「瞬間瞬間の”今”に集中できるから」ーアーティスト・津田道子さんとトライアスロン|Our Friends

身体と映像をメディウムとしたアート作品を創作する津田道子さん。自身が展示を行う際には参加者を募ってランニングイベントを開催したり、トライアスロンにも定期的に参戦しているという。もともとプログラミングを学んでいたという津田さんが、身体と向き合うようになったきっかけとは。

取材・文/輪湖雅江 撮影・映像/伊藤明日香

津田道子さんとトライアスロン
Profile

津田道子(つだ・みちこ)/アーティスト 1980年神奈川県生まれ。インスタレーション、映像、パフォーマンスなど多様な形態を用いた作品を制作。2016年より神村恵とのユニット「乳歯」としてパフォーマンスを行う。東京藝術大学大学院映像研究科で博士号取得。2025年より京都市立芸術大学准教授。Tokyo Contemporary Art Award 2022-2024受賞。京都府在住。

津田道子さんとトライアスロン

身体をテーマにした映像作品を多く手がけるアーティストの津田道子さん。〈銀座メゾンエルメス ル・フォーラム〉の企画展「スペクトラム スペクトラム」(会期終了)では、上下2層に分かれたダイナミックな空間を活かす展示を行った。

津田道子さんとトライアスロン

津田さんの作品は、四角い枠と鏡面と映像装置を組み合わせた観客参加型のインスタレーション。空中高く立ち並ぶ枠の映像が何を意味しているのか、最初はわからなすぎてじっと凝視してしまう。

津田道子さんとトライアスロン
津田道子さんとトライアスロン

枠の前に立てば自らの姿が現れる。が、そのうち枠の中の映像や時間軸に違和感が生じ、見る/見られる関係にズレが生じてきて……いまここにあるものは何なのか? という不思議な体験に導かれる。

身体と創作はつながっている。トライアスロンに挑む現代美術作家の世界の捉え方。

ランニングをはじめたのは4年前。2023年は2本、2024年は石垣島や北海道で計4本、今年もすでに2本のトライアスロンを完走した——アスリートの日常ではなく、現代美術アーティスト、津田道子さんの話である。「走ること、身体を鍛えることは、創作にもつながっているし、だからこそ運動への興味が続いている」と津田さんは言う。

1980年生まれの津田さんが作るのは、映像をもとにしたインスタレーションやパフォーミングアート。観客の視線や動きを自然に導きつつ「不可視の存在」を想像させる作品で、国内はもとより海外でも高く評価されている。

「数学が好きだったので、大学の工学部でプログラミングを学びました。でも向いてないなとすぐ気づいて。正解への近道を求めるより、世の中に対して問題を提起したり、既存の解とは違うプロセスを導き出すようなモノを作ったりしたいと思ったんです。そんな時に興味がわいたのが現代美術。美術と工学との間に映像があると考え、映像ベースの作品を作り始めました」

映像がもつ「対象物を切り取って映すだけ/見るだけ」という原理に興味があると語る津田さんは、その原理のもとで身体をテーマにした作品も発表し続けている。代表作のひとつが《振り返る》や《You would come back there to see me again the following day.》と名付けられたシリーズ。〈十和田市現代美術館〉や〈ICC(NTTコミュニケーションセンター)〉などさまざまな空間で行われてきた。

《振り返る》をざっくり説明すると、いくつかの四角い枠・鏡面・映像装置を組み合わせた観客参加型のインスタレーション。枠の前を通り過ぎれば自分の姿が写るはず……と思いきや、なにも写っていなかったり別の誰かが写っていたり。しばらくすると突然、数分前の自分の無防備な姿が現れる。そうか、実は撮られていたのか。ひとたびその仕組みに気づいたとたん、無意識ではいられなくなるのが面白い。どこかで“演じて”しまう、あるいは自分の姿を探してしまうのだ。「身体はここにあるけれど、自分はどこにもいないんじゃないか」という感覚が新鮮で、もっともっと、この空間に巻き込まれてみたくなる。

「映像はウソですよね。本当はないのにあると思って見てしまう」と津田さんが言う。「でもだからこそ、枠の中に映る自分に違和感をおぼえた時、本当の自分ってなんだろう?って立ち止まったり、枠の外側では何が起こっているのかって想像したくなる。そういう経験をつくりたいんです」

