宮田将吾(スピードスケート)「どんな状況でも勝てる選手になりたい」
ジュニアからシニアへの端境期にコロナで居場所を失った彼は今、オリンピックに懸けている。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2025年12月11日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.916・2025年12月11日発売

Profile
宮田将吾(みやた・しょうご)/2003年生まれ。170cm、70kg。20年、ユースオリンピック冬季競技大会NOC混合リレー1位。22年、北京オリンピックに出場。5000mリレー8位。23年、全日本ショートトラック距離別選手権大会500m、1000mで優勝。25年、同大会と25/26ショートトラックワールドツアー日本代表選手選考競技会の500m、1000m、1500mで優勝。同年ショートトラックワールドツアーの1500mで2位。日本通運所属。
オリンピックでは次はない中での惨敗。本当に悔しかった。
2025年9月13、14日に行われた全日本ショートトラックスピードスケート距離別選手権と、20、21日の2025/26ショートトラックワールドツアー日本代表選手選考競技会の両大会で、500m、1000m、1500mの3冠を果たしたのが宮田将吾である。この競技での日本のエースと言えよう。
まずはショートトラックスピードスケート(以下ショートトラック)を説明する。1周111・12mの楕円形のトラックで競われるこの競技は500mなら4周半、1000mは9周、1500mでは13周半で勝負を決する(他の種目もある)。マススタート方式、つまり4人〜8人(距離により変わる)の選手がスタートラインに立ち一斉にスタートし、その順位を競う。
タイムだけを争うレースとは違って、他選手との駆け引きや咄嗟の判断がより重要になる。運動能力や精神力をフルに使わなければ勝てないし、見る側には複雑な展開が面白さに繫がる。

宮田は6歳のころよりショートトラックを始め、ジュニア時代は20年のローザンヌ・ユースオリンピックで金メダルを獲得するなど、すばらしい成績を残した。だが、ここからシニアと思った同年、コロナが世界を覆う。2年弱もの間、国際大会への参加が絶たれてしまったのだ。
ようやく21/22年シーズンのワールドカップが行われ、その結果により22年の北京オリンピック代表に選ばれた。だが、実戦経験の少なさは否めなかった。本番では1000mは23位、1500mは27位に沈んだ。
「まだ、国際大会に出始めたばかりだったので、本来なら海外に行ってレースを重ねて、皮膚感覚というか、そういうものをつかんでおきたかったんです。でも、まったくできずにオリンピックで、試合までの調整とか準備、それにコンディションの持っていき方が全然わからなくて……。ただひたすら滑っていたという感じで、北京はあんまりパフォーマンスを出せなかったんですよ」

北京では、19歳の宮田にはひとつのプレッシャーがかかっていた。それが日本冬季オリンピック史上最年少での金メダル獲得だ。それまでの記録は1998年の長野オリンピックの500mショートトラックで、西谷岳文が達成した19歳と1か月。
マスコミもこれに注目したし、西谷を指導した杉尾憲一コーチは、また宮田のコーチでもあった。これが19歳の心にどう響いたか。
「西谷さんの現役時代は知らないんですが、長野のときの映像は何回も見ていました。やっぱり、超えたいとは思っていましたね。だから、オリンピックが近づいてきたときは、昔からの夢が叶うっていう楽しみの部分はあった。だけど、本当に間近になると自分の(世界での)立ち位置もわからなくて、不安がちょっと大きくなってしまったと思います」
スピードやテクニックより、レース展開が大事になる。
あれから3年。宮田は確実に強くなった。10月18日にカナダのモントリオールで行われた25/26年ショートトラックワールドツアーの第2戦。1500mで2位に入った。

「北京まではジュニアの年齢で(シニアの大会では)チャレンジする側だったんです。だから、負けてもあまり悔しさとかはなくて、次また頑張ろうっていう感じでした。でも、オリンピックは4年に一度で、もしかしたら次はないという中で惨敗。とても悔しかった。その気持ちをずっと忘れずに練習してきて、次の年から少しずつ伸びていったんです」
海外に遠征することで、宮田の言うレースでの“皮膚感覚”もつかめていったのであろう。さらに大きいのは、トップの大会にはほぼ同じ顔触れの海外選手が揃うということ。相手がどのように滑り、自分はどう対応するのか。滑れば滑るだけ、作戦の引き出しは多くなっていく。
2位に入ったレース後には「五輪シーズンに入って、初めてのメダルを獲得できてうれしい」と語った彼だが、ここまで来るためには、もちろん想像できないほど努力を積み重ねてきた。“一番厳しいときの練習内容は?”と聞くと、こんな答えだ。

「まず、朝6時から2時間ほど練習です。中心となるのはスピード滑走で、これはトップスピードを上げるためにやります。2周滑ってラップタイムは16〜17秒ぐらい。これを10本行います。午後もまた2時間ですが、いろいろなメニューをやります。たとえば、トラック7周のベストタイムを狙うとか。加えてテクニック系の練習。その後に週2、3回はウェイトトレーニングです。これは毎回全身を鍛えます。終わると、ハムストリングスや尻の横側の筋肉が痛くて、かなりツラいんですよね」
しかし、ここまでやっても難しいのがショートトラックなのである。なにしろ選手がひと固まりになって滑り、順位は目まぐるしく入れ替わる。接触は頻繁に起き、それによって転倒することもある。1人が転倒したら後ろにいた選手が巻き込まれるケースも多い。
実際にオリンピックでも転倒した選手は何人もいる。この競技は最終的には“運”という、選手にとってはどうしようもない要素が強いということなのか。

「運は確かにあるでしょう。ただ、研ぎ澄まされた感覚と精神力があれば回避することはできる。ワールドツアーで2人の選手が転倒したことがあったのですが、それに巻き込まれなかったこともありました。状況がよく見えていたので、予測をすることができたんです。これは運ではなくて、やはり実力なんですよね」
イタリアで開催されるミラノ・コルティナ・オリンピックではショートトラック種目が26年2月10日にスタートする。日本代表はまだ決まっていないが(11月13日現在)、宮田はほぼ確実に選ばれるだろう。北京の悔しさから4年、2度目のオリンピックがすぐそこに迫っている。

「ショートトラックはスピードとかテクニックも大事なんですが、それだけではないんです。先頭で世界記録を超えるペースで滑ったとしても、最後に抜かれることもある。やっぱり、レース展開というのが大事になって、そのときの一瞬の判断力とか、嗅覚がある人が勝つ。最後はやはりメンタルの勝負だと思っているんです。だから、速いだけじゃなくて強い選手になろうって、今もずっとやっているんです。どんな状況でも勝つ。自分の調子、道具や氷の状況、それらを決して言い訳にしないで勝ち続ける選手になることですね。自分の持っている力を出し切ったら勝てるだけの準備をするということです。そうすれば、絶対に1位で戻ってこられると思っています」

