内藤利貴(セパタクロー)「時間がないからこそ 効率よく成長できた」
「リアル少林サッカー」とも称されるこの競技。中心選手として日本代表を牽引し続けてきた。その集大成の大会がもうすぐ日本で行われる。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2026年6月25日発売〉より全文掲載)
text: Ichiro Suzuki photo: Yusuke Nakanishi
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Profile
内藤利貴(ないとう・としたか)/1994年生まれ。176cm、78kg、体脂肪率11%。2014年、アジア競技大会出場。16年、全日本選手権優勝。17年、世界ダブルス選手権3位。18年、アジア競技大会男子クワッド2位、ダブルス3位。25年、世界選手権男子クワッド優勝、全日本選手権優勝。今年9月に名古屋市で行われるアジア競技大会の代表内定選手に、今年5月6日選出された。A.S. WAKABA所属。
日本代表になれるよ。始めたきっかけは、そんな誘い言葉だった。
セパタクローという競技をご存じだろうか。セパはマレー語で“蹴る”、タクローはタイ語で“(籐で編んだ)ボール”。つまり、ボール(今はプラスチック製)を足やカラダ、頭で相手コートに入れて得点を競う競技で、その名が示す通り東南アジアの伝統スポーツだ。
腕や手を使えないところはサッカーと似るが、セパタクローはバドミントンと同じ高さのネット、同じ広さのコートで行い、バレーボールのようにボールが床に落ちると得点になる。ということは、ラリーが続く間、ボールは床に触れることがない。すべてが腕以外で行われるので、空中へと足を蹴り上げアタックをするなど、トリッキーなプレイが続出して、それだけに見る側にしても、面白いの一言なのである。

この競技の日本代表の位置付けは、実は強いのだ。それでも、主要な国際大会では上位に食い込んだり、メダルを獲得するものの、これまで頂点に上り詰めたことはなかった。それが、昨年7月の世界選手権で悲願の金メダルに輝いたのである。この競技には1チーム2人のダブルス、3人のレグ、4人のクワッドがあるが、日本代表が優勝したのが男子クワッド。エースとしてチームを牽引したのが内藤利貴である。大会前の心境はいかなるものだったのか。
「今年9月に名古屋でアジア競技大会が行われるのですが、そこで優勝するということがずっと前からの大きな目標だったんです。その過程として、世界選手権などの国際大会で優勝しておくというプランを組んでいた。だから、今回の大会がすごく大事だということは、チーム全員が共通認識として持っていましたね」
世界選手権はタイのハジャイで開催された。町のあちこちでセパタクローをやっているような国だけに観客は多く、演出も凝っていた。内藤にとって国際大会の決勝戦は今回が3回目だったが、これほど盛り上がるなかでプレイした経験はなかった。

「だから、どういうふうに用意して、どういう表情で入っていって、どうやってコートに立つか、など細かいところまでリハーサルのようにイメージしました。自分たちで、できることまではやる。そうするとあとは相手次第で変わるけど、行けるなっていう感じになれた。優勝は……嬉しいというよりも、ひとつ乗り越えられたからホッとした感じですね」
前に蹴るのではなく、高く蹴ることの難しさ。
高校まではサッカー選手。ゴールキーパーで、日本体育大学に進学しても続けたいと思っていた。が、入学後の練習会では、いかにもキーパーという高身長の選手が6人。運動能力では決して劣ってはいなかったのだろうが、内藤はレギュラーになれないならと違う道を探して、セパタクロー部の勧誘を受けたのだ。

「日本代表になれるよ、そんな誘い言葉でした。リフティングとかはできたし、空中でのアタックのすごい姿に圧倒された。で、入部を決めたときから、毎日体育館に行くようになったんです。朝9時から同級生と練習して、先輩たちが来ると場所を譲って隅っこでボールを蹴り続けて。ただ、一人でボールを落とさないで蹴るのはできるのですが、それが味方とのパス交換とか、トスを上げるとなると難しい。サッカーは地面にあるボールを前に蹴るじゃないですか。ところがセパタクローはたとえば5mぐらい先の人にボールを高く上げることが重要。サッカーの足の出し方をすると、どうしても前に飛んでいってしまうんです」
ただ、楽しくて仕方なかった。チャンスは夏休み。あまり学生がいない体育館で朝から夜まで、思い切り練習にのめり込んだ。その成果は如実に表れる。1年の3〜4月にかけて新人戦があり、そこでチームは優勝する。内藤はMVPに選ばれた。そして、2年に進級した4月には、日本代表の練習に、練習生ではあるが参加できるようになったのである。

「アタックではジャンプしてボールを蹴って、床にカラダごと落ちるんです。もともとキーパーだったので高い所に向かってジャンプする恐怖心は人より少なかったし、落ちるという感覚にも慣れていた。無理やり蹴りに行くのにも躊躇がなかったというのも大きかったと思いますね」
と言うが、それだけで日本代表レベルになれるはずがない。とにかく練習量が多かったのだ。そして、大学3年のときに、将来を決める出来事が起きる。それが、韓国の仁川で行われたアジア競技大会だった。
「チームレグ(レグの団体戦)で、自分が出場した試合だけ1勝もできなかった。他の先輩たちは勝った試合もあったのに、です。悔しかった。このままで終われるのかと思ったときに、社会人になっても続けていかなきゃという気持ちになりました」
チャレンジャー、そんな意識を全員が持っている。挑戦し続けるだけ。
ただ、競技と仕事の両立は簡単ではない。仕事は午前8時から午後4時。週に3回は所属するチーム〈A.S.WAKABA〉で練習、1日は個人でトレーニング、もう1日はトレーナーについてもらい、さらに隔週で日本代表の練習もある。チーム練習は夕方6時45分がスタートだが、仕事が終わったら急いで帰宅して、20分だけ子供の顔を見た後に、再度練習場へ向かう。終わって帰ると子供は寝ているようだ。

「そうしないと子供に会えないし、家族との時間が一番のリフレッシュなので」と笑うが大変な日常である。すべては今年のアジア競技大会のため。オリンピック競技以外で競われる最大の国際大会、ワールドゲームズでもセパタクローは行われているし、世界選手権もある。だが、東南アジアで生まれた競技だけに、アジア競技大会が最上位の大会と目されているのだ。
「タイやマレーシアではプロもあるんです。最初はいいなと思ったけど、考えが変わりました。仕事や家庭などプライベートな時間があると、練習の時間は少なくなる。だから、それをどう使うかってことを、みんなが考えて無駄にしなかった。効率よく成長できる方法を探ってきたからこそ、ここまで来たと思う。もちろん、プロは結果が出せなければ終わりという厳しさがありますが……」
今年32歳になる内藤だから、年齢的にも集大成の大会となるだろう。

「自分が始めたころ、他国は日本なら勝てるという感じだったのですが、今は警戒されている。タイ国内の試合でも日本の戦術に寄せた戦い方をしているように見える。だから、より厳しい戦いになると思うのですが、金メダルの可能性はこれまでで一番高い。我々はチャレンジャーだという意識が、常にチーム全員にある。挑戦し続けて勝ちに行くこと、これが絶対に大事だと思っています」


