尾形祐樹さん
おがた・ゆうき/1990年、鎌倉生まれ。サッカー少年としてプロを目指す。関東一部リーグに所属する大学に進学するも断念。9年前にアウトリガーカヌーに出合う。〈湘南アウトリガーカヌークラブ〉所属。ぜひ一緒にカヌーを漕ぎましょう!
前が見えない!波が“厚い”!
ハワイにはモロカイ島とオアフ島間のカイウィ海峡をカヌーで渡る『モロカイソロ』という大会がある。このレース、世界で最も過酷なオーシャンレースと呼ばれている。
『モロカイソロ』とはなんだ!?
英名で「The Born」の異名を持つ船の難破スポット・カイウィ海峡。ここをアウトリガーカヌーという長細い船艇と横に迫り出す浮きの付いた船でパドルだけで進む。1976年、デール・ドック・アダムスが非公式で52kmを7時間30分で渡り切り大会の歴史が始まる。
モロカイに取り憑かれた尾形さんはもともと大学までサッカー部。湘南育ちゆえ、体力にもマリンスポーツにも自信があった。カヌーとの出合いも友人に誘われたクラブの体験がきっかけで、「二日酔いで行ってました」というぐらい気軽だった。
気軽な趣味だったはずが、中古のマイカヌーを買ったことから生活が激変する。当初から「最高峰の大会」として知っていたモロカイに昨年、日本人としてたった2名しか参加しない中の一人として挑むまでになってしまったのだ。尾形さんには妻がいるが、波乗り好きということで、理解もサポートもあったそうだ。
「事前に50kmを乗る練習もしていたので距離の不安感はなかった」つもりだったが、いざ本番。他の参加者の速さや、波うねりの強さに圧倒される。さらに「ふとしたときにここの水深確か700mもあって危ないんじゃ」と恐怖に苛まれ一気に大会の過酷さに飲まれ始めたのだった。
2回目は海が大荒れ!
憧れのモロカイに飛び込んだが、のっけから自然の迫力に飲まれてしまった尾形祐樹。
「ひっくり返らないよう意識しすぎてスピードも落ちていたんです。で、漕ぎ始めて30分で転覆しました…」
これが尾形さんを冷静に引き戻す。
「これで周りを見る余裕ができて何人か抜いたんです」
かくして無事ゴール。トップ選手は3時間40分ほどで渡り切るなか、5時間2分。しかしこの結果でさらに心に火がついた。
「意地でも次回出てやるって。僕より遅そうな人でもすげー速いんです。だから悔しくて」
そして尾形さんの24年大会へのトレーニングが始まった。腰の不安を解消するため初動負荷のジムに通い、10kmのランニングも課した。朝は5時から漕ぎ、週末は30〜40kmを漕いだ。「風が強い日は海が荒れるのでモロカイ対策で出たりもしたんです」と、妻のバランスの取れた食事を力にし、使える時間はとことんカヌーに費やし迎えた24年のモロカイ。史上最大といわれるうねりが迎え撃つ。しかし、意外にも尾形は楽しむだけだったと言う。
「モロカイソロって波乗りのレースで、波に乗れれば休めるけど、乗れないと悪循環なんです」
という言葉はレース結果が物語っていて、尾形さんよりも筋力的に劣る16歳の現地の少年はTOP10入りを果たしている。
「カラダが最後動かなくなりました」と言えるほど全力を尽くした。結果は前回を上回る4時間48分のゴール。前大会を着実に上回った。しかし尾形はなお悔しそうだった。
「目標タイムの20分を切れなかったし、台風の時しか同じような環境で練習できない。どうしようかなと。妻には来年も行くよって宣言していて。それに向けて準備しようかって、もう話をしているんです(笑)」