「ユーススポーツを取り巻く経済圏」|新しい体育

スポーツ教育を取り巻く研究やエビデンスは、常にアップデートされていく。子育てに奔走する親世代も、働き方や暮らし方をそれに合わせて調整したり、優先順位をつけたりしてウェルビーイングな生活のありようを模索していくのだろう。この連載では、ニュースレターとポッドキャストプログラム『Lobsterr』を運営する傍ら、3児の父(4歳の女の子と5歳と8歳の男の子)でもある岡橋惇さんが、世界の最新トレンドをリサーチしつつ、自身のパーソナルな暮らしと交差させるモノローグです。第二回のテーマは「ユーススポーツを取り巻く経済圏」。

text:Atsushi Okahashi photo:Tarzan Web

“かけっこ”のパーソナルコーチ。

少し前から、息子の走り方が気になっていた。腕がうまく振れておらず、足がうまく踏ん張れていないように見える。本人は気にする様子もなく楽しそうに走っているし、決して遅くないのだけど、どうしても気になってしまう。

そんな相談を友人にしたところ、自分の子どもを見てもらったパーソナルコーチを紹介してくれた。オンラインのパーソナルコーチのマッチングサービスで探した人だそうだ。サービスのページを見てみると、評価コメントや空き状況から、その人が人気なのがわかる。

実際に見てもらうと、コーチは子どもの扱い方にも慣れていて、息子の走りを一度見ただけで、腕の角度や足の使い方の癖を理解し、丁寧に指摘してくれた。1時間のセッションで、彼の走りは目に見えて変わった。5歳の子でもその違いを実感できているようだった。

また別の日には、習い事の待ち時間にパパ友が、その日は午後にかけっこクラブがあると教えてくれた。すぐにスマホで検索してみても、ほとんど情報が出てこない。話を聞いてみると、そのかけっこクラブは紹介制とのことだった。その日を境に、ぼくのSNSのフィードには、かけっこ教室の広告が頻繁に流れてくるようになった。

子どもがうまく、速く走れるようになるのは嬉しい。けれど、その「正しい走り方」がいつの間にかひとつの市場になっていて、自分もすでにその入り口に立っていることを思い知らされた気がした。

「トラックフレーション」という現象。

同じ頃、アメリカの陸上界で「トラックフレーション」と呼ばれる現象が起きていることを、『WIRED』の記事で知った。陸上のトラック競技とインフレーションを組み合わせた造語で、中学生を含むユース世代の記録が、ものすごい勢いで塗り替えられていることを意味する。

記事の著者は、ニューヨークに住むひとりの父親だった。サッカーをしていた10代の息子がオフシーズンの体力作りのために陸上を始め、地区大会に出場できるまでになった。本番では、自己ベストを更新しながらも、ほぼ最下位でゴールしたそうだ。気になった父親が10年前の同じ大会の記録を調べてみると、当時であれば真ん中あたりに入れるタイムだったことを知った。

さらに調べてみると、2025年の全米規模のユース大会では、100人以上がそれまでの大会記録を上回っていたことがわかった。中学生が州の高校トップ選手並みのタイムで800mを走り、州記録を出しても全国大会ではメダルに届かない。そんな状況になっているという。

記事によると、陸上の人気が高まった背景には、サッカーや野球などのチームスポーツの過熱がある。選抜チームの入団争いや、出場時間をめぐる親同士のいざこざに疲れた家庭が、タイムだけで勝ち負けが決まる陸上を選び始めているそうだ。シカゴの陸上クラブZephyrs Track Clubは、2010年代には高校生しか集まらず、クラブの将来が心配されていたが、今では4歳の子たちの入会を断らざるを得ないほどの人気を集めている。

ビジネス化する子どものスポーツ。

人が集まるところには、お金が流れ込んでいく。記録が出やすい大会には、全米から家族が飛行機でやってくる。2,000ドルかけて遠征しても、自己ベストを更新して奨学金につながるなら良い投資だ、と話す専門家もいるそうだ。その周りには、厚底シューズやレース前に飲むサプリメント、SNSで人気を集めるパーソナルコーチといった、記録を伸ばすための経済圏が広がっていく。

