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中谷潤人(プロボクシング)|“ビッグバン”を地で行く異次元チャンプの矜持。
主要4団体の世界王座を日本人が独占するプロボクシングのバンタム級。なかでも恐ろしいまでの強さで圧倒的な存在感を放っているのがWBC王者の中谷潤人だ。3度目の防衛戦の直前に直撃した。
「自分はどんなときも気持ちに波がなく、適度な緊張感は持ちながら淡々と試合に臨むタイプ。練習のほうがハードなのでリングに上がったら“やってきたことをやるのみ”という感じでしょうか。今回のタイトルマッチに向けても、今までで最も身長の高い相手を想定し、年明けから自分のルーティンであるロサンゼルスでの実戦練習でスパーリングを150ラウンド以上こなしながらいい感覚を摑みました(結果は圧巻のコンビネーションブローからの強烈な左で3ラウンドKO勝利!)」
子供の頃から、「他の人と違うことをしなさい」と両親に教えられていたという。
「中学卒業後に単身アメリカに渡った選択は間違っていなかったと思います。ボクシングを始めた13歳の頃から世界王者になると思い、その根拠のない自信がプロに入って確信に変わりました。今年でデビュー10年目になりますが、統一戦やパウンド・フォー・パウンド1位など、まだまだ高みを目指して多くの人の記憶に残る存在になりたいです。周囲の期待値を常に上回っていくのが自分の仕事ですし、また左のフィニッシュブローを打つタイミングも皆さんの興奮材料でもあると思うのでそこも想像を超える形で出していきたい。今後も“ビッグバン”を楽しみにしておいてください! 」
中谷潤人(なかたに・じゅんと)/1998年、三重県生まれ。M.Tボクシングジム所属。2015年にプロデビュー。全日本新人王、日本王座を経て20年にWBO世界フライ級、23年にWBO世界スーパーフライ級王者。昨年2月にはWBC世界バンタム級タイトルを獲得して3階級制覇。2月24日に3度目の防衛を果たす。通算30戦30勝(23KO)。
鈴木千裕(総合格闘技)|漂う“ヒーロー”感。この男、名勝負率100%。
ゴングが鳴るやスピード全開、そして荒れ狂うようにパンチとキックをフルスイング。そんな前時代的破天荒さが鈴木千裕の魅力だ。
「3歳で始めた伝統派空手からずっと格闘技の世界にいて、その全てに自分は生かされています。実は(パンクラス時代に)一度、計量オーバーで試合を中止にしてしまったことへのけじめとして格闘技をやめようと思ったことがありまして。でもジムの会長が“キックで再起してみろ”と言ってくれて、キック一本でちゃんとプロフェッショナルな王者になってもう一度総合格闘技に挑もうと。それでも総合で再起したRIZINデビュー戦は負け。さらにハッとさせられました。練習環境も内容も全てを変えなきゃ強くなれないって。以来、吸収できるものは全部取り入れようと。だから僕、出稽古にめっちゃ行くんです。一日に100km以上運転することもざら。それこそ年末にクレベル(・コイケ)に寝技で負けたから今は彼と柔術を練習しています。考え方はシンプル。負けた事実は変わらないから次勝つために必要なものを最短で手に入れたい。ならば直接学ぼう、以上、レッツゴーという感じ。面白いですよ」
まっすぐな性格はリングの外でもそのまま。近年は子供向けの無料イベント開催や児童養護施設訪問など社会貢献活動にも力を注ぐ。
「試合をする、ファイトマネーをもらう、子供たちに還元する、彼らが喜んでくれる、だからまた勝って稼ぐ、そのために練習する……そのサイクルを引退するまで続けることが自分のテーマです」
鈴木千裕(すずき・ちひろ)/1999年、東京都生まれ。3歳から空手を学び、中学1年時に総合格闘技を始めて17歳でパンクラスデビュー。MMAを一時休止し、2021年にキックボクサーとして初代KNOCK OUT-BLACKスーパーライト級王座を獲得。RIZINデビュー戦でMMAを再開。23年に第5代RIZINフェザー級王者に輝く。
