「京都で“再スタート”する、デザイナーとヴィンテージバイク​」錢 施穎(ianmaei デザイナー)

自転車のある暮らしは楽しい。歩くよりも早くて、車よりも小回りが効く。有酸素運動にもなるし、街を見る視点も増える。こだわりの愛車との生活をドキュメントする連載。​第5回は、京都市浄土寺で、暮らしに必要な道具を革で製作するブランド〈ianmaei〉のデザイナー、錢 施穎さん。

取材・文/山田さとみ 撮影/町田益宏

Profile

錢 施穎(チン・シイン)/シンガポール出身。南洋芸術学院(NAFA)卒業後、2016年に来日し、京都の革小物作家・矢持真澄氏に師事。翌年帰国し、2018年に自身の革小物ブランド〈錢工房〉を立ち上げる。2022年から2年間、東京で三澤則行氏のもと靴づくりを学び、2024年に拠点を再び京都へ。ブランド名を〈ianmaei(ヤンメイ)〉に改め、現在は浄土寺に構えたショップ兼ワークショップスタジオを拠点に、制作を続けている。

革で裸足感覚に近い靴“ベアフットシューズ”やバッグなどを手がけるデザイナー、チン・シインさんが初めて京都を訪れたのは、大学の卒業旅行のとき。当時、この地に暮らしていた姉が、近所の革小物作家・矢持真澄さんを紹介してくれた。その出会いをきっかけに、子どもの頃から好きだったハンドクラフトへの情熱が再燃。それから、2年間かけて資金を貯め、矢持さんのもとで本格的に学ぶため、ふたたび来日し、京都で1年間を過ごした。

シインさんのブランド〈ianmaei〉では、裸足に近い感覚で歩ける「ベアフットシューズ」を主に展開している。スポーティな印象が強いこの靴を、より日常の装いになじませたいと、レザーでの製作を始めた。

4月に改装したばかりの店内には、大きな窓からやわらかな陽射しが差し込む。 階段も開放され、日光浴ができるよう工夫されている。いずれはドリンクの販売も視野に入れているという。

「その1年間、矢持さんが自転車を貸してくれていたんです。〈Bianchi〉のクロスバイクだったのですが、京都の町を自転車で走ると、自由を感じられたのを覚えています。自分のペースで進んだり止まったりしながら移動できることが、とても心地よくて。京都の自転車レーンは快適だし、空は広く、いつも美しい風景に囲まれているから、その心地よさがいっそう特別に感じられました」

1年間の修行を終えたシインさんは、シンガポールへ帰国して自身のブランド〈錢工房〉を立ち上げた。昨年、ふたたび拠点を京都に移し、ブランド名を〈ianmaei〉に改めて、活動を続けている。今回の移住では、自分の自転車を購入。悪天候や荷物の多い日を除けば、ほとんど毎日のように乗っているという。

靴のほか、バッグや財布、カードケースといった革小物に加え、ヘアクリップやイヤリングなどのアクセサリーも手がけている。 お店の奥には、バッグを製作するための工房スペースも併設。

ianmaei

●京都府京都市左京区浄土寺上南田町33-4|地図。不定休。@ianmaei info@ianmaei.com

そんな京都暮らしのなかで、シインさんが日常的に訪れるお店のひとつが、コールドプレスジュース専門店〈SUNSHINE JUICE KYOTO LAB〉。〈ianmaei〉から自転車で5分ほどの場所にあり、2024年に京都市浄土寺に出店した新店舗。東京・恵比寿にも店を構えるこのジュース店は、身体を気遣う健康思考の人たちに支持されている。

「東京は店内が狭く、あまり時間のないお客さまも多いので、すぐに提供できる状態で用意しています。この店舗では、『昨日お酒を飲み過ぎた』とか『野菜をちゃんと摂りたい』とか、お客さまと話をしながら、リクエストがあればアレンジして、一杯ずつ絞っています」

そう説明するのは、店主のコウノリさん。

「エナジーチャージのため、週に1回は来ていますね。甘いジュースが好きなので、いつもビーツやリンゴ、ニンジン、生姜なんかをベースに頼んでいます。ノリさんは、わたしが作るベアフットシューズをオーダーしてくれた、日本で最初のお客さまでもあるんです」と、シインさんはうれしそうに話す。

使用する素材はすべて国産。全国から、旬や品質にこだわって選んだ野菜や果物を仕入れている。

この日、おまかせでオーダーしたジュースは、ビーツをベースに、はるかやデコポン、レモンなどの柑橘類、生姜、りんご、ヤーコンをミックスしたもの。1杯1,000円。

SUNSHINE JUICE KYOTO LAB

●京都府京都市左京区浄土寺下南田町110-8|地図。TEL:090-4257-1895。水曜日〜土曜日(8時〜16時)。不定休。@sunshinejuicelab

