萱和磨(体操)「夢の果ての景色を見られたような感じがした」
東京、パリの2つのオリンピックで、主将という重責を担ってきたのが萱和磨だ。初めて金メダルを手にした彼が語ることとは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2024年9月26日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/吉松伸太郎
初出『Tarzan』No.888・2024年9月26日発売
Profile
萱和磨(かや・かずま)/1996年生まれ。小学校2年生のときに体操を始める。習志野市立習志野高校の3年時に、全国高校体操選抜大会の個人総合で優勝。順天堂大学へ進学。2015年の世界選手権では個人あん馬で銅メダル。団体総合で金メダル。21年、東京オリンピックでは団体総合で銀メダル、種目別あん馬で銅メダルを獲得。今年、パリ・オリンピック男子団体総合で金メダル。セントラルスポーツ所属。
目次
個人では自分のミスは自分のミス。団体の場合は自分の失敗がチームの足を引っ張る。
パリ・オリンピックの体操男子団体で優勝を果たした日本。リオデジャネイロ以来2大会ぶりで、前回の東京オリンピックは0.103点という僅差でROCに敗れた。この東京、パリで主将を務めたのが萱和磨だ。地獄と天国を知る男である。
ところで体操は本来、個人競技なのだが、とくに日本選手は団体に重きを置く。どうしてか?と萱に問うと、しっかりとした口調で、理路整然とした答えが返ってきた。
「個人では自分のミスは自分のミス。それだけで、気は楽なんですよ。でも団体の場合は自分の失敗がチームの足を引っ張ってしまうことになる。重みが全然違うんです。それに体操はまず団体があって、個人という順番になっているので、最初が一番大きなハードルになる。それを乗り越えたら、個人も種目別もイケるっていう流れになっていくんですよね」
つまり、今回は上手く流れに乗って、個人総合での岡慎之助の金メダルに繫がったのかもしれない。話を元に戻して団体である。団体は予選、決勝と行われるが、その予選前夜、萱はどんなことを考えていたのか。
「落ち着いていましたね。2回目でしたし、予選、決勝と尻上がりのようになっていけばいいとも思っていました。ただ、同じ部屋だった杉野(正尭)とかはけっこう緊張していて、チーム全員でゲームをしたりとか声を掛けたりとか、ちょっとでも緩和させたいとは思っていました」
予選は中国に続いての2位通過。これはいいのであるが、ひとつ萱の想定外のことが起こってしまった。
「自分で得点をシミュレーションしていたんです。それが2点差で2位通過だった。ところが予選のときに電光掲示板を見たら2.7点の差。ちょっと焦ったというか、ヤバいって思いました。ただ、このまま銀メダルで終わりたくはなかった。だから、主将というのではなく一人の選手として、もっと言えば一人の人間として“金メダルを本当に獲りたい”と、決意表明のようなことをしたんです。すると次に谷川(航)君も同じようなことを言って、選手全員も声を揃えた。コーチやスタッフも“コイツらに獲らせたい”という思いを語ってくれた。なんか初めてそのときに、チームが綺麗な円になったというか、これはスゴイなって」
決戦前夜、見事準備は整ったのだ。
東京オリンピックでは演技にがむしゃらなだけ。
その姿は3年前、東京で主将を務めていた萱とはまったく違っていた。
「あのときは主将といっても、初めてのオリンピックだし、全然余裕はなかったです。ただ自分の演技にがむしゃらなだけ。演技に関していえば東京もよかったですが、それ以外のところ、チームのことまでは全然考えることはできなかった。それに比べるとパリでは、もちろん自分のことをおろそかにしないという前提があって、そのうえで周りのことも見られたという実感がありますね」
2022年に、小・中学生のときに同級生だった星良さんと結婚したことも大きかった。結婚前の東京オリンピックはコロナの影響で無観客。萱は星良さんに“パリは連れていきます”とメッセージを送った。「やっぱり言ったことは成し遂げたかった」と笑う。星良さんがまたすごい。萱のために管理栄養士の資格を取るべく、昨年から大学に通い始めた。
「本当に支えてもらっていますね。やっぱり体育館での練習だけでなく、食事も睡眠も大事。結婚してからは野菜が多めで、変なモノは食べなくなった(笑)。油っこい料理がスタンダードだったのが、今ではご褒美で食べるという感じ。ただ、全然食べないというのは、逆にカラダに悪いとも思う。体操選手は体重が重要ですが、朝起きて洗面所に行くまでの数歩で、300g程度の差でも、今日の自分の体重はわかりますね」
練習のやり方も変わった。順天堂大学の学生だった頃は、口数は少なく徹底して自分に向き合っていた。とにかく繰り返すことで精度を上げ、それが今の萱の美しく安定した演技を作り上げた。孤高の作業といってもよかろう。だが、今はいろんな選手と話すことが重要だと考えている。
「ここ(順天堂大学)で練習しているレベルの選手なら、突出した部分が1つはある。それを習いたいし、真似したい。逆も然り、自分ができることは伝えていきたい。技術とかやり方を口にして教えると、自分自身も気をつけるようになるというか、その技に対してより深く理解できるようになると思っているんです」
オリンピックでは本当に何が起こるかわからない。
迎えた決勝。やはり萱は出場した種目すべてで14点台という安定した演技を見せる。演技が終わるたびにガッツポーズ、絶叫した。これは自分に対してではなく、チームを鼓舞するためだった。
しかし、エースの橋本がケガの影響によりあん馬で落下。4種目目では跳馬のスペシャリスト谷川が失敗。最終種目の鉄棒を残して3.267まで差が開いた。普通この差では優勝は無理である。
「3.2って……、本当に勝てるのか?と、一瞬疑いました(笑)。でも諦めないとすぐに切り替えて。オリンピックのプレッシャーは凄い。世界選手権とは全然違う。それは中国の選手にしても同じで、だから何が起こるかわからない。とりあえず自分たちのできることを100%やろうとみんな思っていました」
中国選手が2度の落下で得点が伸びず、日本は逆転で優勝。萱は号泣して、チーム全員と抱き合った。「夢が叶った瞬間、夢の果ての景色を見られた感じがした」と言う。
今、子供の頃みたいに、体操をすることが楽しい。本当に好きなんだと思う。
パリが終わって1か月後の9月。早くも萱は練習を再開する。27歳という年齢を考えれば、少し休むという選択肢もありなのだが、実は早くやりたくてウズウズしていたというのが、本当のところのようなのだ。
「パリまでで培った貯金(体操に必要な体力や技術)があるので、切り崩していけば2年は食っていけると思う。でも、4年後のロサンゼルス・オリンピックまでは持たない。30歳を越えているので、体操のさまざまな引き出しを増やす必要がある。そのために練習、食事、睡眠をよりよく変えていく。そして4年後を見据えて、一年一年しっかり計画を立ててやるというところまでは見えてきています。なんか今、子供の頃みたいに体操が楽しいんです。この歳になってそう思うんだから、本当に好きなんでしょうね」