極真世界王者の人生から紐解く、格闘技の思考術。
極真空手界のレジェンドといえば、八巻建志さんだろう。いじめられっ子から、世界王者へ。栄光と挫折の中で、彼はどのように自分を律してきたのか。格闘技を極めし者の人生から、その鍛錬がメンタル、思考にどう影響を及ぼすのかを考察する。解説は“戦う認知心理学者”こと大久保街亜先生。
取材・文/石飛カノ イラストレーション/三上数馬
初出『Tarzan』No.899・2025年3月19日発売

教えてくれた人
大久保街亜(おおくぼ・まちあ)/専修大学人間科学部教授。専門は認知心理学。日常認知と左右差の研究に取り組む。自らもブラジリアン柔術や総合格闘技の大会に優勝・入賞するなど格闘技に精通。本記事の解説を担当。
八巻建志(やまき・けんじ)/全日本ウェイト制空手道選手権大会優勝、全日本空手道選手権大会優勝、百人組手完遂、全世界空手道選手権大会優勝と、極真史上初のグランドスラムを達成。2022年に極真会館総本部師範に復帰。
目次
壮絶ないじめ体験が人生の一大目標に繫がった。

行動を起こす前に目標を立てる。一般的に小さな目標をひとつずつクリアしていくのが正解だが、最終的な大目標を立てることも有効。
「子どもの頃は格闘技が好きというキャラではありませんでした。体型もタッパがあるわりにガリガリで」
と言う八巻建志さん。今では考えられないが、中学時代は壮絶ないじめの標的となり、複数人から暴行を受ける地獄の日々が続いたという。
「やられるがままの自分が嫌で何度も自殺を考えました。そんなとき、弱い主人公が強くなっていく空手の漫画を読んで閃いたんです。空手の世界チャンピオンになればすべて解決するじゃん!って。歴史の教科書の裏表紙に世界チャンピオンになって表彰台に立っている自分の絵を描いたのを覚えています」
大久保街亜さんの解説。
一般的には高すぎる目標を立てると物事はうまくいきません。小さな目標を立てて少しずつクリアしていくのが王道。ただし、最終的にどの方向に進んでいくのかという大きな目標は必要。
どういう人物になりたいか、何を目指したいかを決められるのは自分だけです。八巻さんの場合はそれが世界チャンピオンで、それを可能にする周りの環境もあって続けられたのだと思います。
強くなればなるほどに闘う相手は他者から自分へ。

空手など武道の形は自分の心身と向き合うヨガに近いものがある。カラダだけでなく心の修練にも役立つと考えられている。
15歳で極真空手城南支部の門を叩き、秘められていた才能が開花。めきめきと上達していった八巻さん。
「空手の才能が自分にあることをそれまで知りませんでした。でも、世界チャンピオンになると決めてしまったもので(笑)。強くなっていくにつれ高揚感のようなものは感じましたが、いつまたいじめに遭うか分からないし弱い自分でいたくなかった。とにかく、強くならないと生きていけないと思っていました」
もちろん、いじめからはとっくに解放されていた。そして大きな試合に出場するようになってからは強さの比較対象が変わった。他者と競うことより自分に負けたくないという気持ちが強くなっていったという。
「常に昨日の自分に勝つことを考えるようになりました。だから満足したことがないんですよね。満足したら、その時点で終わるので。ちょっと強いくらいではダメで、もっと別次元というか圧倒的な強さを手に入れたいと思うようになったんです」
大久保街亜さんの解説。
トップクラスの成績を残すような人は自分でコントロールできないことに焦点を当てるとうまくいかないことを知っています。他者は自分でコントロールできません。だからこそ他人と闘うのではなく自分との闘い、という言葉が出てくるのではないでしょうか。実際、カラダが強くて技のキレもある正統派の格闘家の方が事前に試合相手の研究をしない傾向があるようです。
無意識下で自分を俯瞰する、人生初の体験で覚醒を遂げる。

