法の知識で扉を開き、世界の境界を溶かしていく|自分の旅のつくりかた。 vol.06 原口侑子(弁護士)

旅は人生を彩る。旅に出る理由は人それぞれだけれど、自分にしかないテーマやモチーフを追い求める人は素敵だ。ふとしたきっかけから世界を自転車で旅し始めた編集者が、"旅の先輩"を訪ね、その真髄を聞く連載。​第6回は、世界各国で裁判の傍聴をしながら、これまで134カ国を旅した弁護士の原口侑子さんを訪ねます。

取材・文/山田さとみ 写真/マクスウェル・アンダーソン

Profile

原口侑子(はらぐち・ゆうこ)/東京都生まれ。東京大学法学部卒業。早稲田大学大学院法務研究科修了。大手渉外法律事務所を経て、バングラデシュ人民共和国でNGO業務に携わる。その後、法務案件のほか、新興国での社会起業支援、開発調査業務、法務調査等に従事。現在はイギリスで主にアフリカの法人類学研究をしている。これまでに世界134カ国を訪問。著書に『ぶらり世界裁判放浪記』(幻冬舎)。「続・ぶらり世界裁判放浪記」を連載中。https://www.gentosha.jp/series/zokuburari

初めて開いた裁判所の扉。

取材の待ち合わせ場所は、東京地方裁判所。まさか自分が裁判所に来るとは思ってもみなかった。これから、人生で初めて裁判の傍聴をする。

正面入口から入ると、まず荷物検査を受ける。老若男女が小さな列を作り、子どもや外国人の姿も混じっていた。ゲートを潜ると、その日の公判スケジュールが表示されたモニターが並んでいる。

弁護士の原口侑子さんが到着し、挨拶もそこそこに法廷へ移動する。最初に選んだのは薬物事件の判決だ。エレベーターで上の階へ上がり、部屋に入る。傍聴席にはほとんど人がおらず、被告人も出廷していない。向かって左にアロハシャツの男性がひとり座っているが、どうやら被告の弁護人らしい。裁判官が入廷し、判決文が淡々と読み上げられると、公判はあっさり終わった。

次に別の法廷へ移動する。被告人はオーストラリア人の女性で、インターネットで知り合ったナイジェリア人男性との遠距離交際が事件の発端となった。その女性は、男性から“ビジネスのサンプル”の運搬を頼まれ、来日した。成田空港でスーツケースの底から覚せい剤が見つかり、逮捕された。日本ではほとんど報じられていないが、オーストラリアの報道陣や大使館関係者も傍聴に訪れていた。

原口さんとは、このとき初めてお会いした。

彼女の存在を知ったのは、一年ほど前のこと。いつものように家事をしながらラジオを聴いていたら、その日のゲストが原口さんだった。弁護士をする傍ら、これまで131カ国(2024年7月時点)を旅し、40カ国以上で裁判を傍聴しているという。初めて海外で傍聴したエチオピアの裁判や、イスラム圏であるブルネイの裁判、ブラジルの最高裁判所の話など、ユニークな体験を軽妙に語っていた。著書『ぶらり世界裁判放浪記』の新装版が発売されたことも告知され、わたしはすぐに購入した。

届いた本には、アフリカ、ヨーロッパ、BRICS、小さな島国での裁判傍聴の様子が綴られ、それぞれの経験を通して見えてくる国の姿も描かれていた。法律というフィルターを通して世界を旅する。そこには、わたしが自転車で巡る旅では決して目にすることのできない景色が広がっていた。そして、弁護士という職業を選びながらも、定職に縛られない生き方をしていることにも興味が湧いた。

この連載で、そんな話を聞かせてほしいとメールを送ることにした。すると、原口さんは快く応じてくださり、「よかったら、裁判所に行ってみませんか?」と誘ってくれた。

簡単にはわからない、世界の正しさ。

傍聴を終えて建物を出ると、最初の審理で前に座っていたアロハシャツの弁護士が、ママチャリで帰る姿を目にした。裁判所はどこか厳粛で近寄りがたい場所だと思っていたけれど、その印象が少し変わった。

