〈ASICS〉の《ゲルニンバス27》| これ、履きたい。

スタイリング・文/小澤匡行 撮影/川谷光平 ヘアメイク/奥野陽子

〈asics〉の《ゲルニンバス27》

シューズ《GEL-NIMBUS 27 LUXE》 24,200円、ノースリーブシャツ 4,950円、ショートパンツ 6,050円、以上アシックス、問い合わせ先:アシックスジャパン カスタマーサポート部 公式サイト 、ナイロンジャケット 33,000円、アンドワンダー、問い合わせ先:アンドワンダー 公式サイト

文・小澤匡行

常々この連載でも書いているが、ランニングのメリットは自分の感覚と対話できることだ。走り続けることで変わっていく身体や記録、それに伴う達成感は、ともすれば他人とシェアしたくなるが、そこに圧迫感を覚えることもある。基本的にランニングは一人が多いから、結局は自分としか対話できない。しかしそれは静かな時間の発見でもある。「自分とずっと一緒にいること」への心地よさとでも言ったらいいのだろうか。他者の呼吸を感じたり、目標を共有し合うといった、コミュニティ主義なランニングは窮屈に感じてしまう。それよりも風景に意味を見出したり、一人で走る孤独そのものを肯定することをわりあい大事にしていて、その時間に救われている気がする。

つまり、仕事や人間関係といったことに人生を管理されることの息苦しさから解放されることをランニングの楽しみにしている。頭の中をぐるぐるとめぐっている、人にわかって欲しくない感情に付き合える時間であり、ある程度の距離を走り続けていると、それがいつの間にか、景色や身体のリズムに溶けていくように消えていく。とくにそれを求める日は「速く」より「長く」走れるシューズを選びたくなる。その条件は、フワフワとした、クッショニングのいいシューズだ。その選択肢の一つに、〈アシックス〉の《ゲルニンバス27》がある。

《ゲルニンバス》は、〈アシックス〉の中でもクッション性を重視したシリーズだ。ニンバス(NIMBUS)というネーミングはラテン語の「雲」に由来するそう。つまり「雲の上を歩くようなシューズ」がコンセプトの根底にずっとある。日本の歴史あるメーカーらしく、職人的な歩みをしてきた同社は、厚底シューズのブームに関しては、やや慎重というか、後発だった。2019年に初の厚底シューズとして《メタライド》が発表されて以来、カーボンプレートを搭載したモデルを次々と誕生させ、ここ数年で持ち前の技術力を見せつけた。《ゲルニンバス》は、1999年に初代モデルが発表されて以来、ずっとトラディショナルな履き心地の中で進化していったが、25作目から新しいフォーム素材を取り入れ、まったく新しいクッション感になった。スタックハイト(ヒール高)も40mmに近くになり、いわゆる厚底シューズの仲間入りをした。最新の《ゲルニンバス27》は、さらにミッドソールに厚みが増し、見た目も履き心地も”雲の上”に近づいている。反発の強さで勝負しているモデルではないので、足がグイグイと運ばれる感覚は少ないものの、ゆっくり長く走るための素地があるシューズだ。この柔らかいクッショニングによって地面が遠くなり、疲れにくく、怪我の防止につながっている。

雲、と聞くと、フワフワと浮遊するイメージを連想させるが、文学的にはより曖昧なもののメタファーである。現実と非現実の境界をぼやかしたり、孤独や感情の揺らぎを視覚化する例えとして使われることが多い。例えば「雲が柔らかく流れていく」、といった描写には、静かな余韻を感じさせるのだ。そんなことをデスクに座って考えていたら、多和田葉子さんの『雲をつかむ話』という短編小説集を思い出した。タイトルは直球だが、内容はとにかく捉えどころがない。ただ、言葉の選び方というか、距離感がとても独特で、「正しく伝える」ことよりも、意図的に「心を揺らす」ことに重きが置かれた文章に、どこか心地よさを覚えたのだ。僕は、起承転結を拒むような小説が割と好きである。ストーリーがしっかり設定されているということは、心の動きが設計されていくことだ。せっかくの読書の時間を、なにか物語に管理されているような気がしてならない。その点で、筋道がはっきりとしない多和田葉子さんの文体は、自分の思考の余白を読むようだった。僕の好きなランニングに、どこか似ている。

走ることで生まれる自分の変化や進化を、シューズというドラマチックな物語に委ねる楽しみもある。しかし雲をつかむように捉えどころのない《ゲルニンバス27》の魅力もぜひ知って欲しいのである。走り続けている人も、走り始めたばかりの人も、目標を持たない、速くなる必要のない走りを。韻文とも散文とも例えにくい、起承転結のないランニングにこそ、静かな時間を見つけ出すことができる。そこに自分の心が動かされていく。