「教わることと見つけることの狭間で」|新しい体育

スポーツ教育を取り巻く研究やエビデンスは、常にアップデートされていく。子育てに奔走する親世代も、働き方や暮らし方をそれに合わせて調整したり、優先順位をつけたりしてウェルビーイングな生活のありようを模索していくのだろう。この連載では、ニュースレターとポッドキャストプログラム『Lobsterr』を運営する傍ら、3児の父(4歳の女の子と5歳と8歳の男の子)でもある岡橋惇さんが、世界の最新トレンドをリサーチしつつ、自身のパーソナルな暮らしと交差させるモノローグです。初回のテーマは「自由な遊び」。

text:Atsushi Okahashi photo:Tarzan Web

次男の幼稚園面接で答えたこと。

この連載の依頼を受けたとき、真っ先に思い出したのが、数年前、当時3歳だった次男の幼稚園入園面接での出来事だった。先生から志望理由を聞かれたぼくは、園のカリキュラムやその特徴に触れつつ、運動プログラムについてはこんなことを言った記憶がある。

「園庭で思いっきり外遊びを楽しむだけでなく、身体の動かし方を細かく分解して教えてもらえる点が魅力的に思いました。将来様々なスポーツを経験していく上での、良い土台作りになるのではないかと思っています」

その園では、走る、跳ぶ、投げる、捕るといった、運動における9つの基本動作を起点に身体の動かし方を習得するカリキュラムが組まれている。これらの動作ひとつひとつが、スポーツバイオメカニクス学の知見をもとに指導されるという。例えば、「ボールを投げる」という動作は、投球方向を向く、肘を上げる、リリースポイント、横向き姿勢、逆手の引き、体重移動、反動捻転、といった具合に因数分解される。それぞれの動作を頭と身体で理解し、段階的に習得していくことで、結果としてボールを上手に投げられるようになる、という話を事前の説明会で聞いていたのだった。

日々子育てをしていると、大人には何気ない単純な動きも、子どもにとっては難しいことを何度も思い知らされる。それを言葉にして教えるとなると、自分がいかに感覚だけで生きてきたかを痛感する。当たり前すぎて言語化するのも難しい動きをこうして細かく分解し、順序立てて説明されたとき、思わず「なるほどな」と唸ってしまった。あの説明会で頷いていたのは、きっと自分だけではなかったはずだ。

エビデンス・効率化で安心したいのは誰なのか。

3人の子育てをしてきたこの10年弱で、幼児の運動教育をエビデンスとセットで語ることは、この園に限らず増えてきているという肌感覚がある。

習い事の世界でも、ひとつの競技だけを練習するのではなく、1年を通じてサッカーやバスケット、ラケットスポーツなど異なるスポーツをローテーションすることを推奨するケースが増えているように思う。脳と神経系が著しく発達する幼児期(いわゆる「ゴールデン・エイジ」)に、自分がイメージした通りに身体を動かす「身体の巧緻性」を身につけておくべきで、将来どんなスポーツに挑むにしても、この時期に土台となる身体の動かし方を効率よく習得しておくべきだという論理である。

もちろん子どもたちは、楽しみながら様々なスポーツをし、それなりに効率的に身体の動かし方を習得しているのだろうし、それ自体は親として素直に嬉しい。ただ幼少期の運動が、「効果」や「効率」だけで語られてしまうのはどうなんだろう、と思う自分もまたいる。それは、子どものためというメッセージの裏で、親であるぼく自身が安心したいだけなのかもしれないという、自分への問いでもある。

世界のマクロトレンドから見える、幼児を取り巻く時間と対人関係の変化。

マクロデータに目を向けてみると、子どもが自由に体を動かす時間は世界的に減少傾向していることがわかってきている。2025年に笹川スポーツ財団が実施した調査では、4歳〜11歳の子どもの運動・スポーツの実施頻度が全体的に減少傾向にあることがわかった。その一方で、運動相手として「友達」と答えた割合が最も高いものの、「習いごとやスポーツクラブの仲間」と答えた割合が2012年から12.3ポイント増え58.1%に達したこともわかった。友達と体を動かす時間が消えたわけではないが、その隙間を埋めるように、習い事という組織立った関係が着実に広がっている、ということなのだろう。

さらには海外に目を向けてみると、ニューヨーク大学教授で社会心理学者のジョナサン・ハイトは、著書『不安な世代』の中で関連する興味深い現象を指摘している。大人が決めた目的やルールに縛られず、子どもたち自身が考え、大人の介在なしに行う「自由な遊び時間(Free Play)」が、ここ数十年間で著しく減少しているという。ハイトは、子供として過ごす時間が「遊びをベースとした幼少期(Play-based Childhood)」から「スマートフォンをベースとした幼少期(Phone-based Childhood)」へと変わったと指摘する。ハイトの研究の中で主に問題視されるのはスマートフォンの存在だが、自由な遊びの時間を奪っているのは画面の中のものだけではなく、効率的で目的化された習い事も気づかぬうちに同じ役割を果たしているのかもしれない。

「自由な遊び」が担保していた学びの機会が失われつつある。

自分の子ども時代の幼稚園の園庭や放課後の校庭で友達と遊んでいた時のことを思い返してみると、鬼ごっこのルールはその場の思いつきでどんどん変わっていったし、キックベースも運動神経の良さに応じてハンデを与えたりしていた。木登りは最初はぎこちなかったけど、何度も失敗しながら、いつのまにか枝への手のかけ方や体重の預け方を覚えていった。誰かがうまい方法を見つけると、それを真似して、また別のやり方に発展していく。あれは遊びであると同時に、身体の動かし方を自分たちで発見していく時間でもあったのだと思う。

アメリカ心理学会は、子どもの身体的・情緒的・精神的・社会的な発達にとって、大人に組織・指導されず、決まった目的や成果を持たない「非構造的な遊び(Unstructured Play)」が欠かせないものだとしている。鬼ごっこやブランコ遊びは、健康的な身体を作り、緊張や不安を和らげる作用がある。少し高い所から飛び降りるような多少のリスクを伴う遊びは、意思決定やリスクの見極め、感情の調整を学ぶ機会になるという。

スポーツ科学の世界でも、似たような発想の転換が起きているそうだ。アリゾナ州立大学教授のロブ・グレイは自身のポッドキャスト番組『Perception & Action』などで、動作を反復させて正しいフォームを教え込むアプローチに異を唱えている。大切なのは同じ動きを繰り返すことではなく、環境に合わせてその都度動きを考え出すことだという。近年は道具や制約だけを与え、子ども自身に動きを発見させる「非線形教育法」という考え方が広がっていることを紹介している。教わるのではなく、見つける。子どもの頃に放課後の校庭や公園でしていたことは、案外そういうことだったのかもしれない。

次男の面接で話した、因数分解された動作の教え方も、それはそれで一つの理にかなった学び方なのだろう。ただ、子どもが自分の身体と向き合い、時には転びながらも、コーチの指示を受けずに動き方を見つけていく時間もまた、同じくらい必要なのだろう。効率よく教わることと、寄り道しながら自分で見つけること。そのどちらかではなく、その両方の間で揺れながら、子育てをしていくしかないのだろうと思う。

Profile

岡橋惇(おかはし・あつし)/スローメディア『Lobsterr』を運営するLobsterr Publishing共同創業者。ニュースレターやポッドキャスト、コマース、ブッククラブなど多様なフォーマットを横断するメディアの形を模索している。共著に『いくつもの月曜日』(Lobsterr Publishing, 2021年)