卜部蘭(陸上中距離)「悔しかったってことは、その分自分が求めるものが高くなっているということ」
1500mを中心とする陸上の中距離。この競技を愛して止まない卜部蘭は、2年後、パリの表彰台を狙う。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.826〈2022年1月27日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.826・2022年1月27日発売
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卜部蘭(うらべ・らん)/1995年生まれ。167cm、46kg、体脂肪率9%。東京都新宿区立西戸山中学校では全国中学駅伝で区間賞。白梅学園高校の3年時に日本ジュニア800mで全国優勝。東京学芸大学3年時に800m、4年時には1500mでも優勝。2019年、日本選手権800m、1500mの2冠。21年、東京オリンピック1500mに出場。
東京五輪の悔しさをバネに
積水化学は2021年のクイーンズ駅伝で、初の栄冠を勝ち取った。高橋尚子も所属した名門が、創部25年目で悲願を成し遂げたのだ。その喜びは、選手の顔に表れていた。全員がとびきりの笑顔。
前年、大逆転され優勝を逃したときの表情とはまるで違う。6区すべての選手が持ち味を生かした確実な走りを見せた。2区(3.3km)の卜部蘭も区間新記録を出し、4人抜きという快走だった。
「去年2位だったので、今年は絶対優勝するという思いで臨みました。それが、私だけじゃなくてチームメイト全員の思いだったので、1年間しっかりと練習に向き合えた。それが結果に繫がったと思います」
体調は決して万全ではなかった。股関節を痛めてしまい、クイーンズ駅伝の2週間前に行われた東日本女子駅伝の出場も回避していたのだ。この駅伝は毎年、東日本18都道県の選抜チームによって争われる。
「東京で生まれ育ったので、都のチームの力になりたかったのですが、それが叶わなかった。だから、その分までクイーンズ駅伝では、しっかり走りたいと考えていたんです」
卜部には、昨年もうひとつ大きな出来事があった。それが、東京オリンピックだ。田中希実とともに日本人女子として初めて1500mに出場した。結果は9位で予選落ち。ただ、タイムは4分7秒90と自己記録を2秒62縮めるものであったし、残り1周の場面で前を走っていた選手が転倒するという不運もあった。
「すごく悔しかったです。でも、2年前の自分なら、この記録に喜んでいたと思う。悔しかったってことは、その分自分が求めるものが高くなっているということ。オリンピックを通して、それが感じられたというのはとても大きかったです」
一方、田中は決勝へと駒を進め、8位入賞を果たす。記録も日本人女子では絶対に越えられないといわれていた、4分の壁を破る3分59秒19。卜部はこの現実を、今どのように受け止めているのであろうか。
「準決勝、決勝とスタンドで見ていました。国内で一緒に戦ってきたメンバーが世界を相手に戦う姿を見て、私たちも行けるという思いにさせてもらえたのは大きいことでしたね。私はこれまでまわりの選手の活躍を見て、それを自分の力に変えてきたので、今回も田中選手の走りを通して、パワーをもらえたと思っているんですね」
そして、それはもう開花し始めているのかもしれない。卜部は積水化学に所属する一方で、〈TWOLAPS TC〉というランニングクラブで練習を行っている。このクラブが2021年の10月に大会を主催したのだが、1000mに出場した卜部は中盤から最後の1周にかけて田中の前に居続けた。
最終的には惜しくも2位で終わったが、それは素晴らしい走りであった。
「田中選手と競るということが、日本の中距離の底上げにもなりますし、自分自身の力にもなると思うんです。今、中距離で活躍する選手たちも多くなってきて、彼女たちにも刺激をもらっているんですよ」
一番カッコイイのは中距離の選手だった
日本での陸上人気は、まずマラソンである。次いで、男子の短距離か…。中距離はそれほどメジャーとはいえない。
だが、その面白さは抜群。選手同士の駆け引きがよくわかるし、「見ていて集中力が持つ時間ですよね」と、卜部も笑う。1500mなら女子で4分前後の戦いだ。その間にドラマティックな展開が、これでもかというぐらい凝縮されている。卜部も小さい頃から、この競技に魅せられた。