もともと身体がメディウムになりうることに興味を持って制作してはいたが、ひとつの転機になったのは運動を始めたこと。

「ランを始める前は身体なんて無ければいいとさえ思っていたんです。自分の身体として存在するのに、自分のインスピレーション通りには動かないから。それが、走ることを始め、身体を極限まで追い詰めるようなしんどい練習をするようになって、“自分の意識は身体に乗っかっているもの”という実感をもてるようになりました」

津田道子さんとトライアスロン

津田道子さんとトライアスロン

去る6月2日、津田さんが定期的に行っているランイベント「and run 橋と橋と銀座と」が行われた。これは、津田さんが参加したグループ展『スペクトラム スペクトラム』(〈銀座メゾンエルメス ル・フォーラム〉)との連動企画。一般参加者10名とともに、展覧会場のある銀座7丁目をスタートし、築地、日比谷、清州橋、日本橋……と約10キロを完走した。

津田道子さんとトライアスロン

ランニングコースは津田さんがリサーチして考案。「江戸時代の銀座周辺は海でした。現在の土地は、周囲が埋め立てられて形成されたもの。街には各地への物資を船で運ぶ川が流れ、今も数寄屋橋、京橋、新橋など“橋”がつく地名が多く残っています。そういった“水路の街”の歴史をたどるように走るコースです」。右は明治44年に竣工した重要文化財「日本橋」にある青銅柱。麒麟像の装飾が特徴。

ランニング初心者が、わずか2年でトライアスロンに挑んだ理由。

「小さいころから水泳はやっていましたが、運動大好きというタイプではありませんでした。ただ、30代になって仕事が忙しくなるにつれ、体力も落ちていくし制作時も身体がギリギリで。そんな頃にアート関連のフェローシップでニューヨークに半年滞在し、身体表現やダンスのリサーチをしたんです。自分でも身体を動かすことを意識していたら体調がみるみるよくなった。今、身体を立て直さないとダメなんだなと思っていたところ、帰国後パンデミックが起こって、食事や生活を見直し、学び、意識を切り替え、その頃にランニングを始めました。」

先輩アスリートたちが、体や膝を壊さない走法をイチから教えてくれたこともあり、あっという間に走ることに魅了された。

「身体を使う悦びを知ったのだと思います。それに、単なる移動や消費や労働じゃない点も気に入りました。普段歩く行為は目的地への移動ですが、ランナーは目的地に行くために走るわけじゃない。走っているといつもの街が違って見えることにも惹かれたし、自分がその風景の中にいるんだけど、走ってない人からはいないような存在でもある、みたいな感覚も面白く思えたんです」

2022年にはハーフマラソンを完走し、ランニングをもっと極めたいという想いから、トライアスロンにも挑戦することを決意した。

「大会前は強化練習もします。ランは週3程度で短いときは1〜3km、体調やとれる時間次第で長い時は10〜15kmほど、バイクは追い込み始めたら1週間で100kmを走り、スイムは海で練習することも。私には長年の習慣でワシワシ泳ぐ競泳的なクセがあって、それが遠泳には不利なんですね。自分の筋肉や身体の動かし方にはかなり自覚的になりました。同じくトライアスロンに挑戦する仲間が集まる合宿にも参加して、朝5時半から3キロ泳ぎ、その後で自転車を100キロ漕いで……っていう毎日で、もうヘロヘロ。でも繰り返すうちに内臓の筋肉が強くなって、体力の底力が上がってくるんです。人ってこんなに変わるんだと驚くほどでした」

初めての大会は〈石垣島トライアスロン2023〉。大会に出るようになって気づいたのは、50代、60代……と年齢を重ねたアスリートが多いことだった。

「トライアスロンはたくさん出ることで力が付く“経験のスポーツ”だと思うんです。30年以上続けている方も多く、5年続けると自然に速くなるという話も聞きました。だから今の目標は、たくさんいろんな大会に参加して無理なく続けることですね」

