おおらかな高原をどこまでも。 霧ヶ峰でピクニック・ハイクをしよう。

登るより“感じる”山歩き。イラストレーター山口洋佑さんと画家・狩野岳郎さんが霧ヶ峰高原で実践するのは、自然を観察し、描き、味わう「フラット登山」。心も筆も軽やかに、ゆるく深く山に浸る一日。

取材・文/柳澤智子 撮影/野川かさね

初出『Tarzan』No.912・2025年10月9日発売

絵描きふたりの自然に浸かる山歩き。

イラストレーターの山口洋佑さんと画家の狩野岳郎さん。登山好きなふたりの歩き方がまさに「フラット登山」だというので、爽やかな風が吹き始めた長野県・霧ヶ峰に一緒に出かけることにした。

スタートは、霧ヶ峰の山腹にあるから。絶景ドライブルートとして人気のビーナスライン沿いにある無料駐車場だから、ここに来るまでに、すでに高原感を味わえて楽しい。

霧ヶ丘高原

草原を抜けたかと思うと、背の高さを超える植物が茂る森が迎えてくれる。短いコースの中で、風景がくるくる変わるのが、霧ヶ峰の魅力。

車山肩から霧ヶ峰最高峰である車山山頂までは、ゴロゴロとした石が転がる登山道を歩くこと約40分。標高1925mまでこんなにラクに到着できるのは、登山口までのアクセスのよさと整備された登山道のおかげ。山頂からの景色は、360度の大パノラマ! 八ヶ岳、南・北・中央アルプス、彼方には富士山など名だたる山々を見渡せる。

ルーペ

岩に張り付いた苔をルーペで観察中の狩野さん。

ヒョウモンチョウ

「この蝶はなに?」と疑問に思ったらすぐに写真を撮ってグーグルレンズで検索。ヒョウモン蝶とわかる。確かに豹の模様をしている!

しかし、山口さんと狩野さんの視線は遠くではなく、下ばかりを向いている。手にはルーペ。ふたりとも石や地層、苔の観察が好きで、登る山もそうした自然観察が楽しめる低山がほとんどなのだそう。ときには軽量化した画材を持参してスケッチもする。そう、登山版・山下清なのだ。

「お互い、数年前から登山を始めたばかり。自然の中でゆっくりできる、スローペースな登山が好きなんです」(山口さん)

植物観察やスケッチ。のんびりだからできること。

そんなふたりが足を止めたのが、車山湿原。車山山頂からやや急な階段を下りた先に広がり、国の天然記念物にも指定される自然豊かな湿原だ。

長野県 霧ケ峰高原

標高1600mの霧ヶ峰。年間を通して400種以上の高山植物が見られ、真夏でも平均気温は20度以下という、高原の魅力を凝縮したような、爽やかな登山が気軽に楽しめる。

なだらかな丘が重なり、まるで巨人が山肌を指でなぞり書いたような、どこまでも続く一本道。このおおらかな風景にインスピレーションが湧いたのか、おもむろにザックから画材を取り出し、立ったままで手早くスケッチを始めた。

ふたりが描いているのは、湿原のそこかしこに見られるさまざまな植物。山口さんはオイルパステルで、狩野さんは油絵の具で、秋の始まりを感じさせる淡い茶や黄など色を重ねていく。

「9年前から野外で木のスケッチをしているんです。これで542枚目」と狩野さん。「どこでも気軽に持ち運べるように」と、紙は使う分だけを数枚持ち歩き、スチール製の名刺ケースをパレットにするなど、軽量化のアイデアと工夫に驚かされた。

スケッチ

狩野さん発案、一同がうなった超軽量の画材道具。スチール製の名刺ケースをパレットにしている。

山口さん

山を描いた作品の個展も開いている山口さん。日帰りだけでなく、車中泊、テント泊でも山に親しむ。

一方の山口さんはというと、足元にある小石を拾っては模様や色を観察している。山頂を目指して歩く登山では、つい急ぎ足になりがちだが、コースを短く設定し、時間にも余裕をもたせれば、思い思いに自由に過ごせる。それがフラット登山ならではの魅力だ。

歩き始めて1時間30分。昼食を物見岩で摂ることにした。物見岩は、車山湿原、の頂上の先にあり、その名のとおり今回のコース終盤の展望スポット。巨大な岩がいくつも積み重なっていて、とその裾野に広がるヶ原湿原が一望できる。そそり立つ物見岩の周囲をぐるぐるとまわり、ルーペで岩についた苔を観察し始めるふたり。ひとしきり観察を楽しんだところで、昼食の準備にとりかかった。

岩好きのふたりが「かっこいい!」と叫んだ巨岩・物見岩。

朝、上諏訪駅前にあるローカルスーパー〈TSURUYA〉で買っておいた食パンとジャム数種類、フレッシュなプルーンが今日のランチだ。見ているとジャムを絵の具に見立てて、食パンに絵を描いているではないか! 画伯たちの想像力、おそるべし。

パンとジャム

昼食のジャムサンド。柿、ブドウ、ピスタチオのジャムで絵を描き始める狩野さん。ちなみに、味が混ざってもおいしい。

さて、休憩を終えたらあとは駐車場を目指して、八島ヶ原湿原の脇を黙々と歩く。まだ時季には早かったが、秋が深まると湿原一帯が草紅葉とススキの穂で赤や黄金色に染まり、冬は、見渡す限りの雪原となりスノーシューが楽しめるという。雪の上についたウサギや鹿など動物たちの足跡「アニマルトラック」も見られるらしい。まさに季節ごとに歩く楽しみがあり、自然をまるごと感じられる霧ヶ峰は、フラット登山と相思相愛の山だ。

霧ヶ峰が大変気に入った山口さんと狩野さん。日帰りする予定だったが、急遽宿を探して、明日も近隣の山を歩く相談をし始めた。そんな気軽さもフラット登山の魅力なのである。

旦過の湯

下山後、中山道沿いにある日帰り温泉〈旦過の湯(たんがのゆ)〉で汗を流す。

岩井堂酒店

その後、斜め向かいのワインをメインにした酒屋・スタンド〈岩井堂酒店〉へ。中山道ウォーク帰りのお客さまも多いそうで、下山後の一杯を楽しみに訪れたい。オリジナルのシードルが美味! ソムリエであり店主の岩井穂純さんと諏訪地域に残る縄文文化の話で盛り上がる。

山小屋〈ころぼっくるひゅって〉

登山口である車山肩すぐそばにある山小屋〈ころぼっくるひゅって〉。ボルシチが有名だそうで、下山後に寄りたかったが残念ながら閉店時間に間に合わなかった。

長野県 霧ヶ峰高原

長野県 霧ヶ峰高原

公共交通機関で訪れる場合は、JR上諏訪駅または茅野駅から、霧ヶ峰方面行きのアルピコ交通バスに乗り「車山肩」バス停で下車。車の場合は、駐車場が混雑するため、時間に余裕を見ておこう。