『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)圧倒的筋肉をメタ的に批評した異色作。|入江哲朗の筋肉映画論。

鍛え上げられた肉体は、なぜ人を魅了するのか。この連載では、アメリカ思想をバックボーンに映画批評を執筆する入江哲朗が映画史に残る名作を題材に、筋肉と映像表現の関係を読み解く。今回は、シュワルツェネッガー主演『ラスト・アクション・ヒーロー』を通して、筋肉が現実と虚構の境界を揺さぶるメタアクションの面白さに迫る。

edit: Keisuke Kagiwada

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『ラスト・アクション・ヒーロー』のワンシーン

PictureLux/Aflo

入江哲朗(いりえ・てつろう)/東京外国語大学世界言語社会教育センター講師。著書に『火星の旅人─パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』。

小学生たちを人質にして小学校の屋上に立てこもる切り裂き魔。周囲の道路を埋めつくすパトカーの群れ。膠着状態のなか、アーノルド・シュワルツェネッガー演じるジャック・スレイター刑事が(なぜか)パトカーの屋根の上を渡り歩きながら登場する。これが、今回取り上げる映画『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)の冒頭です。

スレイターの“活躍”が大規模な破壊を伴うことを知っているロサンゼルス市警察のデッカー警部補(フランク・マクレー)は、持ち前の大声を張り上げてスレイターを止めようとします。デッカーからの無線連絡を受けた部下は、制止の試みも空しくスレイターに蹴り飛ばされました。宙を舞った無線機をスレイターはキャッチし、握りつぶします。無線機を素手で粉々にするなんて、さすがシュワルツェネッガー、圧倒的筋肉の持ち主! でも、同僚を蹴り飛ばすのはやりすぎでは……?

この疑問はすぐに解消します。本作の主人公は、ニューヨークに住む10歳の少年ダニー(オースティン・オブライエン)であり、彼は映画『ジャック・スレイター』シリーズの大ファンです。冒頭に映ったのは、実は映画内映画である『ジャック・スレイター3』の一場面でした。ダニーはやがて、魔法のチケットの力により『ジャック・スレイター4』の世界へ投げ込まれます。スレイターの行動がはちゃめちゃで、同僚を蹴り飛ばしても許されるのは、彼が虚構のキャラクターだからです。現実の人間であるはずのダニーは、そんなはちゃめちゃぶりに巻き込まれてゆきます。

すったもんだのすえ、ダニーが持っていた魔法のチケットが、スレイターの敵の手に渡ります。ダニーとスレイターが、魔法のチケットを悪用する敵のあとを追うと、なんと虚構のロサンゼルスから現実のニューヨークへ移動してしまいました。スレイターは追跡を継続すべく、眼前の駐車車両のドアガラスを素手で割り、ダニーとともに乗車します。流血した手を見て「本当に痛い」と驚くスレイターを、ダニーはこう諭します。「ここではまるきり事情が違うんだよ。素手で車の窓を割ったら痛いに決まってるさ」。

素手で車の窓を割っても痛くないというのはアクション映画のお約束のひとつです。しかしそもそも、そうしたお約束の多くを築いたのはほかならぬシュワルツェネッガーです。本作冒頭で観客が、ジャック・スレイターなるキャラクターのことを知らないのに無線機の握りつぶしを見て「さすが」と思えるのは、シュワルツェネッガーによる脳筋的問題解決にある程度なじんでいるからでしょう。

本作は、シュワルツェネッガーの圧倒的筋肉が持つ攪乱力によって、現実と虚構の境界を揺さぶりました。興行的には失敗しましたが、私は偏愛しています。アクション映画を見て「さすがシュワルツェネッガー」と感嘆することの喜びを、本作はメタフィクション的に批評しています。かつてダニーのような少年だった私は、本作をとおして、筋肉映画の魅力をめぐる批評的思考へ導かれました。

『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993年)

映画『ジャック・スレイター』シリーズに夢中の少年は、魔法のチケットでその新作を鑑賞中、作品の中に。かくして憧れのヒーローと対面した彼は、現実世界に飛び出した悪党に立ち向かう。監督は『ダイ・ハード』で知られるジョン・マクティアナン。