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大気汚染物質が血管を健やかに保つ?
NO(エヌオー)とは窒素と酸素が結合した一酸化窒素という気体のこと。多くの人は、「ああ、車の排気ガスに含まれていて大気汚染の原因になるアレのこと?」と思い当たるだろう。
おっしゃる通り。でも近年、医学の世界で注目されているNOは決して環境を破壊する悪者ではない。それどころか、ヒトの体内で働き、血管の健康効果をもたらす重要な物質として盛んに研究が進められている注目の物質だ。
実際、1998年にはNOが循環器系の信号伝達物質であることを証明した3人の研究者たちがノーベル医学・生理学賞を受賞している。それくらい人類にとってどえらい発見だったというわけだ。
車の場合は生成元はエンジン。でも、人体ではどこでどのようにNOが作られるのか? まずはそこから始めよう。
NO(一酸化窒素)はどのように作られる?
NOの材料となるのはアルギニンという必須アミノ酸。成長ホルモンの分泌や筋肉増強、男性機能の改善など主に「活力」に関わる大事なアミノ酸だ。アルギニンは酸素と反応し、そこに合成酵素が作用することでシトルリンというアミノ酸に変換される。このプロセスで作られるのがNOだ。
ちなみにシトルリンはタンパク質には合成されない特殊なアミノ酸で、アルギニンから変換されたらそれでお役御免と思われていたが、今では再びアルギニンに変換されることが分かっている。
で、このプロセスのキープレイヤーはNOの合成酵素。その名をNOS(Nitric Oxide Synthase)という。NOSは主に血管の内皮に存在している。血管の3層構造の一番内側、血管と血液のインターフェースだ。
NO(一酸化窒素)の働きで血管が拡張
条件が揃えば、NOSは血管内皮でNOをバンバン作り出す。そして作られたNOは細胞膜をいとも簡単に通過し、血管の中膜にある平滑筋に作用して弛緩させる。その結果、血管の拡張が促されるのだ。
血管が拡張すれば血液はスムーズに流れる。さらにはNOが血液に乗って全身を巡ることで全身の血管も拡張されて血圧が下がる。お父さんの動脈硬化のリスクも下がってめでたしめでたし。
血管の拡張反応を計測するFMDという検査があるが、あれはまさにNOが正常に働いているかどうかをチェックする検査というわけ。
体内を自由に動き回る不思議なガス
さて、NOのこうした働きを知って世界中の研究者が驚いたのが、その自由すぎる情報伝達方法だ。
それまでの常識では、情報伝達物質が標的となる細胞に働きかけるときには、細胞膜にある受容体という受け皿を通して情報を伝えるというのがセオリー。これ、王様なら執事、社長なら秘書、ネットならパスワードを介さなければ情報をやりとりできないのと同じこと。
ところがNOはなにせ気体、すなわちガス。この特性をフルに活用し、細胞膜をするすると通り抜けて標的の平滑筋細胞にダイレクトに情報を届けることができるのだ。アンビリーバボー!
こうしたNOのミラクルな発見をきっかけとして、現在「ガスバイオロジー」という新たな生物学の研究分野が誕生し、CO(一酸化炭素)や活性イオウというガス物質の働きが注目されているという。
ちなみに、これらのガスはいずれも濃度が高いと人体に有害な毒ガスになり、適度な量ならカラダにいい作用を及ぼすことが分かってきた。高濃度のNOは光化学スモッグを引き起こし、COは石油ストーブや練炭などで濃度が高まると中毒になり、イオウも高濃度になると硫化水素という毒ガスを作り出す。
でもそれぞれに適量を有効活用すれば健康にプラスに働くことが期待されている。
味方にもなれば敵にもなるiNOS
ここでNOの合成酵素、NOSについてもう少し詳しく掘り下げてみよう。
実はNOSは全身のほとんどすべての組織や臓器に存在していて、大きく3つの種類に分けられる。ここまで述べてきたのは血管内皮にあるNOSで内皮型NOS=eNOSという。
この他、体内で炎症が起こったときに発現が増える誘導型NOS=iNOS、さらに主に脳神経系に存在する神経型NOS=NOSがある。
eNOS | 血管内皮で作られる内皮型NOS。主に血管拡張作用が知られている |
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iNOS | 白血球などの免疫細胞の炎症性刺激で作られる誘導型NOS |
nNOS | 中枢神経系で作られる神経型NOS。記憶や学習に関係する |
このうち、iNOSはウイルスを攻撃するなどいい働きもするが、ときにカラダに悪い作用を及ぼすこともある。
たとえば、肺炎が重症化すると、iNOSの発現が誘導されて大量のNOを作り出し、血圧を極端に低下させてショック状態を引き起こす。医学的にはこれ、「敗血症性ショック」と呼ばれている。
さらには炎症によってiNOSが過度に活性化すると、大量に作られたNOが関節を攻撃し、関節リウマチを引き起こす可能性があるともいわれている。
eNOSとnNOSに関しては、基本的にそれほど大量に増えることもなく、eNOSの血管拡張作用やnNOSの記憶や学習に関係するプラスの働きが主に期待されている。
いずれにしても、生理的に作られる少量のNOSはカラダにとっての頼もしい味方となってくれる。なかでも血管と血流の救世主はeNOS由来のNO。ならばその恩恵にあずからずしてどうする? 次はそのNOを増やすメソッドを紹介しよう。
軽い運動でもNO(一酸化窒素)は増やせる
NOを増やす方法のひとつは運動。筋肉を収縮させることで血流を促せば血管内皮のeNOSを活性化することができるからだ。NO発見の功労者でノーベル賞受賞者の一人、ルイス・J・イグナロ博士によれば、
