木村昇吾(クリケット)「プロになれたら野球に恩返しできる」

プロ野球で15年を過ごしたホンモノが、日本ではマイナーなクリケットに挑戦している。45歳になった彼が今なお追い続けるものとは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2026年3月12日発売〉より全文掲載)

取材・文/鈴木一朗 撮影/岸本 勉

初出『Tarzan』No.921・2026年3月12日発売

木村昇吾・クリケット
Profile

木村昇吾(きむら・しょうご)/1980年生まれ。183cm、80kg。2002年、横浜ベイスターズにドラフト11位で入団。07年オフに広島東洋カープにトレード。15年オフに埼玉西武ライオンズに。17年限りで戦力外通告を受け、クリケットに転向。18年、クリケット男子日本代表強化選手団に選出、日本代表チームには3度選出され、計6試合に出場。18年からはオーストラリア、スリランカで強化トレーニング、リーグ参加等を続ける。

野球の技術は汎用性が少ない。それが生きるのがクリケット。

クリケットという競技、日本では知名度が低い。しかし、世界に目を転じて見れば、サッカーに次ぐ人気スポーツで競技人口は3億人以上ともいわれる。そのワールドカップもテレビではサッカーのワールドカップ、夏季オリンピックに次ぐ視聴率で、それだけにトップリーグでは年俸30億円を超える選手もいる。

木村昇吾は2003年から17年までプロ野球の横浜ベイスターズ、広島東洋カープ、埼玉西武ライオンズに所属し、そこからクリケットの世界に飛び込んだ。15年間プロ野球の世界で活躍するのは簡単ではない。それだけの力があったのだ。なぜ転向を決意したのか。ちなみに、プロ野球からクリケットへ転向したのは木村が日本で初めてだ。

木村昇吾・クリケット

「ライオンズにFAで行ったときに、前十字靱帯を切ってしまったんです。1年で戻ると言って、一応それは果たしました。ただ、一軍の枠に入れるかもしれない程度で、僕の中ではこれは勝負にならんという感じでした。監督の辻(発彦)さんは、僕のプロ1年目から縁のある方で“昇吾、わかっているよな”と、二軍に落とされた。でも、それからまたトレーニングをして戦える感じにはなったと思っていたんですが、その年に首を切られた。それは、プロとしてはしょうがないこと。ただ、まだココロとカラダが元気だったので、頭にはアスリートということしかなかった。社会人や独立リーグからの誘いもあったんですが、それは兼任コーチとしてで、自分としては中途半端でしたし、指導される選手もイヤだろうと思っていました」

そんなとき、仲のいい記者から、クリケットへの挑戦を勧められた。たまたま木村にはインド人の友人がいて、“昇吾さん、クリケットやれば”なんて言われて動画も見ていた。

木村昇吾・クリケット

「記者の方の説明がうまくて、クリケットは野球の原型だとか、何十億も稼ぐ選手がいるとか聞いて。僕も辞めたら、ほぼほぼスポーツを手放さなきゃならない。打って、投げてという野球の技術は汎用性が少なくて、それが生きるのってクリケットぐらいなんです。そういう話を聞いていて、やっている自分が頭に浮かんじゃった。すごく不思議でした。電話で話していたんですが、もうやる人になっていたし、その場でとりあえずやるわって言いました」

楽しいじゃなくて、そこでやらせてほしい。

初めての練習は、学生チームや日本代表に交じって行った。元プロ野球選手である。バッティングはまったく他の追随を許さない。木村が打てば“こんなに飛ばした人は見たことない!”と声が上がる。ただ、初練習は、厳しいものとなった。

木村昇吾・クリケット

「朝10時から始まって夕方4時ぐらいまでひたすら打たせてもらいました。クリケットではボーラー(投手)の投げるワンバウンドのボールを打つのですが、野球なら絶対打たない球。それに、バウンドしたときに変化して自分のほうに向かってきたりする。クリケットのボールって硬いんです。めちゃくちゃ怖かった。ただ、野球より速度は遅い。僕は、大谷(翔平)君の160キロ打ってますから(笑)。ヘルメットを被るので閉塞感があるし、頭を下に向けるから首をやっちゃいました。次の日、むち打ちみたいな感じがあった。当時は練習施設もほとんどないので、練習場所は河川敷でしたね」

それでも4か月後の18年3月には、日本代表の強化選手に選出される。「そのときは、上手い選手が揃っているなかで、プロスポーツ選手として培った経験をぶつけようと思っていました」と木村は言う。確かに、プロで養ってきたフィジカルやメンタルなどもアマチュアの選手とはまったく異なるものであろう。そして、翌月の4月に世界最高峰リーグであるインディアン・プレミアリーグを見に行くことになる。

木村昇吾・クリケット

「やっぱりすごいと思いました。だけど、すごいから目指さないということにはならない。試合を見て楽しいじゃなくて、そこでやらせてくれとしか思わなかったんです。だって、プロ野球でやっていたから、プロとしてはイコールなんです。たぶん、この感覚は自分以外、誰も持つことはできないんでしょうけど」

インディアン・プレミアリーグに向かって動き始める。7月にオーストラリアのダーウィンでストライクリーグに参加。10月には同国のセントキルダクリケットクラブ、12月にはトゥーラックプラーランクリケットクラブに所属してリーグ戦を経験する。オーストラリアはクリケットの競技人口世界2位である。

翌年の8月は強豪スリランカのシンハラスポーツクラブへ。20年2月からは同チームでリーグ戦を戦い、21年には同クラブのプロチームにも登録される。だが、コロナが世界を覆い、海外への遠征は中断されてしまう。歳月はどんどんと流れる。現在、木村は45歳になった。だが、彼はあきらめない。というより、さらに競技にのめり込んでいるのだ。

木村昇吾・クリケット

「世界のトップはレベルが違います。オーストラリアもスリランカもすごい。だから、行ったからにはいろんなことを吸収したいではなく、吸収しないとダメ。だって、家族がいるし子供もいるし、それを置いていくんですから、ヤバいヤツですよ(笑)。もちろんお金もかかります。今年も海外に行くのですが(3月に出発予定)、行くのにもお金がいりますし、家族の生活、向こうでの生活もあるので、それを捻出しなくてはならない。だから、京都や名古屋へ行ってスポンサーになってもらうとか、野球塾なんかもしています。自分がやりたいことをやっている、わがままな人間なだけなんですが」

なぜ、それほどまで努力して、続けていくことができているのか。

木村昇吾・クリケット

「僕が(クリケットで)プロになれたら、野球へ恩返しできると思っているんです。小学校からずっと野球を続けてきた子が高校、大学で故障する。お金、時間、労力をかけてやってきたことが、自分の一番得意なことが通用しなかったとなると、自分はダメなんじゃないかというマインドになることも多い。僕は、それは違うと言いたいわけなんです。野球がお前に一番かはわからへんよって。他やってないんやもん。だったらお前、こっち(クリケット)やってみいへんか?って。もちろん、それはとても覚悟のいる決断とは思いますよ。でも、それで大成して(クリケットの)プロになれたらすばらしいじゃないですか。僕はそれが本当にやりたいんですよね」

クリケットは、28年のロサンゼルス・オリンピックに採用されている。木村のこれからに期待したい。