わたしたちは近くのカフェへ移動して、インタビューを始めた。

原口さんが在籍するのは、ロンドンのターミナル駅であるキングス・クロス・セント・パンクラス駅近くにある、ロンドン大学東洋アフリカ院(University of London, School of Oriental and African Studies)。撮影は、原口さんが普段過ごしているエリアで行った。

原口さんは現在、旅をしながら世界各地で法律調査を行い、ロンドンの大学院で博士課程に在籍している。運よく日本に一時帰国していたタイミングで、このインタビューが実現した。

旅先で興味本位に裁判の傍聴を始めたことが、原口さんの視野を広げるきっかけになり、それ以来、法律を軸にさまざまな国の社会や文化を考えるようになったという。

「アフリカで長い旅をしていたとき、朝目が覚めて、その日は何もすることがないと思って、裁判所に行ってみることにしました。はじめは、日本の裁判所とは全然違う印象を受けたんですけど、通ううちに、法服に身を包んだ裁判官や張り詰めた空気の中に、日本と共通するものがあることに気づいたんです。特別でありながら、当然のこととして存在する。旅が日常になったことで、裁判所に対しても日常と非日常の間にあるという感覚が芽生えていきました」

そんな気づきから、いまはどのような研究をしているのだろう。

「いまはロンドンを拠点に、『法と人類学』という分野で主にアフリカの慣習法の研究をしています。アフリカには、国の司法制度があっても、民族の長老や地域コミュニティの権威者が、裁判官のような役割を担う慣習が残っています。そのあり方と、近代的な法制度との関係に興味があるんです。研究は純粋な好奇心が出発点ですが、最終的には、“何が良いのか”という価値判断の源泉はどこにあるのか、人々の『法意識』を考えたいと思っています。ジェンダー平等のような日本のODA(政府開発援助:Official Development Assistance)や国連のSDGsの目標って、一見普遍的に見えるけど、実際には国ごとの歴史や文化が背景にあるから、世界共通じゃないんですよね。比較することで、各地域で良いとされる基準や、その判断が生まれる土壌が見えてくる。その裏には、ヨーロッパ諸国が自国の思惑から人権概念を広め、法律を移植しやすくしてきた歴史もあります。そういう政治的・歴史的な力学も含めて、価値観がどのように形成されてきたのかを学びたいんです」

何が正しいのか。この世の真理には、はっきりした答えがあるようで、実際には複雑な背景が重層的に存在している。だとすると、研究を深めていくほど、正解がわからなくなりそうだ。その感覚は、旅にもよく似ていると話してくれた。

「何が“良い”かは簡単には言えないし、答えが見えなくなるときもあります。それは旅も同じで、行けば行くほどわからなくなる。たとえばケニアに行ったときも、同じ国の中でも民族や地域によって考え方がまったく違ったし、日本だって立場によって意見が違う。一括りにはできないということを、旅でも研究でも強く感じています。だからこそ、わからないことも受け止めながら、世界をより深く理解していきたいんです」

最高裁判所そばの下級裁判所中庭で、アフリカの法人類学の古典『Rules and Processes』(John Comaroff & Simon Roberts)を手に読書。石造りの建物に囲まれながら、異文化や規範の世界に思いを巡らせるひととき。

ほかに読んでいるのは、世界の法文化を比較した本や、アフリカを舞台にした旅行記、観光人類学の書籍など。法と旅の交差点にある本は多岐にわたり、人類学研究も数多くある。

焦りや不安と向き合うことで、本当の旅が始まる。

原口さんが旅をしながら暮らすようになった心の種は、学生時代に芽生えていた。

「高校生のころは、勉強ばかりするのも嫌だったけど、特に熱中できるものもなかったんです。それでも、“何かやらなくては”という空気があって、すごく窮屈に感じていた。人と違う経験をすれば許されるような気がして、イギリスで一か月間のサマースクールに参加しました。そこで、逃げ場というか、日本以外にも選択肢があることを知りました。その後、国内の大学へ進み、旅に時間を費やすようになりました。タイやインドなどアジアの国々、イギリスやフランスなどヨーロッパも、バックパッカーとして少しずつ回って、アメリカのサンディエゴでも短期留学を経験しました」