極真空手ならではの荒行である百人組手。これまでの完遂者は9人。完遂後は極度の疲労で内臓を損傷し入院することも珍しくない。
極真空手の荒行のひとつに「百人組手」と呼ばれるものがある。1人の空手家が文字通り百人と組手を行う凄まじい修練だ。
「本当はやりたくなかったんですよ。カラダを壊すことが目に見えていましたし。とはいえ上からの薦めでやらないわけにもいかず。でも結果的にはやってよかったと思います」
1人につき1分30秒の連続組手、3時間以上もの間、ひたすら闘い続けた。
「60人、70人を超えたくらいからもう記憶がないんです。無意識で闘っていたというか。そのとき自分の姿を俯瞰できたんですよ。あ、今ちょっと猫背になってるなとか。そうやって自分を俯瞰して全体の流れの中で動けるようになり、何気なく力を抜いて打ったパンチやぽーんと出した蹴りが効くようになったんです。これは人生で初めての経験でした」
このとき摑んだ感覚こそが武道家・八巻建志をさらに覚醒させた。その後はいつでも自在に自分と相手を俯瞰できるようになったという。
「自分の動きも相手の動きもよく見えるようになり、相手の顔色を見るだけで考えることが分かるようになりました」
こうなるともはや、無双状態。
大久保街亜さんの解説。
頭で考えるとカラダは動かなくなります。おそらく、とても厳しい体験の中で疲労によって意識がなくなったために、カラダが勝手に動く状態になったのではないでしょうか。たとえば、足がこっちに向いていたら次はこうだなという動きが考えるまでもなくできるようになってくる。いわゆるゾーンと呼ばれる現象は瞬間的なものですが、この体験によって意識の変容が起こり、いつでも自分の判断でゾーンに入れるようになったのかもしれません。
空手世界王者という夢を実現。その後は燃え尽き症候群に。

1995年、遂に空手の世界チャンピオンに輝いた。表彰台の一番高いところに立つ己の姿は中学時代に描いた絵そのまま。
百人組手を完遂した同じ年、全世界空手道選手権大会優勝。中学生から抱いていた目標を遂に実現した。
「世界大会で優勝できたら死んでもいいと思ってました。それこそ『あしたのジョー』みたいに真っ白に燃え尽きて死ぬイメージ。でも実際死にませんでしたし、その先の人生にはぽっかり穴が開いていました」
プロの格闘技団体からの勧誘にも興味が湧かず、新たなスポーツや映画出演などにも挑戦したが夢中にはなれなかった。そこで意を決して渡米、極真の看板を捨て「八巻空手」を主宰。
「このまま日本にいたら自分がダメになると思い、細かいことを考えずにパッと行動を起こしました」
大久保街亜さんの解説。
人間の行動は場所とすごく結びついている。環境を変えるというのはすごく有効。新しい刺激が自分を変えてくれる一面もあります。
自分の内面と向き合うことで心身一如の境地に達する。

形の精度を上げていく作業は日々、自分自身の内面と対話する作業。今日の自分をアップデートさせて昨日の自分を超えていく。
道場は評判を呼び弟子も増え、自身も再びさらなる研鑽に努めるように。そんななか、交通事故に遭ったことでカラダに対する意識が変わった。
「事故でウェイトトレーニングができなくなったのをきっかけに、アウターの鍛錬には限界があると感じ、骨や姿勢、インナーマッスルを意識するようになりました」
組手よりも「形」を重視し、精度をどんどん上げていった。
「内側に意識を向けることによって自分自身のカラダと心がよく見えるようになりました。心身一如とよく言いますが、正しい姿勢で正しい位置に立つことでメンタルが揺らぐこともなくなった気がします」
エアロバイクと空手の形を週2回4週間行った場合と何もしない場合の自制心の強さを比較。
Wen, J., Li, J., Yang, Z., & Zhang, Y.(2020)
大久保街亜さんの解説。
心理学の研究では形を練習する人と単にスポーツをする人を比べると前者の方が自制心が高まることが分かっています。武道の形はヨガに通じるものがあって、カラダだけではなく心のコントロールもできるようになるんです。単に戦闘技術を学ぶ以上のものが形を学ぶことで得られると思います。