髙橋渚(走高跳)「疑うことなく跳べる。それが一番大切だと思う」
日本では突出した実力があった彼女だが、世界に挑戦するまでには時間がかかった。今、大きな国際大会を終えてこれからを語る。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2026年5月28日発売〉より全文掲載)
text: Ichiro Suzuki photo: Tsutomu Kishimoto
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Profile
髙橋渚(たかはし・なぎさ)/2000年生まれ。174cm、55kg。東京高等学校で走高跳を始め、醍醐直幸さんに指導を受ける。22〜24年、日本選手権で3連覇。23年、アジア大会で4位、25年のアジア選手権では8位。24年、静岡国際陸上競技大会で自己ベストの1m88cmで優勝。25年、チェコの室内競技会フストペチェ・ジャンプで1m92cmを記録。同年9月、世界選手権で1m88cm。センコー所属。
まだ足りていないことが多い。決勝へ行けるレベルではない。
2025年9月、東京で行われた陸上の世界選手権。女子走高跳に出場したのが、髙橋渚である。この種目で日本人選手が世界選手権に出場するのは、実に12年ぶりだった。開催中は、日本にこれほどの数の陸上ファンがいたのかと驚かされるほど、国立競技場は連日盛況であった。
女子走高跳においても、予選から多くの人が詰めかけた。37年ぶりに世界記録を塗り替えたヤロスラワ・マフチク(ウクライナ)選手も話題だった。もちろん、髙橋はこれまでそんな状況の中で試合をしたことはない。試合前はどんな気持ちだったのか。

「試合当日に初めて歓声を聞いたのだったら、多分動揺してしまったと思います。本当に会場が揺れているみたいでしたから。自分が集中を外してしまったら、もうすぐに飲み込まれそうな感じだった。でも、男子の高跳びが女子よりも先にやっていたので、それを見ることができたというのはよかった。ただ、そのとき“私はこんな中で跳べるのか”って話をしていたぐらいだったんですけどね。それでも、ちょっと準備ができたおかげで、どうにか飲み込まれずに済んだと思っています」
厳しい戦いであった。予選スタートのバーの高さは1m83cm。髙橋はこの年の2月に室内で1m92cmを跳んでいるが、それ以前の自己ベストは1m88cmだった。つまり、簡単ではない高さを初めから要求されたわけだ。それでも、彼女はスタートの高さを跳び、1m88cmも3回目の試技で見事クリアした。しかし、残念ながら予選通過はならなかった。

「92(cm)を跳べたら決勝に進めるというのは、試合前から読みとしてありました。ただ、88を一発クリアで(予選を)通った選手もいますし、試技数差次第では通過できていた可能性もあったとは思いましたね。ただ、まだ90を安定して跳ぶことができていない自分は、可能性はあったけど、ダメだったことをしっかり受け止めなくてはいけない。まだ足りないことが多い、決勝へ行けるレベルではないんだなっていうことは、あのときすごく感じたんですよね」
女子走高跳決勝のとき、スタンドで試合を観戦する髙橋の横顔がテレビに映し出された。その表情には翳りは見えなかった。世界という怪物の尻尾をようやくつかむことができた。そんな心境だったのだろうか。
挑戦できるレベルではない。ずっとそう決めつけていた。
髙橋は2022年から24年にかけて、日本選手権で3連覇を果たしている。そのころから、国内では一人だけ、次元の違う強さを誇っていた。ただ、23年にブダペストで開催された世界選手権への出場は、まったく頭に描いていなかったらしい。「行ける舞台だとは思っていなかったんです」と、彼女は振り返る。
当時から彼女が狙っていたのが、今回決勝進出を逃した東京だった。この開催が決定したのは22年である。つまり、3年間をかけて世界を目指してみようということだったのだ。

「(国際大会に)出てみないと、自分の可能性すらわからないのに、ずっと挑戦できるレベルではないと決めつけていました。自分から避けていたところがあったんですね。でも、そんなこと言っていたら先はないし、社会人として競技をやらせてもらっているのに、それはちょっと違うと思うようになった。それに、同世代の選手がどんどん代表に選ばれて、自分もそうなっていければいいなと思うようになったんです」
それがカタチになっていったのが、東京の前年、24年に行われたパリ・オリンピックの年であった。海外の大会に遠征することで、揉まれたのもよかったのかもしれない。当時、日本人では髙橋以外は跳ぶことが難しかった1m85cmを、多くの選手が当たり前のように跳んでいたのだ。
髙橋はこのシーズン、ポイントを上げていき、世界ランキングは34位になった。パリに出場できるのは上位32人である。1人の欠場が決まり、33番。ギリギリでオリンピックの道が拓けなかった。願いは叶わなかった。感じたのは、やはり甘い世界ではないということだった。

「ただ、あのとき積極的に行動できたのは大きかった。海外に出ていろいろ経験もできたので、今でも(オリンピックに出場できなかったことを)マイナスとは考えていません」
どんな記録が出るか楽しみ。そう思えるぐらいの練習はしている。
一歩一歩、足元を固めて登ってきた。そして、これからもそれは変わらない。実際の練習を見せてもらった。走高跳の基礎となる動きを、何度も繰り返す。一見すると地味で面白みもないが、助走から跳躍への一連の動作を作るうえで、もっとも大事な練習だという。髙橋が走高跳を本格的に始めたとき、最初に指導を受けたのは元日本記録保持者の醍醐直幸さんである。基礎練習の重要性を教えてくれたのは彼だった。

「その日だけやって、次の日はやらないということが醍醐先生は嫌い。積み重ねる大切さや、目標に向かって何をする必要があるのかを明確にして取り組むことを教えてもらいました。それでコツコツと基礎練習を続けることができるようになって、ここまで繫がってきたと思います」
そして現在、髙橋を支えるのが醍醐さんの妻・奈緒美さんだ。現役時代、三段跳で活躍した彼女は、コーチというより親しむような距離感で髙橋に寄り添っている。「やり過ぎるとケガをする。やらないと伸びない。その見極めが重要」と、奈緒美さんは笑う。
調子を見ながら、ときには二人で相談してメニューを決める。もちろん、それは髙橋がひとつひとつの練習の意味を理解しているからできることだ。たとえば、この練習は股関節を使えるようにするためとか、この練習は踏み込みを強くするため、というように。今は一緒に、次へのステップを刻んでいる途中。まずは、今年9月に名古屋で開催されるアジア大会が目標になろう。

「4年に一度なので出場したいです。これを逃したら、もうチャンスがないかもしれない(笑)。ただ、去年のシーズンは気持ちの面でブレることが多かった。積み重ねてきたことを信じてピットに立てることが私の強さなのに、それができないことがあった。とくに2月に92(cm)を跳んでから世界陸上までの間。本当にまた90台を跳べるのか? 90台を跳ばなきゃいけないというのを背負いすぎて、自分を信じ切れていなかった。でも、本当は疑うことなく跳べるのが、高跳びをやっていて楽しいことだし、バーを越えるためには一番大切。練習を積み重ねて、自信を持ってピットに立てるようにしたい。そのとき、どんな記録が出るか楽しみです。そう思えるぐらいのトレーニングは、今できているんですよ」