龍聖(キックボクシング)|世代を超えて、目指すは2代目「反逆のカリスマ」。
この4月で24歳。龍聖は若さと実力を兼ね備えた今最もアップカミングなキックボクサーである。
「魔裟斗さん時代のK—1が大好きだった父の影響で、7〜8歳の頃に格闘技に目覚めてキックボクシングを始めました。やってみたら楽しくて、ただただ続けるうちに今に至りました。真面目にキックボクシングのどこが楽しいか? と質問されると答えるのが難しくはあるんですけど(笑)、とにかく大好きです。とはいえそれだけではやっていけない世界。上には上がいて、ライバルもみんな人生を懸けて挑んでくるのでどんな試合も一筋縄ではいかない。プロになって以来その厳しさを何度も味わっていますね。それもあって試合の3週間くらい前からはグロッキーになるくらい自分を追い込みますし、早く試合が終わってほしい気持ちでいっぱい。なのに終わったら勝っても負けてもまたすぐにキックボクシングがやりたくなる。格闘技は不思議ですよね」
そんな龍聖が目指す将来の“プレイヤー像”とは?
「自分より巧い選手はたくさんいるけど、自分より気合が入っている選手はそういないと思っています。その持ち味を前面に打ち出して、勝敗さえも凌駕するような“令和の反逆のカリスマ”になることがキックボクサーとして僕が目指す高みなんです」
龍聖(りゅうせい)/2001年、神奈川県生まれ。19年のプロデビュー以来、初代KNOCK OUT-BLACKフェザー級王座を獲得するなど無傷の17連勝を飾ってキックボクシング界の次世代を担う存在として注目を集める。24年12月にISKA世界スーパーフェザー級王者を獲得。25年3月23日、ビッグイベント『ONE 172』に初参戦。
伊澤星花(総合格闘技)|完全無欠のMMA女王はもはや国内に敵なし!?
2020年のデビュー以来15連勝。女子総合格闘技界に彗星のごとく現れ、瞬く間に軽量級の最強女王へと駆け上がった伊澤星花。MMAとの出合いは偶然だった。
「4歳で始めた柔道を大学まで続けていたのですが、ちょうど大学院に進むタイミングでコロナ禍になり、もっと柔道をやりたいと思っていたのに試合がない、練習もできない。そんな時に総合なら試合があるというので始めた感じです。最初は人の顔を殴ることに抵抗がありました。大学が教職課程だったこともあって(笑)、怖さというより道徳に反するんじゃないかと。ちゃんと殴れるようになったのは打撃を“技術の交換”と捉えられるようになってから。そこからどんどん総合の奥深さにハマっていきました。(いまだ無敗であることについては)全然意識していないですね。やりたいことを試合で表現しているだけと言いますか。私、総合を始める時に柔道をどこかに置いてきたんです。経験にこだわらず、本当にゼロから総合を始めたことが成長速度の速さに繫がっているのかなって」
今、自信があるのは何よりもグラップリング。
「そこで自分が負けるわけがないと信じているから試合でもプレッシャーは一切ない。芯を持って、自分を貫ける人だけが本当に強くなれると思っているのでこれからもそのスタイルを続けたいです。最近、女子格闘技ってどこか舐められてるなってすごく感じるんです。だからそういう人たちを黙らせるくらいの闘いをしてシーン全体を盛り上げていきたいですね」
伊澤星花(いざわ・せいか)/1997年、栃木県生まれ。4歳で柔道、小学4年でレスリングを開始。大学院まで柔道を続けながらコロナ禍をきっかけに総合格闘技を始め、2020年にDEEP JEWELSでデビュー。RIZIN.33で女子スーパーアトム級王者・浜崎朱加とのノンタイトル戦に勝利。22年そのダイレクトリマッチを制し同王座獲得。
桜庭大世(総合格闘技)|飄々とした風貌に父の面影が滲む、天才2世。