旅ばかりしていた大学生活のなかで、弁護士を志すことにしたのはなぜだろうか。

「わたしが入った学科は、当時はおそらく8割の学生が法学部へ進む環境でした。その流れで、わたしも法学部を選びました。周りが就職を考え始めても、わたしは相変わらず旅を続けていました。ちょうどそのころ、日本にロースクールができたこともあり、もう少し勉強してみようと思ったんです。組織で働くより、個人で働ける職種の方が自分に合っていると思ったし、法律のおもしろさにも気づき始めました」

無事、司法試験に合格し、大手の弁護士事務所に就職。しかし、わずか2年足らずで退職する。

「退職理由のひとつは、忙し過ぎたこと。そのときは楽しかったし、やりがいもあったけれど、ずっとは続けられないと思いました。所内に留学制度もありましたが、行き先はアメリカばかりで、いわゆる“エリートコース”を進む感じにも違和感があって。それよりも、未知の国に行ってみたいという思いの方が強かったんです」

それで退職を決めるとは、ずいぶん大胆な行動のように感じられる。

「当時も周囲からそう言われたけど、決断したらすごく腑に落ちたんです。そのころ、仕事で知り合った人たちが、バングラデシュでNGOを立ち上げる話をしていて、わたしも参加したいと思いました。そういうポジティブな理由もあって、それならやっぱり辞めるしかありませんでした」

こちらは、法と人類学の基本書で、古典的論文を集めた本。タイトルもずばり『法と人類学』。

普段は二階の一番前の席がお気に入り。この日のバスは一階建て。

そうして一念発起し、原口さんはバングラデシュへ向かった。しかし、あてにしていたNGOのプロジェクトは、頓挫してしまう。そのとき、焦りや不安はなかったのだろうか。

「多少の焦りはあったけど、なんとかなるだろうと思っていました(笑)。生活費は安かったし、日本で働いていたときに貯めたお金もあったので、バングラデシュなら当面は暮らせるだろうと考えていました。プロジェクトの中止後、別の団体から少しずつ小さな案件をもらえるようになり、日本の開発支援とのつながりも生まれました。現地の法律調査や、国に対しての制度提案の前提を調べる作業もあって、そうした仕事の存在も知ったんです」

旅人と話すたび、いつも思う。「不安」は挑戦を止める理由にならない。焦りや不安は、むしろ試金石のようなものだ。真正面から向き合うことで、本当の旅が始まるのだろう。

終わりなき旅が、 世界の境界を溶かす。

一年半ほどバングラデシュでの生活を続けたころ、原口さんは「終わりのない旅」に出ることを決意する。

「学生のころから、いつかもっと長い旅をしたいと思っていました。卒業旅行で中東に行ったときも、世界は広すぎて、行けば行くほど行きたい場所が増えることに気づいたんです。ここもあそこもと回るうちに、帰る日が決まっている旅では満足できないと感じました。だから、いつか“終わりのない旅”をしたいと思っていたんです」

長い旅でも、終わりが決まっていれば制約が生まれる。逆算ではなく日々を積み重ねることで、旅の可能性は予期せぬ方向へ広がっていくのかもしれない。

そして原口さんは、バングラデシュを起点に再び旅に出る。海外での暮らしを経て、次の旅に駆り立てた原動力はどこから生まれたのか。

「日本へ一時帰国したとき、友人たちとの会話に違和感があったんです。楽しい時間ではあったのですが、異なる言語で話しているような感覚があって。その後、再びバングラデシュに戻ったら、その生活の方がしっくりきました。そこで、日本を拠点にせず、海外の仕事をメインにしたいと思ったんです。ところが、2015年にバングラデシュでテロが起き、しばらくは現地での仕事ができなくなりました。そんなとき、アフリカでの法律調査や学会運営の仕事の依頼が来たので、挑戦することにしました」

