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「力だけでなく、技術だけでもなく総合力を高めたい」ウェイトリフティング・糸数陽一

1991年、沖縄県生まれ。160cm、61kg、体脂肪率4.8%。高校2年時に56kg級、3年時に62kg級で国体、全国高校選抜、高校総体の3冠に輝く。大学卒業後、警視庁に奉職。2016年、リオデジャネイロ・オリンピックで4位。17年の世界選手権で、日本男子36年ぶりのメダルとなる銀メダルを獲得。

海底の石を水面まで持ち上げて、基礎体力を養った。中学で始めたウェイトリフティングで才能が花開く。世界選手権で36年ぶりにメダル獲得した日本男子だ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.796〈2020年9月24日発売号〉より全文掲載)

目の前には、真っ青な海。少年は躊躇することなく飛び込み、水深3~4mへと潜っていく。海底には大きな石がゴロゴロと転がっている。そのひとつを抱えると、水を搔いて水面に浮かび上がる。

「沖縄の離島、久高島で生まれ育ったんです。周囲8kmほどの小さな島が、すべて遊び場だった。追い込み漁をしたり、鬼ごっこをしたり。そんなことしかやることがなかったんですね(笑)。一日中、野外ですよ。家でゲームなんか全然しなかった。自然の中で遊んでいたので、基礎体力が養われたんだと思います」

ウェイトリフティング・糸数陽一

糸数陽一は懐かしむように話を始めた。オリンピックのウェイトリフティングのメダル候補だ。この競技は前の東京オリンピックで金メダルに輝いた三宅義信を筆頭に、日本が数々のメダリストを輩出していた。しかし、84年のロサンゼルス・オリンピックを最後に、メダルから遠ざかった。糸数は日本人男子として、久々の期待の星なのである。

自粛期間に技術的な部分を追求した。

だが、他の競技者と同様に今年は練習が新型コロナの影響を少なからず受けた。緊急事態宣言の自粛期間、バーベルを一切握ることができなかったのだ。ウェイトリフティングは、スナッチとクリーン&ジャークという2種類の動きで、3回ずつ試技を行い、持ち上げたベスト重量を競う。常に高重量で練習をするのが効果的なのだが、それができない。筋肉が落ちていく不安もある。選手にとって、これは由々しき事態だろう。しかし、と糸数は言う。

ウェイトリフティング・糸数陽一

「中2でウェイトリフティングを始めて以来、長期間バーベルを握らなかったのは初めてでしたが、おかげで深く考えてトレーニングするようになりました。今まではバーベルを持ってスクワットするのが当然だったけど、何も持たずにスクワットをしてみる。どこの筋肉をどう使って動作すると効率的か自覚するようになりました。普段の体重は65kgぐらいですが、それをどう生かして使うのがベストか、といったことです」

高重量を扱えなかった自粛期間を生かし、技術的な部分をどんどん追求していった。

「もちろん、バーベルを持っていなかったので、体力は一時的に低下したかもしれない。ただ、その間ずっとイメージができていたので、通常の練習を再開したときに動き自体はそんなに悪くなかったです。あとは実際にバーベルを触って、体力を元に戻していこうと思っています。今はまだ100%ではないですけど、ちょっとずつ最高のパフォーマンスに近づけて、来る日に向けた準備を続けているところです」

来る日とは、もちろん延期された東京オリンピックである。

カラダが疲弊しても、記録は伸びていった。

久高島の森を駆け回り、美しい海で泳ぎまくった少年が「ウェイトリフティングをやってみないか」と、声を掛けられるのは必然だった。というのも、沖縄県ではウェイトリフティングが、非常に盛んに行われているのである。大自然に鍛えられて、運動の素地ができつつあった糸数も、誘われてやる気になった。

「それまでウェイトリフティングのことはまったく知らなかったんですが、いま振り返ると、自分にぴったりの競技だと思いますね。ペアの競技とかチーム競技を経験すると、たとえばダブルスの場合でも敵に対して、またパートナーに対してもいろいろ考えなくてはいけない。しかしウェイトリフティングは自分のメンタル、技術、それにトレーニングを磨いていけば、やった分だけ重さという成果になって表れる。

大会では順位がつくし、もちろん勝負に勝たなくてはいけないんですが、そのためには何より自分に勝つことが重要なんです。自分に負けてしまったら、本来の力を発揮できないですから。人と争うのではなく、コツコツと練習して自分を向上させていく。そんなところが性格に合っています」

中学で基本のキを学び、沖縄本島の豊見城高校へ入学する。全国大会の常連校であり、ウェイトリフティングのエリート校である。それだけに練習は厳しかった。とくに糸数には、特別に課せられたことがあった。