24年大晦日に衝撃的なRIZIN秒殺デビューを飾った“桜庭”に、多くのオールドファンが心を震わせたはず。飄々とした表情や語り口も親譲り。格闘技を始めた理由からして、さすがの一言だ。
「RIZINで勝ったらモテるかなと思って。ワーッていう歓声を浴びたかったみたいなところもありますかね。デビュー戦は全然緊張しなかったです。普段ちゃんと練習しているから試合になれば勝手にカラダが動くと思っていました。勝ったら世界が変わるだろうなっていう良いイメージだけを持って、得意な寝技に繫げるために練習から打撃をバンバンやっていこうと。セコンドにいた桜庭和志は、一言“お前のいいところを出せ”と。そもそも普段から性格的にああしろこうしろと言わない人なのでいなくてもよかったんですけど(笑)、おじさんファンの皆さんは喜んでくれましたね」
それでも父の名前と存在は彼が格闘家として生きていくうえでの大きな活力になっている。
「この人には敵わないなって思うのは格闘技好きのレベル。今でも誰よりも楽しそうに寝技の練習をしているのをすげえなって思いながら見ています。桜庭という名字のおかげで勝ったら良く言われる分、負けたら人の何倍も叩かれると思いますけど、それは格闘技を始めた時から覚悟していること。むしろ僕にとってこの名前はプラスでしかない。将来はお父さんみたいに感情移入されやすい選手になりたいですね。近所のお兄ちゃんとか親戚にいそうなのに、どこか人間離れしているような」
桜庭大世(さくらば・たいせい)/1998年、神奈川県生まれ。かつて“IQレスラー”としてPRIDEで絶大な人気を博した桜庭和志の長男。バックボーンは柔道。会社員を経て24歳から総合格闘技を始めた異色派は、父主催のQUINTETで実戦デビュー。プロ初戦となった昨年大晦日のRIZIN.49では、試合開始26秒、パウンドで矢地祐介からTKO勝利。
藤波朱理(レスリング)|レスリング界の新時代を切り開くニューヒロイン。
世界有数のレスリング大国である日本に、また新たなヒロインが出現。24年のパリ五輪決勝で相手に1ポイントも与えずに53kg級の金メダルを獲得した藤波朱理は、なんと中学時代から公式戦139連勝中。正真正銘のモンスターだ。
「ずっと一番の目標にしてきた舞台で金メダルが獲れて2024年は最高の一年でした。実は24年の3月に大きな怪我(左肘の脱臼と靱帯断裂)をしてしまって。当初は五輪に間に合うのか不安で落ち込みましたが、気持ちを切り替えて自分に起こることには全て意味があると考え、食生活を見直したり下半身を鍛え直したり、あと自分や相手のレスリングを動画で研究し続けました。やれることに集中した結果、復帰後に良い形でピークをパリに持っていけました」
強さの源は、あどけない表情の裏に隠された無限の向上心だ。
「レスリングは道具を使わず、コスチュームにも摑めるところがなく、ほぼ裸のような状態で闘うからこそ“人としての強さ”が問われる競技。そして私にも言えることですが、たとえ身体能力が高くなくてもレスリングと真剣に向き合って考えて、努力すればするだけ結果に繫がるスポーツだと思っています。だからもっともっと強くなりたいし、自分の限界を知るまで突き詰めたいですね。今年から57㎏級に上げるのですが、そこでベストのパフォーマンスが出るんじゃないかと期待しています。次のロサンゼルス五輪に向けて、自分自身が53kg級以上の藤波朱理を見てみたいんです。満足してしまったら、そこで終わりなので!」
藤波朱理(ふじなみ・あかり)/2003年、三重県生まれ。父と兄の影響で4歳からレスリングを始め、高校1年で53kg級インターハイ優勝。2年時から全日本選手権を連覇し、3年時に世界選手権制覇。日本体育大学進学後は23年の世界選手権、アジア大会、24年パリ五輪でも金メダルを獲得。中学時代からの公式戦連勝記録は「139」。