「父が高校の陸上部の顧問をしていまして(父・昌次さんは箱根駅伝に2度出場、母・由紀子さんは日本選手権1500mで準優勝2回)、よちよち歩きの頃から応援に行っていたんです。そこで見ていて一番カッコイイと思ったのが中距離選手。
子供でも集中を切らさずに見ることができましたから(笑)。短距離と変わらないようなスピード感があって、しかも最後まで誰が勝つかわからないというのが面白かったんですね」
卜部の原点である。それからは、800mと1500mを中心に競技を行ってきた。ただ、中学や高校では注目度が高いのは駅伝だ。卜部も中学では全国中学駅伝で区間賞を獲っているが、「人気競技に対する劣等感が、今中距離を知ってほしいという気持ちに繫がっている」のではないかと、自己分析するのである。
陸上の“引き出し”が増えた高校時代
全国の初タイトルは高校3年生のときの、日本ジュニア800mと少々遅かった。これには理由がある。卜部が通った白梅学園高校は中長距離の選手が少なく、短距離やフィールド競技に力を入れていたのだ。
そのため彼女は短距離選手に交じって練習することも少なくなかった。中距離選手なのにスタートダッシュの練習もやっていたと言う。
「でも、それをやることで、陸上に関しての引き出しが増えたんですよ。大学(東京学芸大学)の陸上部は週2回集まって練習するだけで、あとは自分で考えてやる感じだったのですが、高校での経験が役立ちました。
ただ、練習メニューを組むのが自分ということには常に不安がありました。陸上雑誌の駅伝選手のメニューを見て、もっと距離を走らなくちゃなんて考えたりして。ずっと迷いながら一人でやっていたんです」
転機は大学3年生の秋。TWOLAPS TC(当時はNIKE TOKYO TC)を主宰する横田真人コーチに声をかけられたのだ。
「アドバイスをいただける方ができたというのが自分の中では大きかった。大学1、2年で苦労したことが、横田さんとの出会いでプラスに生きたなと感じました。3年、4年と成績もよくなっていきましたし」
大学3年の日本インカレ800mで優勝、4年では1500mでも優勝を果たした。社会人になり、2019年には日本選手権の800m、1500mの2冠。アジア選手権代表にも選ばれた。こうして、ストライドが長い、伸びやかな走りは、世界への坂道を駆け上っていった。
強い選手が多いから、自分も成長できる
とある冬の日。卜部のTWOLAPS TCでの練習を見せてもらった。その内容はかなりハード。主にインターバル走が中心で、運動中の心拍数の上下動は想像以上に激しいはず。しかし、2時間半の練習では、引き締まった表情で淡々とトラックを走り続けた。練習後、今走りのテーマは?と尋ねると、こう答えてくれた。
「800mのスピードが上がっても、1500mの終盤でキツくなってから、それが出せるかといえば話は別なんです。だから、今の課題はいかに最後に力を残せるかということ。
たとえば、400mトラックを65秒ほどのペースで走って、余力度を高めていきたい。これは有酸素的な要素が大きい練習ですね。それに加えて筋力です。最後に足が空回りしないというか、地面をしっかり捉える力が必要。
体幹トレーニングや、両腕で抱えられる大きさの2~3kgのボールを投げたり、受け取ったりすることで、全身を鍛えています」
新型コロナの影響でオリンピックが1年延び、そのため今年、来年と2年連続で世界陸上が開催される。そして、パリ・オリンピックだ。選手にとっては、慌ただしさの中での代表争いとなっていくであろう。
「見たことのない景色を見てみたい。東京オリンピックでは出場できたけれど、ラウンド(準決勝、決勝)を上がって、その先の景色を見ることはできなかった。今回、大舞台に立って、表彰台を目指したいという気持ちが、一層大きくなりました。だから、日本記録の更新と、オリンピックの表彰台を目指したい。
ライバルは多いですが、それだからこそ自分も成長できると考えています。タイムは4分を切りたい。そのためには今より7秒速くならなくてはいけないですね。自分の限界を決めないで、少しずつ積み上げていきたいです。
オリンピックで3秒近くタイムを縮められたのだから、決してできないことではないと思っています」