戸本一真(乗馬)「涙ってこんなに躊躇なく出るんだ」
幾度とないピンチを乗り越えてオリンピックで堂々と戦ってみせた。馬とともに歩んだ道を今、彼が振り返る。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」〈2024年11月21日発売〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.892・2024年11月21日発売
Profile
戸本一真(ともと・かずま)/1983年生まれ。167cm、58kg、体脂肪率9%。8歳で初めて馬に乗る。明治大学馬術部では1年からレギュラー。2006年、日本中央競馬会に就職すると競技から離れ、11年に復帰。16年からはイギリスを拠点に。18年、世界馬術選手権の総合馬術団体で4位。21年、東京オリンピックで団体11位、個人は4位。24年、パリ・オリンピックで団体銅メダルを獲得。日本中央競馬会所属。
失ったのは団体枠だけでなく人間関係も、と感じていた。
「初老ジャパン」とは、なんと自虐的な呼び名をつけたことだろう。このチームの一人が戸本一真(41)である。他のメンバーは大岩義明(48)、北島隆三(39)、田中利幸(40)だ。
彼らは、今年開催されたパリ・オリンピックの総合馬術団体で3位に入った。馬術でのメダルは1932年のバロン西(西竹一さん)の金メダル以来92年ぶりの快挙である。オリンピック本番直前に初老の、いや十分に大人(オリンピック出場選手の平均年齢を明らかに押し上げた)の選手は、何を考えて過ごしていたのだろうか。
「とにかく普段通りにするということを考えていました。東京(オリンピック)のとき選手村に入って、海外の選手が食事もサラダと鶏胸肉だけなんて、カロリー計算していて。感化された僕たちも、鶏胸肉とサラダだけを食べるみたいなことが始まっちゃって。日本チームの他の選手が、東京直前の試合でめちゃくちゃ調子良くて、日本人でかつてないほどのパフォーマンスができるようになっていたんです。でも本番はうまくいかなかった。“どうしちゃったの?”ということを目の当たりにしたとき、オリンピックでは普段通りにすることが何より難しいとわかって、その経験があったから生活リズムから何から普通にしようと思っていたんです」
そう、彼らのチームはパリが2回目のオリンピック出場だった。東京での戸本は団体で11位、個人で4位という成績を残した。この4位というのも、バロン西を引き合いに出されて、89年ぶりの入賞は話題になったものである。
と、ここまでの話では、チームはいかにも順風満帆に歩んできたかのように思える。しかし実はとてつもない苦しみと痛みの結果に生まれた銅メダルだった。
みんなの入賞を素直に喜べない。
そもそも東京オリンピック前の2016年からチームとしてヨーロッパで経験を積んでいた。戸本は日本中央競馬会の職員だが、東京での結果によって、延長してパリ・オリンピックを目指すことになったのだ。
まず目標となるのが、22年に行われる世界選手権だった。オリンピックの出場権獲得が懸かった大会で、上位6位までがその権利を得ることができる。しかし……、
「大岩選手の馬の調子が悪いというのはわかっていたんです。馬がアスリートのスポーツなので人よりも馬の調子がすべて。ただ、それ以外の3人でも戦えると思っていたし、6位までに入れると考えていました」
ところが、北島の馬も悪くなる。田中は失敗こそしなかったものの、満足する出来には程遠かった。戸本自身は大きな失敗はなかったが、結果は15位。まさしく惨憺たるものであった。
しかし、チャンスはもう1回あった。それが、翌23年6月にアイルランドで開かれるパリ五輪地域予選競技会だった。ここで2位に入れば、再び道は拓けるのだ。ところが結果は3位となってしまう。
「完全に諦めました。というより、諦めざるを得ない」とは戸本のこのときの心境。だが、地獄はここから始まった。団体での出場権を逃した日本は、個人での出場しかない。枠は2つである。主たる大会で挙げたポイントの上位2人が選ばれる。
「いきなり4人がライバルです。お互い出場している試合は知っているので、週末にはずっとポイントをチェックして。みんな、ポイントを獲りに来ているんで、それなりにいい成績が出るんですよ。だけど、そうなると自分が追い込まれるわけだから、素直に喜べない。今までなら躊躇なく“おめでとう!”と電話できたのに、連絡も一切取り合わない。3〜4か月間、6月に大会が終わってから10月まで本当に嫌な時間、これまでに経験したことのないほどにたまらない時を過ごしました」
失ったのは団体枠だけでなく人間関係も、と戸本は感じていた。ところが、そんなときに2位だった中国の馬から規制薬物が検出され、日本の順位は繰り上がり、なんと出場権が獲得できたのだ。言い方は悪いが、まるで出来すぎのドラマである。
馬が助けてくれる、そんな場面が馬術ではある。
総合馬術は馬場馬術、クロスカントリー、障害馬術の3種目で競う。日本はパリでは最初の2種目で3位につけるが、また悲劇が襲う。北島の馬が馬体検査でクリアできずに減点、リザーブだった田中が障害馬術に出場することになる。戸本は減点された時点でメダルはなくなったと思った。だが、ポイントを計算すると5位に後退したものの、障害馬術次第でまだ手が届くことがわかった。障害馬術はコースに設置された障害物を決められた順番通り、決められた時間内に飛び越える種目である。
「田中は緊張でガチガチでしたが、本番では不思議に冷静だったと言ってました。彼はジャンプが苦手なんですが、馬は得意だった。馬が助けてくれるという場面もあるんです」
2人目は戸本。障害を一つも落下させず時間内にゴールするパーフェクト。残りの大岩がノーミスなら銅メダルである。ただ、大岩は今のポイントや状況がわからないまま、騎乗する。残りの3人は大岩の視線に入らないように隠れた。緊張が伝わらないように。「(障害を)1本落としたら終わりです、なんて言えない、言えない」と戸本。結果は前述した通り。長い旅はようやく終わった。
4年後へのチャンスが回ってくるときに備えておきたいと思う。
「みんなは大岩選手がゴールした瞬間にワーッとなったんですが、僕はほんの2〜3秒ですが、何が起きたかわからなかった。掲示板で確認してから、何ていうか泣きそうって瞬間がまったくなかった。涙って、こんなに躊躇なく出るんだと思って、そこからはもう泣きっ放しでした。一生に一回ですね、こんなのは」
さて、初老という言葉は間違いだ。こと馬術に関しては、40代からが中堅であり、そこから10年が一番いい時期を迎える。その先がベテラン。つまり、戸本はまだまだ上に駆け上がることができる年齢であるのだ。
「日本馬術界全体の課題として若手の育成があるんです。僕ら世代の下からはちょっと実力差があって、それはどうにかしたい。これも仕事だと思っています。ただ、自分のことでは、もうちょっとで個人のメダルに手が届くのを感じている。これから先は日本国内で練習して、4年後へのチャンスが回ってくるときに備えておきたいと思っています」