石垣島以降、すでに10本近くトライアスロンを完走した。では走っている最中は何を考えているのだろう。

「とにかく苦しくてしんどくて死にそうになる場面が何度も訪れます。実際、きちんと自分の身体と向き合って準備しておかないと、競技中に亡くなる方もいるほど危険な一面もある。だからその時の精神がどんな状態であっても、いったんすべてを忘れて目の前の危険を回避することに集中しなくてはいけません。特に私はまだ技術が足りてないから、瞬間瞬間の“今、前に進める”ということ以外、何も考えられなくなる。ある種、極限状態です。でもその時の、自分が身体を少し上から見ていて、“身体に乗っている!”みたいな感覚が本当に気持ちいいんです。悩みも不安も全部忘れてこんな感覚になれるのは、たぶん、とても贅沢なことなんですよね」

津田道子さんとトライアスロン
津田道子さんとトライアスロン

津田道子さんとトライアスロン

展覧会とランニングをつなぐ「and run」で広がるもの。

展覧会でアートを観る時、作品と鑑賞者は「いまここ」という枠の中だけでつながっているわけではない。たとえば、楽しみにしていた展覧会へ向かう道中の景色が、いつもと違って見えたのなら、鑑賞はその瞬間から始まっている。展覧会という枠の外側にも世界が広がるような体験を、と津田さんが定期的に行っているのが「and run」。自らの展覧会と連動させたランニングのイベントだ。

「実は美術館の周囲ってランナーが多いんです。広くて平地に立っていることが多いから、ランと親和性があるのかも。そう気づいて、美術館からスタートするランイベントを考えました」

展覧会設営で滞在中の朝ランで走って見つけたものを起点に、 津田さんみずから街のリサーチを行い、独自のランニングルートを考案。土地の歴史や文化、あるいは時間帯による街のイメージの違いを、走ることを通して体感する。2023年に金沢で始めて以来、2024年1月に東京・丸の内、5月には江東区の東京都現代美術館周辺で開催。そして今年6月に行われたのが、〈銀座メゾンエルメス フォーラム〉でのグループ展『スペクトラム スペクトラム』と連動した「and run 橋と橋と銀座と」だ。

「銀座界隈はもともと川や水脈とともに栄えた街。今も随所に水路や橋があり“橋”がつく地名に囲まれている。キラキラ華やかな街だけど、昔からの変わらない景色も残っていて、そういう水景を、身体でも感じられたらと思いました」

当日は10名の参加者とともに、銀座5丁目の〈銀座メゾンエルメス〉を出発。日比谷、築地、新富町や八丁堀を抜けて清州橋まで走ったら、人形町から日本橋、京橋の大通りを抜けて再び銀座へ。およそ10キロの道のりだ。途中、古い橋や碑のある地点で水休憩を取り、この街の歴史や地名の由来について会話を交わすのも楽しみのひとつ。

参加者は年齢も職種もバラバラで、ラン歴も初心者からトライアスロン経験者までさまざまだ。「展覧会を見るようにゆっくりと上を見ながら走ったら、見慣れた風景がいつもと違って見えた」「街の匂いや人の営みを体感できた」「走りながら地形を感じた。土地に高低差があるなとか、風がこういう方向に流れているんだなとか」という彼らの感想を受けて、津田さんは言う。

「ランは誰にも平等で、人を公平な気持ちにする。それは私自身が走り始めた時に感じたことでもあるし、アートや展覧会もそうあってほしいと思います」

さて、イベントの数週間後にもトライアスロンを完走した津田さんだが、もちろんアートの制作は続く。制作期間中は毎朝2、3キロのランが日常だ。

「走ることで、保留になっていた考えがクリアになったり、創作のアイディアが進んだりもするんです。それから、それから、走っている時にやりたくないことについては考えられないから、検討中のことについて走りながら頭に思い浮かべた時の感触で自分がどうしたいのかわかることがあります。身体が考えてくれている感覚がありますね」

運動を始めてからは判断力も早くなり、創作に向かう姿勢もポジティブになっている、ときっぱり。

「以前は新しい作品をつくる時に迷いがあったし、自分の考えにがんじがらめになって、やめればよかったと思うことも多かった。でも、2024年に北海道でのアイアンマンレース(トライアスロンのロングディスタンス)を完走したあたりから、それがなくなったんです。もちろん自己批判は必要で、これじゃダメだと思うから創作はより良くなる。でも一方で、まずやってみることが大切だということも、私はランから学びました。手探りでも前に進むほうがいい。身体が強靭なら、よりいろんなものをアートに返していける。今はそう信じています」

津田道子さんとトライアスロン

津田道子さんとトライアスロン