
「奄美大島でサーフィンをしませんか? 」
〈Patagonia〉から来たこの突拍子もない誘いを受け、『Tarzan Web』に入って半年、初めての出張に行かせてもらうことが決まった。
僭越ながらはじめに少し自己紹介をすると、私は昨年末から『Tarzan Web』にジョインした24歳で、昨年の秋までは大学に通っていた。学生時代から『Casa BRUTUS』編集部でアルバイトをしていて、その頃の上司が異動して『Tarzan Web』を丸ごとリニューアルすることになったのがきっかけで、仕事を手伝わせてもらうことになった。それで今、こうして記事を書いている。だから、サーフィンはもちろん、一人で出張に行くのもはじめて。
ひょっとすると、皆さんの『Tarzan』編集部員に対するイメージを損ねてしまうかもわからないけれど、私はとにかく運動が苦手で、日頃の運動習慣といえば、ごくたまに外を走るか、年に1〜2度テニスをするくらい。筋肉を鍛えたことも、正直人生で一度もない。だから、まさか自分の人生に「サーフィン」というアクティビティが登場する日が訪れるとは、つゆとも思っていなかった。(それにそもそも、長い間憧れだったこの仕事をさせてもらっていることにすら、まだちょっと実感が湧いていない)
だけど、『Tarzan Web』という新たな環境の中で、日々アスリートの方々や、スポーツを日常的に楽しむライターさん、あるいは優れたギアなんかに触れていると、無意識のうちに、少しずつ運動に興味が湧いていたところでもあった。そんなわけで、内心緊張しながらも、同時にどこかワクワクしながら、このお誘いを受けたことが今回の旅の始まりとなった。
奄美大島は、東京・羽田から直行便で2時間半。今はLCCも就航していて、私が思っていたよりずっと近かった。機内Wi-Fiで連絡を返したりしているうちに、あっという間に到着。

5月後半の奄美はすでに梅雨入りしていて、外は完全に雨模様。まだまだ涼しい東京からきた私は、昨年ぶりに味わうじめっとした空気と、見慣れない木々たちにソワソワしながら、さっそくこの旅の拠点となる市街地へ向かうことに。
今回の旅は、〈Patagonia〉サーフィン・アンバサダーで、プロサーファーの碇山勇生(いかりやま・ゆうせい)さんに率いてもらった。勇生さんは、奄美大島で生まれ育ち、ずっと海と共に暮らしてきたという。今現在は家族でサーフショップ〈Can.nen Surf〉を営むかたわら、ライフワークとしてサーフィンを楽しみ、海の環境問題に向き合う一般社団法人「NEDI 」も運営している。

島で唯一、10年続くのがここ〈Can.nen Surf〉。サーフィンに必要なギアはなんでも揃う。他にもサーフィンの前後で使えるケアアイテムや、貝殻を使ったアクセサリーまで、見ているだけで楽しい。
挨拶もそこそこに、まずは海を見にいくことに。あいにくの曇天なので、サーフィンは明日までお預け! と聞き残念に思いながらも、同時に少し安堵して海に向かった。(旅の序盤はいつもなんだか気持ちが追いつかなくて、今日海に行ってもポカンとしてしまうような気がしていた)

海まで続く、植物の生い茂る道。雨に濡れた草木の匂いが心地いい。

開けた先が海。足場が少しずつ砂になっていく。

「山の頭に雲がかかっているから、梅雨が始まった証だね」と勇生さん。

「まっさらな砂浜を歩いてみたらいい」と言われ、おそるおそるビーチサンダルを脱ぐ。砂の上を歩く感覚はとても心地がいいことをはじめて知った。私にとって海はこれまでそう多く訪れてきた場所ではなく、比較対象が十分ではないが、それでも、このゴミひとつないまっさらなビーチが、並大抵の努力では維持できないものであることは、想像に容易い。

初日の夜は、島の人たち御用達のイタリアン〈kulu-kulu〉で、今回の旅を共にするサーファーの皆さんとの親睦を深めた。奄美の食材を活かした料理とワインに舌鼓を打ちながら、サーファーの大先輩方の会話に混ぜてもらう、なんとも贅沢な一夜を過ごした。
サーフィンは、その日その日の満潮時刻にあわせて海に向かうものなのだそう。「明日は早い」とのことで、夜更かしもそこそこに就寝。

上から、ジーマミ豆腐とパッションフルーツのカプレーゼ/奄美野菜のハーブグリル/ナチュラルワイン
生まれて初めてのサーフィンを、奄美大島で。
この日の満潮は午前10:00。さっそく早朝〈Can.nen Surf〉に集合。まずは基本のあれこれをレクチャーしてもらうことになった。