ウェイトリフティング・糸数陽一

「バーベルの握りを補助するストラップがあるのですが、入部後は一切それを嵌めさせてもらえなかった。先生からは、“手が小さいから素手で正しい握り方を覚えて、握力をつけることが将来につながる”と指導されました。もう手がマメだらけになるし、皮膚は破れるし、カラダも筋肉痛でボロボロ。最初の1か月、イヤでイヤで本当に辞めたかった」

泣きながらバーベルと格闘したこともあったようだ。しかしカラダはボロボロでも、持ち上げられる重量が面白いように伸びていった。

「なんで記録が伸びるか不思議でした。もうちょっと頑張れば、もっと挙げられるかもなんて面白さを感じるようにもなりました。それまで力で挙げていたものが、日々の練習でカラダが疲れてくると、技術で挙げることができるようになっていった。ウェイトリフティングは、力だけの勝負ではないこともわかって、その魅力に取りつかれていきました」

この競技はパワーに注目が集まりがちだが、ただの力比べではない。バーベルを床から引き上げて、その下にカラダを潜り込ませるには瞬発力が必要だし、腰を低く落とすためには下半身の柔軟性が求められる。バーベルを挙上するにはスピード×力=パワーが確かに最重要だが、持ち上げた後で保持するには、しっかりと姿勢を正してバランスをとらないと静止できない。スポーツの重要な要素が多く入っているのである。

たった1kgの差で、ロンドン五輪出場を逃す。

高校で、糸数の才能は見事に開花する。2年時に56kg級で国体、全国高校選抜、高校総体の3冠を成し遂げ、3年時には62kg級で同3冠に輝くのだ。ただ、惜しい失敗もあった。2年の6月に行われた九州総体で優勝を逃し、2位に甘んじたのだ。

「1年生のとき高校総体で初優勝して、その次の大会でした。本当に悔しかった。全国優勝したことで、少なからず天狗になっていたんでしょうね。気を緩めないで自分を律しないと、少しでも隙があると簡単に負けてしまうと痛感しました。それ以来、高校では負けていません」

日本大学に入ると、JOC(日本オリンピック委員会)の強化指定選手に認定される。期待されたなかで、しかしロンドン・オリンピック出場は果たせなかった。日本の出場枠は全階級でただ1人。重い階級の日本人選手に世界ランキングで負けてしまった。1kgの差だった。「自分の弱さを改めて知る機会になりました」と、糸数は言う。4年後のリオデジャネイロでは活躍したい。大学卒業後は警視庁に奉職した。練習への取り組みが変わった。

ウェイトリフティング・糸数陽一

「弱さを知ったことが原動力になりました。それまではナショナルチームの監督が渡してくれる練習メニューをひたすら、カラダが動くままにやっていた。いわば量が中心のトレーニングです。徐々にメニューを自分なりに解釈して、自分にはこんなトレーニングが合っているんじゃないかと考えるようになりました。監督と意見交換というか、話し合いができるようになって練習の質が上がった。それが大きく変わった点ですね」

リオ五輪に出場し、結果は4位。3kgの差でメダルを逃した。ただ、内容は素晴らしかった。スナッチ、クリーン&ジャークとも3回の試技をすべて成功させ、スナッチ133kg、クリーン&ジャーク169kg、トータル302kgで自らが持っていた日本記録を更新したのだ。

「終わった瞬間はベストが出せたことに本当に満足していたけど、3kg差が今では悔しいです」

糸数は本音を語るが、究極までトレーニングをしたうえでの3kgアップというのは、大きな開きだとは彼も重々承知している。常に己と向き合い、練習の精度を高め続けている。来年、東京オリンピックが開催されれば、彼にとってひとつの節目になるはずだ。30歳、力も技術力もきっと円熟の時を迎えている。もちろん、開催国の利もある。本人もこのオリンピックに焦点を合わせている。

「以前は、午前、午後ともバーベルを使ってトレーニングしていましたが、今は週2~3日は午前中にランニングを取り入れています。ダッシュ系を加えたり、階段を駆け上ったり。瞬発的な運動をすると、いろいろ細かい筋肉が刺激されるのがわかります。インナーマッスル体幹のトレーニングにも気を配っています。カラダ全体のバランスを整えながら、総合的に強化していくのが目的です。バーベルを動かすイメージはかなりできているので、そのために稼働できる筋肉を増やすということが大切だと思っています」

練習だけでなく日常生活の中でも、改善できることはすべてやりたいと糸数は言う。

「貪欲に自分自身に挑戦する気持ちを忘れずにいたい。トレーニングだけでなく、睡眠や食事の改善についても、自分にできる限りのことをやって、ちょっとずつでも世界の頂点に近づいていきたいですね。ウェイトリフティングという競技は、やはり“対自分”なんです。やり込んで、追い込んで自分に勝つことで、1kgでも重いバーベルを挙げる。持ち時間はみんな同じなので、自分を律してトレーニングを続けていき、来る日にはメダルを狙いたいです」

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.796・2020年9月24日発売

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