そして、このお金の流れは、個人スポーツだけにとどまらない。『Fast Company』の記事によると、アメリカの家庭がユーススポーツに使うお金は年間400億ドルを超える。子どものメインのスポーツにかける費用は平均1,016ドルで、2019年から46%増えた。そこに目をつけた投資会社が、スポーツ施設を買い取り、リーグやチームの運営、得点管理ソフト、試合の配信、ユニフォームなどの物販まで、まとめて手がけるようになっているという。

ミシガン州では、冷却設備の故障で閉鎖したスケートリンクを、投資会社のBlack Bear Sports Groupが買収した。そのリンクを60年近く使ってきた地域のホッケークラブには、戻るための条件として、チーム名の変更や親が自分の子どもの試合を配信しないことが提示された。試合を見たければ、年間約216ドルの公式配信サービスに入るしかない。行政の予算が減り、自治体がスポーツ施設を維持できなくなった空白に、民間の資本が入り込んでいるのだ。

これはユーススポーツへの投資のほんの一例で、この2年だけでも、KKRやEQTといった投資会社が、チアリーディングの大会やスポーツ寄宿学校のIMG Academyを、それぞれ10億ドルを超える額で買収している。投資家を引きつけているのは、子どものためなら出費を惜しまない親たちの存在だ。子どもに最善の機会を与えたいという親心そのものが、ビジネスの対象になっている。

“早く”勝つことの代償。

ただ、早くからお金をかけて専門的なトレーニングを積めばいい、というわけでもない。10代の陸上選手を追跡した2022年発表の研究では、16〜17歳で上位にいた選手のうち、その後も同じような成績を残せたのは4分の1に満たなかったという。長い距離を走り込む女子選手の場合、思春期の遅れや骨密度の低下につながるリスクもある。早く結果を出すことが、将来の伸びしろを削ってしまうこともあるのだろう。

一方で、この市場の外には、取り残される子どもたちもいる。年収2万5,000ドル未満の家庭と10万ドルを超える家庭では、子どものスポーツ参加率の差が、2012年の13.6ポイントから2024年には20.2ポイントまで開いた。スポーツをする機会そのものに、格差が生まれている。

お金では買い戻せない場所。

ここまでアメリカのユーススポーツで起きていることを見てきたが、違う道を選んだ国もある。ノルウェーでは、子どもが出られる大会の範囲は年齢とともに少しずつ広がり、12歳までは全国大会に出られない。表彰をするなら全員に、という決まりもあるそうだ。日本でも2022年、全日本柔道連盟が「行き過ぎた勝利至上主義」を理由に、小学5、6年生が個人戦で日本一を争う全国大会を廃止した。

とはいえ、大会の形を変えても、子どものスポーツに対する親たちの熱はどこまで止められるのだろうか。ぼくのまわりでも、小学生のうちから本気で上を目指す子と、スポーツをしない子に分かれつつあるように感じる。その間にあった、気軽に始めて、なんとなく続けられる場所が少なくなっているのかもしれない。

そして、その流れをつくっているのは、ぼくのような親でもある。息子をコーチに見てもらったのも、紹介制のかけっこクラブの話に耳を傾けたのも、子どもに良い機会を与えたいという、ごく普通の親心からだった。速さは、ある程度までならお金で買えるかもしれない。ただ、上手でなくても、紹介がなくても、ふらっと走りに行ける場所は、一度なくなってしまうと、お金ではなかなか買い戻せない。子どもをどこに通わせるか選ぶときに、そういう場所をどう残していけるかという視点も持っておきたい。

出典:
WIRED: Elite Young Runners Are Becoming Freakishly Fast
Fast Company: Private equity is coming for your kid’s sports league
全柔連の小学生全国大会廃止(プレジデントオンライン)

Profile

岡橋惇(おかはし・あつし)/スローメディア『Lobsterr』を運営するLobsterr Publishing共同創業者。ニュースレターやポッドキャスト、コマース、ブッククラブなど多様なフォーマットを横断するメディアの形を模索している。共著に『いくつもの月曜日』(Lobsterr Publishing, 2021年)