支度の前に、といただいた奄美流おやつ。左から、初物のパッションフルーツ、おばあちゃんお手製の黒糖蒸しパン。ちなみにこの机とデッキも勇生さんたち家族の手作り。
ウェットスーツの着方から、必要な持ち物まで、言葉どおり手取り足取り教わった。今回私が着用したのは〈Patagonia〉のベストタイプのパンツ《ユーレックス・レギュレーター・ライト・ロング・ジェーン》と長袖のジャケット《ユーレックス・レギュレーター・ライト・ロングスリーブ・トップ》で、全身のほとんどが覆われた。寒さや日焼けだけでなく、海の危険から肌を守ってくれるのだそう。勇生さんは〈Patagonia〉のボードショーツ《メンズ・ハイドロロック・ボードショーツ 2.0 19インチ》を着用。サーフィンのギアには初めて袖を通したが、伸縮性や暖かさなど、当たり前だけど機能性がとても優れている。
勇生さんのボードショーツ《メンズ・ハイドロロック・ボードショーツ 2.0 19インチ》も、素材の8割以上がリサイクル・ポリエステルで作られていたり、他にも紐の随所にあるほどけないための凹凸や、結び目に施された工夫など、ディティールまで緻密に設計されていることがよくわかる。こうした身につけるギアは、ほんの少し着心地がズレるだけで、サーフィン中の集中力に大きく影響があるのだと教えてもらった。

勇生さんがサーフィンに出る時の持ち物。一年を通して着用している、パタゴニアのボードショーツに、波が大きい時に頭を守るヘルメット、松脂で出来たワックス、CBDのバームなど、小物の選択にも海への配慮が垣間見える。
サーフィンはまず、サーフボードの上に腹ばいになり、沖まで「パドル」と呼ばれる方法で漕いで沖へ向かう。その先で、波がきたら乗ること。それから、サーフボードの部位の名前、そして立ち方をレクチャーしてもらった。それが終わったら、海に挨拶をして、水中へ。
今回私は、パドルの姿勢から上半身を起こして、それからボードに手をついた状態で、波に乗せてもらった。ボードの上に立つほどの難易度ではないものの、これが意外に難しく、両端についている手の指先がほんの1センチ外に出るだけで、水の抵抗を受けてバランスを崩す。勇生さんから聞いていた「ボードショーツがずれたり緩んだりしては集中力が削がれるのだ」という話に、今日が初めての素人ながら、強く頷いた。
パドルで沖まで辿り着くと、浅瀬で水遊びをしている時とはわけが違い、ただ浮かんでいるだけでもずっと、波に合わせて身体が上下する。そして時折大きな波が来ると、それは否応なしに全身に直撃する。こんなに身をもって自然の脅威を感じることは、都心で暮らしていてはそうない。だけど、ボードにつかまり、波のリズムに沿ってプカプカとただ浮かぶ時間は、自然の摂理に身を委ねる不思議な心地よさがあった。


水に浮くことにも少し慣れてきた頃、顔を上げたら目線の先がちょうど水平線であることに気がついて、なんだか急にあらゆることに実感が湧いてきた。『Tarzan Web』で働いていること、その取材で奄美大島まで来たこと、そしてまさに今、海の中にいること。その全てが新鮮で、なんだか嬉しくて、そのまましばらく波に揺られていた。

途中、小雨が降り出したり、海水で前髪がオールバックになったりもしたけれど、気づけばそんなことはすっかり忘れて、夢中で波に乗った。終始勇生さんの助けを受けながらも、無事楽しんでサーフィンが終了。岸までの帰り道はウミガメに会えるかも、と聞き楽しみにしていたが、対面は叶わなかった。「また来いってことだね」と勇生さん。
普段、東京では少しの雨でも濡れたくなかったり、こまめに身なりをチェックしないと気が済まない私にとって、人前で全身ウェットスーツを着て、髪型も崩れきった姿になることは鮮烈な経験だった。だけど、海を上がった後、羽田から共に来た先輩サーファーから「今いい顔してるよ」と言われ、ありきたりだけれど、なんだか少し新しい自分になれたような気がした。
海を出たら昼食へ。身体が重たくも心地よい、どこか上の空な疲労感のなか、奄美大島の名物「鶏飯」を体験した。鶏飯は、白ごはんに鶏肉と錦糸卵、干し椎茸に紅生姜、ゆずの粉、ねぎ、それからのりとパパイヤを乗せて、鶏出汁のスープをかけていただく、お茶漬けのような郷土料理。5月のまだ少し寒い海を出た身体には驚くほど染み渡った。

