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スキーが連れてってくれる町。|Vol.4妙高エリア(新潟県)
都会からの物理的な距離に価値があると気づくのは、静寂の中で雪が落ちる音を聞く瞬間かもしれません。〈LICHT〉の須摩光央さんによる、連載「スキーが連れてってくれる町」。第四回は、妙高エリア。静かな平日のスキー場で、日本のスキー文化について思考を巡らせる旅。
撮影/須摩光央(LICHT) 取材・文/村岡俊也
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今日のランチは、信濃町にある〈バラックマーケット〉へ。地域とのつながりを大切にしたファーマーズマーケットの奥にカフェスペースがあって、マオリさんが、火曜と水曜だけ、自然派のランチをつくっている。僕は彼女がつくるご飯が好きなので、立ち寄っては、だらだらと夕方まで居てしまう。名前のごとくバラック小屋のようで、内装もハンドメイド感が満載。心身がとてもゆるんでしまう。右は、こちらも大好きな〈Myoko Coffe〉のソフトクリーム。
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関越をずっと上がっていけば湯沢、もう1時間走った先に妙高があって、その1時間で人が振り落とされていく。東京からは4時間近くかかるけれど、おかげで静かな時間を過ごすことができる。妙高山、三田原山、赤倉山などのピークをまとめて妙高と呼んでしまうけれど、その山域はいくつものスキー場を抱えていて、その日の状況、同行者のレベルに合わせて、どこに行くのかを決めることができる。今回訪れたのは、〈妙高 杉ノ原スキー場〉。
早朝、到着したら少し散歩をする。濃霧も相まって、自然の中に体が溶けていくようで気持ちが良い。都会の喧騒から、あるいは決まりきった時間から、少しずらして、本来の自分を確かめるような感覚になる。リフトを登って少し森に入ると、ゲレンデに比べて風の影響も少なく、積もった雪の保存状態が良かった。
時折、枝からドサっと音がして、雪が落ちる。見るからにやわらかい雪面を、板を潜らせて、イルカのように浮き沈みを繰り返しながら泳いでいく。木々をくぐり抜け、小動物の足跡を横目に、自分が選んだラインを自在に進んでいく。また雪が降れば、いや風が吹くだけで、僕が滑った痕跡なんて消えて無くなるはずだ。
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〈レストラン・アンサントン〉のかぼちゃプリン。寒い中で体を動かすと甘いものが食べたくなる。スキーに行くから出会える味も、スキー文化の周辺と言えるかもしれない。
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スキー場から車で5分ほどの場所にある〈そば処たかさわ〉。ストーブの上の大根煮が、体にも心にも沁みる。地粉を使った蕎麦はもちろん、お母さんたちが揚げてくれる天ぷらも、とても美味しい。この風情こそ、僕がスキーに行く度に探し求めているもの。「日本って、いい国だな」と、つくづく思う。
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ランチにはスキー場から車で5分ほどの〈そば処たかさわ〉へ。鄙びた風情に、心が揺れる。ただいまという気持ちで、ストーブの上に置かれた大きな鍋を覗き込む。大根煮に、頬が緩む。入口には信濃町生まれの小林一茶の句が石碑にあった。「そば処の たんを切りつつ 月見哉」
妙高から30分ほど移動した上越市には、その名も〈日本スキー発祥記念館〉がある。1911年にオーストリアのレルヒ大佐が上越の金谷村でスキー講義をしたのがきっかけで、スキーが日本に浸透していったという。軍隊のほか、村の郵便局がスキー技術の取得に積極的だった。
この地域を中心に、閑散期の大工や小さな木工所がスキー板を製造し、たくさんのスキーメーカーが生まれたが、残念なことに今はもう一つも残っていない。スキーにまつわる文化とは、どんなものを指すんだろう。
妙高高原のビジターセンターの中にある〈Myoko Coffe〉のソフトクリームも、あるいはそのひとつかもしれない。リッチな味は病みつきになる。スキー場の中腹にある〈レストラン・アンサントン〉のかぼちゃプリンもそうか。体を動かすと、甘いものが食べたくなる。
まだローカル感の強い妙高エリアでも、外資系の企業が大規模な土地を買って開発を行う予定があるという話を聞いた。長い時間をかけて育まれてきた、季節と共に巡る小さな感情の機微をどうか壊さないようにしてください。ニセコや白馬を見るにつけ、それは難しいことなのかもしれないけれど。
日本海の夕暮れを見て、友人から勧められた〈寿し芳〉で、新潟の米と直江津漁港から届く新鮮な魚介の寿司をいただく。今回の旅も最高だった。
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1911年にオーストリア・ハンガリー帝国の軍人、テオドール・エドラー・フォン・レルヒ少佐による、本格的なスキー指導が、日本のスキー発祥という。〈日本スキー発祥記念館〉はその80周年を記念して、1992年にオープン。当時の道具や文献が展示されていて、スキー好きは良い時間を過ごせます。
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Information
妙高エリア
〈妙高 杉ノ原スキー場〉までは、上越道、妙高高原ICから県道39号線でおよそ10分。または長野駅から、しなの鉄道北しなの線妙高高原駅から路線バスで約30分。周囲には他に〈赤倉温泉スキー場〉〈池の平温泉アルペンブリックスキー場〉などがある。