極北から白鳥が渡ってくる。4月上旬まで過ごし、春の訪れとともに北へ帰っていく。
この春、國分さんは日本を代表するスキーヤーが行うパキスタンでの遠征に撮影担当として同行することが決まっている。標高5000mのカラコルム山脈にある氷河を約30日間かけて歩き、滑走する冒険的なスキー行だ。雪が圧倒的に少ない道東で活動してきたスノーボーダーにとっては大抜擢といえる。
「それもひとつ自分にとっては大きな経験になると思っていて、遠征の写真を通じて自分の存在を知ってもらえるとしたら、そんなに嬉しいことはありません。でもだからこそ、地元に根付いた写真もしっかりと世に出して表現することで、多くの人にこの土地や自然のあり方を考えるきっかけにしてもらえたらと思っているんです」
パキスタン遠征を前に、数年間撮り溜めた地元での暮らしや自然の風景を集めた写真集を編んでいる。
「外の世界で刺激的な旅をしたり、遠征的なものに挑戦したりすることは、自分の人生のひとつのチャンネルとして欠かせないこと。冒険は新しい世界を見せてくれますが、同時に、今自分が暮らす場所のかけがえのなさを教えてくれる。遠征や冒険から戻った翌朝、家のベッドで目覚めて、妻とカイと湖まで散歩にいく。その瞬間、いつもなぜか涙が出そうになるんです。約2ヶ月にわたるパキスタン遠征から戻った時、この土地の自然や暮らしがどう映るのか。それもきっと何か大切なことを教えてくれるだろうなと思っているんです」
自然を“ガイドする”とは、どういうことなのか。その答えは、その人が自然とどう関わっていこうとするかによって大きく変わってくる。従来の枠組みや考え方に捉われず、暮らす土地の自然の魅力を自分の感性とやり方で伝えていくこと。國分さんの存在は、そんな新しいガイディングの可能性を見せてくれる。

Profile
國分知貴(こくぶん・ともき)/1986年、北海道中標津町生まれ。 札幌、ニセコエリアで料理人、ラフティングガイドを経て2016年に中標津町へUターン。現在は弟子屈町の屈斜路湖近くに暮らし、アウトドアガイドや写真家として自然の魅力を広く伝える。
HP:https://www.tomokikokubun.com

國分さんは今年夏を目指して写真集を現在制作中。7年間の道東での日々をまとめた作品だ。テーマは「私の道東」。壮大な自然の風景だけでなく、家族とのささやかな日常の風景も収めることで、この地に暮らす自分にしかできない道東の表現を目指している(撮影/國分知貴)