「僕たちは共同体だから」
午後は勇生さんに街を案内してもらった。勇生さんは、とにかく顔が広い。今回の旅で食事に行った店はほぼ全てが勇生さんの友達の店だし、車ですれ違う人にすら、ほぼ全員と窓越しに会釈している。どうしてそんなに親しいのかと聞くと、自分たちは共同体だからなのだ、と教えてくれた。
「奄美はみんなが同じ状況の中で、同じ価値観を共有しているんです。いいことだけじゃなく、喜怒哀楽を全て共有するからこそ、協力し合えるんだと思う。みんな同じように鳥の鳴き声や海の様子、空模様を見て、季節の移り変わりを感じて生活する。いい部分で言えばそういうところですね。もっと楽しい部分で言えば、集落のお祭りがあったりもする」
「逆に悪い部分で言えば、台風のような自然の脅威。だけどこれもまた、みんな同じものを体験するんです。年齢や性別、社会的地位は関係なく、みんなが平等に自然から受ける恩恵と力を感じられる場所。だからこそ人と人の関わりがすごく重要になります。そういう意味で、僕たちは“共同体”だと思う」
奄美の人たちが皆それぞれ自由に、伸びやかに、それでいて助け合いながら生活できている理由が少しだけわかったような気がした。
それから農村部の水田にも連れて行ってもらった。ここがフィルターのように働き、海に流れ出る水が綺麗になるのだそう。
「奄美ではリゾート開発が年々進んでいるけれど、海や山などの自然を次の世代にもちゃんと残していけるように、自分にできることはしていきたい」

ボランティアチームが来て、田植えや畦作り、除草などをすることもあるのだそう。綺麗な海を守ることは、ギアの選択にこだわることや、ゴミを拾うことはもちろん、当然ながらやはりこうした手前の環境づくりから始まっていることを教わった。
観光客の増加やリゾート化に葛藤はないのか尋ねると、即答で
「観光で来た人たちは何も悪くない。けどやっぱり、奄美の魅力は自然や環境だけじゃなく、“人”だから、それがリゾート化・ビジネス化が進みすぎてわからなくなってしまわないように、行政や集落の人たちと連携しながら、うまく住んでる人たちの魅力が伝わる割合にしたいとは思っている」
という答えが返ってきた。再開発が進む日本各地では、きっとこのバランスを崩す自治体は多くあって、私自身時折東京にもそう感じるからこそ、勇生さんたちの姿勢には学ぶことが多くあったように思う。

田んぼの水が行き着く先の海。浜辺にはヤドカリ、周囲を囲む山には野生の山羊が暮らしている。
奄美最後の夜は、屋仁川通りで郷土料理を。

上から順に、奄美の地魚の酢味噌あえ/薄焼きたまごのおにぎり/冬瓜の汁物。どれも奄美の郷土料理。


奄美で40年以上続くという夜しかやっていない喫茶店。甘いものを片手に日付が変わる頃まで話し込んだ。

あっという間に東京に帰る日がやってきた。たった2泊3日の旅だったはずなのに、勇生さんや島の皆との別れは、うっかり泣いてしまいそうなほど寂しくて、すっかりこの島に魅了されていたと気づく。「奄美は人」という勇生さんの言葉は、完全にその通りだ。
空の変化や生き物の様子、波の状態など、人間の方が「自然に住まわせてもらっている」とでも言えるような、自然と人が互いを尊重し共存する暮らしは、東京の生活の中でつい忘れてしまうことを思い出させてくれたような気がした。少なくとも、満員電車で人にぶつかられても顔を顰めるのは極力やめにしよう、なんていうちっぽけな決意を持ち帰ることにした。
まさか私の人生に「仕事でサーフィンを体験させてもらう」なんていう突飛な体験が訪れるとは、本当に微塵も予測していなかった。だけどやっぱり人生はこういうところが面白いし、こうした突拍子もない出来事に、できる限り軽やかに、全身でダイブする気持ちは常に持っていたいものだと思う。
今回の私の旅は、棚からぼた餅のような誘いがきっかけだったけれど、予想もしなかった出来事を人生に引き起こすのは、案外日常の中のほんの小さな一歩からだったりもするのかもしれない。
普段は都市で多忙な生活を送る人や、運動に苦手意識がある人にこそ、「奄美大島でサーフィン」という体験は、是非とも飛び込んでみて欲しい一歩だと今振り返って思う。
羽田からなら費用も時間もさほどかからないし、〈Can.nen Surf〉に勇生さんを尋ねて行けば、ギアもレンタルボードもすぐに揃う。
こんなに運動が苦手な私すら、この夏はまたサーフィンに行こうと思うほど楽しめたのだから、きっとあなたも大丈夫!