「週3回、20分間のワーキングアウトから始めることを勧めます。それだけでもNOの産生量を十分に拡大できます」(『NOでアンチエイジング』日経BP企画)
とのこと。ウォーキング、ジョギング、バイクなど種類は問わない。心拍数が110〜120くらいの軽い運動を続ければよしという話。
その20分さえ確保できないという人には、さらにお手軽な方法がある。カナダの医師が考案した「ハンドグリップ法」という局所的な運動だ。こちらは握力計を最大握力の30%の力で2分間握り続け1分休むというもの。
これを万人向けにアレンジしたのが、日野原記念クリニックの理事長・久代登志男医師が考案したハンドグリップ法。フェイスタオルを畳んで巻いて縦方向に握る。握ったときに指同士がくっつかないようにするのがポイント。2分間軽く握って1分休むという動きを左右2回ずつ繰り返す。
また、立った姿勢で踵と爪先を交互に床から上げるヒール&トウレイズという運動も手軽さでは負けていない。所要時間は2分間。4日連続で行った結果、NOの産生が増えたという報告もある。
これらの運動がNOを増やす仕組みはこうだ。タオルを握るときには前腕、踵を床から上げるときはふくらはぎの筋肉が収縮し、血管を圧迫する。その結果、血流が低下する。
続いて筋肉の力を緩めると、血管の圧迫が解かれて多くの血液が一気に流れ出す。このとき、血管に「ずり応力」という機械的刺激がかかって、眠っているeNOSを活性化するのだ。で、腕や脚の血管内皮で作られたNOが全身を巡って血圧が下がるという仕組み。
NOを増やすためにハードな運動を行う必要はない。自分の気に入った方法で日々続けることが最大の秘訣と心得てほしい。
NOを増やす運動まとめ
【ハンドグリップ法】
四つ折りにしたタオルをくるくると巻く。指と指がくっつかない状態で軽く2分握り、1分休む。左右2回ずつ行う。
【ヒール&トウレイズ】
踵と爪先を交互に引き上げて立つ。2分間繰り返す。
入浴でNO(一酸化窒素)が増える可能性も?
ちなみに、運動ではない手段で血液を巡らせるという手もある。やり方は実に簡単で、入浴時に浴槽の湯に浸かるだけ。
41度程度の湯に15分間浸かるとNOが増えるといわれている。ただし、運動によるNOの増加作用は持続的と考えられている一方、入浴の効果は一時的なものという説もあり。でも血管の健やかさを保つためには、浴槽に浸かる習慣をぜひ取り入れたいもの。
NO(一酸化窒素)を増やす食事学
続いてはNOを増やす食事学。まずはNOの材料となるアミノ酸、アルギニンやシトルリンを確保することが重要だ。アルギニンが豊富な食品は赤身の肉、大豆、鮭など。シトルリン狙いならスイカやキュウリなどがその代表例。
また、抗酸化物質を含む食品を積極的に摂ることも、NO産生には欠かせない。血管内皮で作用するeNOSは総じてカラダに有効な働きをすると前述したが、実はこれ、一定の条件が満たされていてこその話。体内が活性酸素による酸化ストレスに曝されている場合、話は別。
eNOSによって作られたNOは活性酸素と反応して、非常に毒性の強い酸化物質を作り出すことが分かっている。このため、酸化ストレスを低下させる食品がNOの健康作用に貢献すると考えられているのだ。
ビタミンCやカロテノイドが豊富な青菜やパプリカ、トマトなどの緑黄色野菜、ビタミンEが含まれたナッツ類、緑茶や赤ワイン、コーヒーやブルーベリーなどに豊富なポリフェノール類も強力な抗酸化作用を発揮する。
アルギニンやシトルリンを確保すると同時に、こうした抗酸化食品を補充することもお忘れなく。
NOを増やす食材例
アルギニンとシトルリンが豊富な食材 | 赤身肉、アーモンド、ひよこ豆、ピーナッツ、クルミ、鮭、大豆など |
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抗酸化物質が豊富な食材 | アボカド、ブロッコリー、芽キャベツ、ニンジン、ブルーベリー、鶏の胸肉、ニンニクなど |
NOの産生能力は残念ながら年齢を重ねるごとに低下していく。内皮細胞の老化によってeNOSの活性度が下がり、若い頃のようにNOがバンバン作れなくなるからだ。加齢で血管が硬くなったり、血圧が高めになるのはそうした理由。
とはいえ、NOを作り出す能力の維持は本人次第。血管年齢とはすなわちeNOSが元気よく働いているか否かに正比例する。運動や食事内容によってeNOSの活性度の低下を防ぐ可能性は十分にあるのだ。ならば励まずしてどうする?
NO(一酸化窒素)に秘められた可能性とは?
最後にNOの今後の可能性について触れておこう。
カギのひとつは琉球大学大学院の筒井正人教授の研究チームが3年がかりで作り出したトリプルNOSノックアウトマウス。
ノックアウトマウスとは遺伝子的に特定の機能を欠損させたマウスのこと。機能が失われることで何らかの疾患や不調が起これば、その機能が果たしている健康作用が割り出せる。
「eNOSだけノックアウトさせてもnNOSやiNOSの代償機能が働いてeNOS本来の役割がマスクされてしまいます。そこですべてのNOSが機能しないトリプルノックアウトマウスを作ったところ、今まで分からなかった知見がたくさん出てきました。
これらのマウスは心筋梗塞が自然発症し、腎臓病やメタボにも罹患し、極めて寿命が短いのです。また、NOSが呼吸器や骨、中枢神経系など、さまざまな機能に関わっていることも分かってきました。3つのNOSはほとんどすべての組織や臓器でカギとなる役割を果たしている可能性があります」
未知のポテンシャルを秘めたNOSとNO、今後の研究の行方から目が離せない。