石田桃子・真理子姉妹(柔道)「柔道には形があって、それも合わせて柔道だとわかってほしかったんです」
世界選手権で3度の優勝を果たした姉妹は、2021年、東京オリンピックで演武を披露した。“柔道の形”の実践者であり、伝道師でもあるのだ。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.828〈2022年2月24日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.828・2022年2月24日発売
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石田桃子1989年生まれ。162cm、60kg。石田真理子93年生まれ。158cm、54kg。現在、姉は教員で名古屋の米田柔整専門学校で柔道部特練コーチを務め、妹は市内のクリニックで柔道整復師として働く。2017年、18年、そして21年の世界柔道形選手権の柔の形で優勝。
無観客で行われた東京五輪の演武
昨年開催された東京五輪で、密やかに行われた演武がある。柔道の女子70kg級決勝と男子90kg決勝を控えた日のことだ。無観客のためほとんど人のいない場所で立ち会う2人は、静寂に包まれて神々しくさえ見えた。
“柔道の形”、それを石田姉妹、姉の桃子と妹の真理子が演じたのだ。柔道の父・嘉納治五郎はこう言う。「乱捕(乱取り)と形は作文と文法の関係」だと。つまり、形を学ぶことが柔道の基礎であり、その発展形が乱取りと言っているのである。
形は乱取りのように、適宜に攻撃を仕掛けるものではない。柔道の技そのものを伝えるのだ。だから、相対してじっくり組み、投げる、あるいは極(き)める、そこに至るまでの行程を丁寧に示している。あの五輪の舞台に立ったことを、姉の桃子はまず振り返った。
「観客がいて、見たことがない人に見てもらえたらよかった。柔道には形があって、それも合わせて柔道だとわかってほしかったんです。その点は残念でしたが、いつもの演武とは違って、人がいなかったぶん静かで、2人だけがやっているという感覚が新鮮で初めての経験でしたね」
妹の真理子もこの体験を語る。
「自分たちの世界に入っているなという感覚でした。それは印象深かったです。いつもの大会では、多くの人がいて、ざわついているような状況ですから。ほとんど誰もいなくて、姉の呼吸もひしひしと聞こえる感じは、初めてでした」
形には“試合で封印された技”もある
柔道の形、多くの人はご存じないかもしれない。しかし、組む、投げる、極めるという柔道では、その基本をなす“形”は、重要な学びに違いない。
ただ、実戦に重きを置いた現代の柔道では、どうしても稽古では乱取りが中心になってしまうし、形は一応覚えておこうという程度がほとんどだ。柔道では、黒帯を取るためには形をやらなければならないのだが、これが覚えられないために昇段できなかったという話もある。
ともあれ形だ。今、日本では9つの形が行われている。投の形、固の形、などがそれ。形は単に柔道の技を覚えるためだけのものではない。柔道の源流は、簡単に言えば真剣の殺し合い。必殺の技がある。“試合では封印された技”、それが形の中にあるのだ。桃子は平然と言う。
「眉間、それに頸動脈がある首筋。そこを狙われたときに、当たらないように無駄のない動き、小さな動きで次の攻撃に移る。それは、乱取りとか試合では反則なんですけれど」
石田姉妹は、9つのうちのひとつ“柔の形”で、世界選手権で3回金メダルを獲っている。ヨーロッパでは形を専門に学ぶ人も多く、彼女たちの人気も相当だと想像がつく。
柔の形はスローモーションのようにゆっくりとした動作で行われるのが一番の特徴なのだが、その動きが刀のような切れ味を感じるのは、彼女たちが武道への誇りを持って切磋琢磨しているからであろう。
形では、攻撃を受けたときに返して攻める“取り”と、初めに攻める“受け”に分かれて行うが、取りは桃子、受けは真理子が担っている。
「(上の写真では見切っているが)妹が手刀で来たときに、バスッと鼻先に入ったことがありました」
「私がもし動きを止めたら、そっちのほうが姉に怒られる。動き出したら、絶対に最後までやるんですよ。ゆっくり急所を狙っています」
初めは動きがまったく理解できなかった