 

お気に入りのお店を行き来するのにも欠かせない愛車は、シルバーと白を基調にした、柔らかな印象のヴィンテージバイク。どこのメーカーかもわからないほど塗装が剥げた中古品を、自ら選んだという。

「中古品だから、“再スタート”の象徴のように感じたんです。京都には、新しい生活を始めるために来たので、一緒に再スタートする相棒みたいな存在で。素材を活かしたシルバーと白の組み合わせは、キャンバスのように余白があって、町に自然と溶け込めるような気がします」

この自転車を組み上げたのは、京都市修学院にある〈XIE BICYCLE〉の店主・長谷 心さん。そのときの様子を、こう振り返る。

「たまたま店頭に置いてあったボロボロの中古自転車だったのですが、塗装を剥がしておいたら、シインさんはその金属の色が気に入ったようでした。少し錆びてもいいから、そのままの色を活かしたいというリクエストだったので、ローフィニッシュにクリア塗装で仕上げました」

ハンドルグリップは、シインさんの手製。 使い込むほどに味わいを増すレザーの質感が、時間とともに自転車への愛着を深めていく。

少し錆びが浮いていても、丁寧にラグ溶接されたフレームは、クラシックな上品さをまとっている。

たまたま長谷さんの手元にあった、白く塗装されたブランド不明のクランクは、不思議とシインさんの雰囲気にすっと馴染んでいる。

継ぎ接ぎを重ねて取り付けられたライトには、少し不恰好なその姿に、暮らしの跡がにじみ出ている。そんな佇まいが、どこか愛らしい。

このように〈XIE BICYCLE〉では、ブランドやジャンル、年式にとらわれることなく、それぞれの好みや用途、暮らしに寄り添った一台を提案している。持ち主の個性に合った自転車が生まれる背景には、このお店ならではのユニークなスタイルによるところが大きい。

「ブランドにはまったくこだわってないですね。本当に使いやすいパーツと、そのとき手元にある中古パーツを組み合わせることが多いです。このリアホイールも、スポークが弱っていたので真鍮のニップルで組み直して、シインさんらしい雰囲気になるようにしました」

店主の長谷さんは、15歳から自転車店で働き続けてきた、生粋の職人。以前は烏丸通りに店を構えていたが、2023年に移転してから現在のスタイルに切り替え、静かに営業を続けている。

店内には、バリエーション豊かな自転車やパーツ、アクセサリーが並ぶ。

京都の伝説的な自転車店〈空井戸サイクル〉と深い親交のあった、フレームビルダー・高井悠さんが手がける、〈SUNRISE CYCLES〉のフレームも取り扱っている。

〈XIE BICYCLE〉のオリジナルフレームも、高井さんが手がけている。あらかじめ決まった型はなく、お客さんひとりひとりのリクエストに合わせて、フルオーダーで仕立てられる。

絵を描くことやものづくりが好きな長谷さんは、最近、お店のフリーペーパーづくりも再開した。これまでには、お店の自己紹介や愛犬との散歩、自転車で巡った台湾の旅など、気の向くままに綴ってきた。

建物を入って右手に店を構える〈XIE BICYCLE〉は、一見して自転車店とは思えない外観。隣には、知る人ぞ知る古着店〈OASIS 2〉がある。

その営業スタイルも特徴的で、お店は完全予約制。人通りの少ない路地から入った、住宅に紛れるような平屋の中で、ひっそりとお店を構えている。

「基本的に定休日は決めてないのですが、仕事をするのは毎日朝7時から11時まで。ご来店の予約は、朝7時から20時まで受け付けています」

XIE BICYCLE

●住所非公開。予約制。@xiebicycle sn.xie.bicycle@gmail.com

もともと長谷さんが住居として借りていたこの建物。現在は、4人のクリエイターとシェアをしており、最近そこにシインさんも加わって、靴の工房を構えるようになった。

「靴づくりは、糊の匂いが強くて埃も出るので、ショップとは分けることにしました。これからは、それぞれの場所で週の半分ずつを過ごすことになるから、移動をする機会も増えそうです。バスや電車に乗ると、ついスマホを見てしまって、移動の合間にメッセージを返したり、仕事を詰め込んだりしてしまう。でも自転車だと、道や周囲に自然と注意を払うようになります。咲いているお花や、これまで気づかなかったものを見つけたときには、好きなタイミングで立ち止まれる。四季折々の“屋外展覧会”を、ぶらぶらと散策しているような気分になるんです。もう、自転車のない京都での暮らしは、想像しにくいですね」

〈BICYCLE SPECIFICATIONS〉

​​フレーム:Unknown (Vintage)
ホイール: Araya
ハブ: Shimano
グリップ: Handcrafted by her
サドル: Dixna
ペダル: MKS – BM-7
タイヤ: CST