キングス・クロス・セント・パンクラス駅から乗ったバスを降り、裁判所へ向かう道を散策。

「​​The Law Society」のゲートを守るライオン像。1903年に建立され、重厚な石造りの姿は法と権力の象徴として門を見守っている。

「The Law Society」は、ロンドンの弁護士(ソリシター)の公式団体。1825年に設立され、弁護士の資格管理や教育、業界の規範を守る役割を担っている。

荘厳な姿の最高裁判所。一般向けの見学ツアーもある。この撮影の直後、覆面芸術家のバンクシーがクイーンズ・ビルディングの外壁に絵を描き、話題になった。

法律の知識を手に、原口さんはアフリカの地でさらに歩を進める。そして、ひとつひとつ仕事の実績を重ねるうち、いつしか後ろに道ができていった。

「弁護士事務所を辞めた当初は、もう法律に関わらなくてもいいと思っていました。でも、いまでは法律の知識が武器となり、旅を続けられている。旅と仕事が自然に融合してきていると感じます。法律と旅って、一般的にはかけ離れているように思われるけど、実際はそんなことはない。個人と社会はつながっているし、それをつなぐ規範のひとつが法です。気候や食べ物が場所によって異なるように、場所や文化によってさまざまな規範がある。それに、旅は移動することだけでなく、個人の考え方や視点の変化、あるいは変わらない部分を知ることでもあります。裁判制度も、その村や国だけの価値観では成立せず、外部の考えと混ざりながら変容していきます。わたしが法人類学を専攻したのも、ルールや法規範をミクロな視点で見たかったから。結局、それを理解するには人間を見るしかないんです。法意識の研究では、システムではなく、個人の側から法という規範を捉えようとする。旅もまた、とても個人的な行為だから、こうした考え方は旅と仕事をつなぐ発想にも通じているように思います」

旅と法律の境界を溶かすことで、互いに欠かせない関係が生まれる。それは唯一無二の価値となり、仕事へと昇華していく。

そんな仕事を通して、原口さんが伝えたいことは常に変わらない。

「裁判って、普段はニュースでしか見る機会がありません。でも、冤罪を疑われることや、隣人とのトラブルは、誰にでも起こり得る。そうした可能性は日常に潜んでいて、誰の生活にも関わってきます。だからわたしは、裁判を他人事とせず、もっと身近な存在に感じられるようになるといいなと思っています。裁判所が、さまざまな属性の人にとって怖い場所ではなく、困ったときに行ける場所になれば、回りまわってきっと社会でも多層的な価値観を話しやすく、聞きやすくなるはずだと考えています」

キングス・クロス・セント・パンクラス駅の裏にある、昔ながらのパブ〈King Charles I〉。「友人と楽しむことも、ひとりで早い時間に行って、1杯片手に勉強することもあります」

最近のロンドンは、クラフトビールがブームでIPAの種類も豊富。「でも、やっぱりギネスを頼みたくなってしまうくらい、イギリスのおじさん化しています(笑)」と、原口さんは笑う。

フィールドワークでアフリカを訪れたとき、現地で買った布で日本のデザイナーに作ってもらったアクセサリー。この日のトップスも、アフリカの布で仕立てたものを着用。

物価の高いロンドンだが、お酒だけは比較的リーズナブル。本気で集中するとき以外は、ファミレス感覚でパブで勉強することも多いという。

自分の道具と、新しい扉を開く。

今回、初めて裁判を傍聴して、原口さんが話していた感覚をほんの少しだけ理解できた気がした。それまで裁判所は、わたしには無縁の遠い世界だと思い込んでいた。でも、実際に足を踏み入れてみれば、入口にあるのはたった一枚のドアだけで、その扉は誰にでも開かれていた。

裁判所に限らず、世界にはこうした扉が無数に存在する。知らない場所や制度、価値観の前で立ちすくむとき、わたしたちはつい“自分には関係ない”と距離を置いてしまう。けれど、その先には、思いもよらない景色や出会いが広がっている。

そういう扉を開く行為こそ、人が“旅”と呼ぶものなのかもしれない。

そのとき必要なのは、大げさな覚悟や綿密な計画ではない。原口さんにとっては法の知識が、わたしにとっては自転車が、扉を開くための道具になった。

自分だけの道具を手に一歩踏み出せば、世界は新しいものの見方や感じ方を教えてくれる。見たことのない景色に心が震え、聞いたことのない声に耳を澄まし、触れたことのない文化に思いを馳せる。そうした体験のひとつひとつが、自分の旅をかたちづくっていくのだろう。