2人とも小学校に入る頃から、父親の道場で柔道を始めた。むろん、乱取りが中心である。ただ、黒帯のために形を覚える必要がある。段位を上げるためにそれを覚えていった。
「当時の女子は柔の形でした。中学校1年生で昇段しました」(桃子)
そのときは、同じ世代の人と組んで、形を行った。契機となったのは、真理子が二段の昇段試験を受けたときであった。桃子が形の相手を務めることにしたのである。
「そのとき愛知県の先生から、姉妹だし体格も似ているから、形の大会があるから出てみたらと言われたんです。昇段試験のためにかなり練習していたから、せっかくなのでやろうかとなりました」(真理子)
ただ、形をやるのは大変だった。乱取りは自分の得意がわかるし、どうすれば勝てるかの道筋も立てられる。だが、形では教本はあるが、言葉と写真が載っているだけ。最初は、まったく意味が理解できなかった。
「足はどっち向きかとか、位置はどうなっているのかなんて、まったくわからなくて。先生にも教えてもらうんですけど、2人でやるときには、本に書いてある言葉も難しく、常に頭がこんがらがってました。当時は、ビデオはあったけどユーチューブはなかったですし(笑)」(桃子)
頭がパンクしそうになった。何から手をつけていいかがわからない。ただ、乱取りと並行して練習していたのがよかった。そして、真理子は形というものに魅力を感じ始めた。
柔道は競技であり、武道である
「ゆっくり動くので、じっくりと考えられるというのが性に合っているなと。大変なんですけど、乱取りでは相手についていけない部分を、時間をかけて考えられるので、そこも面白いなと思ってやっていました」
取りと受けの役割を理解し、動きの意味がわかってくるにつれ、どんどん形の練習は楽しくなった。
「何でもそうでしょうけど、できないときはつらいですけど、わかってくるともっとという気持ちが出てくるんですよね。柔道でも、形だけをやっていると行き詰まってしまったと思うのですが、乱取りと一緒にやっていると形でやっていたことが生きるってこともあるんですよ」(桃子)
「私は形をメインという感覚はなくて、目標を持って形も続けてやっていたら大きな大会に出場できるようになったって感じです。全部やって辿り着きました」(真理子)
2人は形の稽古をしながら、学生や実業団の大会にも出場していた。ただ、形で世界選手権に行くとなると、ケガのリスクが大きい実戦の試合には出にくくなる。日本の形はハイレベルで、世界へと進むまでが大変。そのため、2人のなかでは形の比重が大きくなっていった。
「もっとも、日本代表になることも難しいのですが、世界で勝つことも簡単ではないんです。過去にドイツが優勝したこともありますし。だから、中途半端な気持ちではできない。形が中心になっていくことは、当然だったと思っています」(真理子)
笑顔が可愛らしい2人だが、練習量は半端ではない。下の練習メニューを見ればわかるが、一日5~6時間もカラダを虐め続けるというのは、体力よりも精神力が必要であろう。ましてや真理子は柔術もやっている。
練習メニュー
この日はランニングに始まり、ストレッチ、打ち込みを経て、形へ移行。2人で話しながら(といってもほとんど言葉はなく、指や仕草で通じ合う)、稽古を行った。その後、通しで「柔の形」を見せてくれた。普段は週3、4回形の稽古を3時間ほど行い、その前後に組手(実戦の柔道)の練習をする。加えて真理子さんは、柔術のジムにも通っているとは驚き!
「実は、トレーニングも好きです。デッドリフトとかスクワットとか。フリーウェイトで高重量を持つというのが、体幹とか鍛えるにはいいのかなと思って。尻、脚というよりは全身の連動性を高めていくこと、機能的にカラダを動かせることが大切だと考えています」(真理子)
2人は自身の未来をしっかり見据えている。柔道というのは、競技であり武道でもある。彼女たちにとってその両立は永遠のテーマでもある。
「今は自分が形を練習して試合に出て、勝てるのがうれしい。でも、自分が年を重ねていくうちに、それを後に生かしていけたらと思います。新しい人が出てきたら一緒にやっていきたいです。教えた選手たちに、これまで自分たちが導いてもらったことを、ずっと先へと繫げてもらいたいですね」(桃子)
もちろんまだ現役を退くつもりはない。世界選手権でも戦うつもりである。彼女たち、そして柔道の形のこれからにぜひ注目してほしい。