スキーが連れてってくれる町。Vol.8 ニセコ(北海道)

スキーは自然と向き合うアクティビティというだけでなく、それ以上の価値をもたらしてくれたと〈LICHT〉の須摩光央さんは言います。生きることへの根源的な問いに対する答えさえ、スキーを通じて感じているのではないか、と。連載「スキーが連れてってくれる町」第8回では、自分を見つめ直すきっかけとなった町、ニセコへ。

撮影/須摩光央(LICHT) 取材・文/村岡俊也

新千歳空港でレンタカーを借りてニセコへ向かう。小さなニセコ駅に併設された「茶房ヌプリ」で遅めのランチ。先代が高齢で店を閉めると聞いていたけれど、数年前から引き継いだ方がいて、変わらぬカレーライスやハンバーグを提供してくれる。

北欧家具を取り扱う店〈HIKE〉を開いてから数年後、忙しさのあまり体調を崩し、心の健康も損なっていた。スキーからも遠ざかって、鬱々とした日々を送っていた時期に何気なく寄った書店で手にしたスキー雑誌に、とんでもない雪山を滑走するスキーヤーの写真が掲載されていた。それまでゲレンデスキーしか知らなかった僕には衝撃的だった。写真家の名前は渡辺洋一、スキーヤーは高梨譲とクレジットされていて、巻末には二人がニセコ在住と記されていた。何かが変わるきっかけになるかもしれないと妻に相談し、翌年、僕らはニセコに向かった。

山道具を販売する小さなストアのドアを恐る恐る開けると、そこには高梨本人がいて、僕は「山スキーをやってみたい」とシンプルに伝えた。すると彼は「わかりました、明日8時に来てください。道具は全て用意しておきます」と言った。翌朝、ドアを開けると知らない男が二人。写真家を目指しているという青年・小橋城と、その師匠である渡辺洋一だった。カウンターの向こうから高梨もやってきた。それが16年前の冬。以来、僕はバックカントリー・スキーに傾倒し、毎年ニセコに通うようになる。

ニセコで暮らす写真家、渡辺洋一さん邸(左)と、高梨譲が営むスキーショップ〈トイル〉へ立ち寄る。

どんな事象に自分の心が動くのか。健康を損なうと、それすらわからなくなってしまう。純粋な好奇心に従って喜びを求めることは、自分がどういう人間であるかを再確認する行為なのだと思う。ニセコに通って再び深くスキーを楽しむうちに、心身は回復していった。その過程で得たエネルギーを、人間関係や社会に還元していく。すると循環が生まれ、自分はその中にいる小さな点なのだと知っていく。僕は雪山を通じて、生きることを教わった気さえしている。素直に心に従って楽しむことは、とても社会的な行動なのだ、と。スキーは僕の人生を救い、支えてくれるものになった。その意味において、高梨譲と渡辺洋一は、僕の命の恩人だ。

僕らはニセコの喧騒を避け、スキー場から車で20分ほどの場所にある小さなコテージにステイする。ニセコは外資系ホテルが乱立し、地価が上がり続けている。風土と文化へのリスペクトを! その思いは年々強くなる。

変わってしまったニセコの街の喧騒から離れた小さなコテージにステイしている。僕らが雪山の文化として大切にしたいことと、インバウンド向けの開発には大きな隔たりがある。彼らに風土や土地に対するリスペクトはなく、自分たち好みの街を形成していく。ニセコ周辺の山々にも、もはや静けさはないと、高梨は言う。静寂は、自然と対話するために大切な要素のひとつであり、便利さの裏でかけがえのない価値が失われていく。

それでも高梨のガイドで雪山へ向かえば、そこには僕の心を動かす風景が広がっている。左側に羊蹄山、右側にアンヌプリ山を望むピークで、登攀用のシールを剥がして滑走の準備をした。大きな斜面を前にして、仲間たちに「先に行かせてほしい」と珍しく声をかけた。板を下方に向け、ドロップイン。大きなうねりのような斜面が続いている。滑って近づいていくと高さがあることがわかり、ボトムから一気に加速して上り詰め、瞬間的に重心を抜いて鋭利なターンを刻む。

ボトムには昨晩の風で吹き溜まった雪。トップの雪は、もっと軽く感じる。4、5回のターンを繰り返して平地に着き、振り返ると自分が通ってきたラインが足元から続いている。その先で仲間たちが手を振っていた。これに勝る充足感は、ない。足元から伝わった感触は、東京に帰ってきた今でも容易に思い出せる。きっと来年も再来年も体で覚えた記憶は消えず、酒の肴になるだろう。振り返れば、今季のベストランだった。

ニセコ駅近くの居酒屋でしっぽりしていたら、スキー場から遠く離れたここにも海外からのゲストが来ていることに驚く。二階席で揉めていて、警察官まで出動する事態に。頼むから、静かにしてくれ。

ニセコ スキー場

混雑するニセコスキー場では滑らず、車で1時間のキロロスキー場へ。バリエーションが豊富で、人が少ないゲレンデを満喫する。昼にはスキー場を出て、小樽へ向かった。

小樽から30分、僕が大好きなパン店〈エグ・ヴィヴ〉へ。街から遠く離れた岸壁に小さく佇んでいる。目の前の日本海は、その日も荒れていた。ニセコ滞在中に食べるクロワッサンと妻へのお土産としてハード系のパンを購入。毎年の恒例行事。もう一軒、ニセコ町の隣街の真狩にある〈ブーランジェリー  ジン〉も忘れてはならない。羊蹄山からの伏流水が、美味しいパンを生むのだろうか。

二日後、もう一度、高梨のガイドで羊蹄山へ向かった。仲間たちとおしゃべりをしながらゆっくりハイクアップしていく。何日も同じ屋根の下で生活し、温泉に浸かり、雪山へと登る。単純な繰り返しだが、時間を共にすることには、言葉にならない深い価値があるのだと気づく。人と人との繋がりや絆は、そうやって生まれて、時間が積み重なるほどに深くなっていく。爺さんになるまでずっと続けばいいと、心から願う。

高梨のガイドで、蝦夷富士としても名高い羊蹄山へ。登ってよし、滑ってよし、眺めても美しい。

宿に帰る途中で温泉に立ち寄り、スーパーで買い物して、みんなで鍋を作る。けど、みんな食事の前に猛烈にパソコンに向かっている。休暇で来ていると言えどみんな仕事熱心だ。ひとりひとり自分のタイミングでビールを飲み、箸をすすめていく。それでいい。特別でもないいつも通りの夜が更けていく。

Information

ニセコ
ニセコ町は、東に羊蹄山(1898m)、北に国定公園ニセコアンヌプリ(1309m)を抱く山岳リゾートとして知られる。新千歳空港からは小樽駅経由でニセコ駅へ。車ではおよそ2時間。ニセコアンヌプリ国際スキー場、ニセコグラン・ヒラフなどスキーエリアが広がっている。