初出場で初優勝、全日本女子の頂点に立った剣道・諸岡温子の軌跡
剣道の女子ナンバーワンを決める大会で18年ぶりに学生が頂点に立った。スピードと得意の面を武器にして、彼女はさらに高みへ駆け上がっていく。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.818〈2021年9月9日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/中西祐介
初出『Tarzan』No.818・2021年9月9日発売
ギリギリで獲得した出場権
延長戦が始まって1分が過ぎた頃、小手を狙い飛び込んだのが山﨑里奈4段。その動きに応じるように、諸岡温子3段が面を打ち込み、審判の赤の旗がサッと3本上がった。
「自然にカラダが反応した」と彼女が言うその瞬間、2021年3月に行われた全日本女子剣道選手権大会の優勝者が決まった。初出場で初優勝、学生が優勝したのは18年ぶりであった。
「周りの方に“おめでとう”なんて、たくさんの言葉を頂いたり、いろんな取材の申し込みがあって、ようやく実感が湧いてきたところです(笑)。幼いときから、山本真理子(この大会で2連覇)さんなどが活躍しているのを見ていて、いつかこの舞台に立って、日本一になりたいと思っていました。だから、本当に信じられなかったし、うれしかったですね」
ただ、彼女はこの勝利をすんなりと手にしたわけではない。大会には、東京都の学生大会でベスト8に入ることが必須。これで初めて予選会出場の切符を手に入れることができる。だが、諸岡はベスト16で敗退した。そして、上位選手から欠員が出たことで、危うく出場が決まったのだ。
「ずっと一緒に剣道をやっていた兄に、何とか出られないかな、なんて聞いていたんです。“そりゃ、無理だよ”って言われて。当たり前ですよね、ベスト16ですから、何言ってるんだって感じ。そんなときに出られると決まったから、すごく運がいいと思ったし、絶対に勝とうという思いがとても強くなったんです」
運といえば、もうひとつ。毎年、多くの選手が出場して上位を占める警察の選手が、コロナウイルスの影響で出場を見送ったことだ。これにより、学生、実業団などの選手たちの勝ち上がるチャンスが拡がったといえる。
ただ、だからといって、諸岡の優勝には少しの傷にもならない。全国から選び抜かれた選手たちが競うのは例年と変わらないからだ。
「確かに警察の方が出場しなかったのは残念でしたが、本番では一戦一戦に向き合っていたのでまったく気にしていませんでした」と語る。
1週間前まで絶不調だった
しかし、諸岡自身が絶不調に陥ったときがあった。それは大会の1週間前。部員たちが競う部内戦で4人と戦い、全敗を喫したのである。
「ヤバイとしか思いませんでしたね。そこで、監督が個別で呼んでくれて“全力で協力するから、気持ちを上げていこう”と言ってくださいました。先輩たちも“ここがいつもの温子とは違っている”とか“迷いがある”とかアドバイスをしてくれて、それで元に戻れたというか。
ただ、今考えればそのとき全部負けたのがよかったのかもしれません。だって、あとは直すだけじゃないですか。自分のいいときの剣道を人に聞いたり、自分の映像を見たりして、試合までの時間を過ごした。それで、ギリギリ間に合った感じなんですね」
大会ではすべて面で一本を取っている。もともと面が好きで得意なのだ。しかし、この技が彼女を苦境に陥らせる。
“鍔迫り合い”をご存じか。これは、互いに相手の打った刀を鍔で受け止め、押し合うことを指す。そして、押し合いながら、相手の隙を探るのである。これが大会ではできなくなってしまった。鍔迫り合いをするときには、選手同士の顔が間近に迫るため、コロナ対策としてこの状態を避けなければならなかったのである。
「鍔迫り合いでタイミングを計り、引きながら面を打つという、引き技が得意だったんです。でも、相手と当たった瞬間に離れなくてはならない。まったく別の競技をやっている感じでした。
ただ、自分の引き技を打たないという発想はなかった。相手が当たってきた瞬間に引いて打ったり、技をかけて前に出た瞬間に打ったりと、できることを徹底していきました。だから逆に、一足一刀(一歩踏み込めば相手の打突部分に届き、一歩下がればかわせる距離)でも面を打てるという自信にもなりました。
このルールで新しい自分が見えたというか、大きなモノを手にした感じがしています」
順風満帆ではなかった中高時代
道場での諸岡は凜としていて、いかにも剣士といったイメージがある。立ち居振る舞いは美しく、動きにも引き締まった鋭さがあった。だが、稽古が終われば、笑顔が印象的な20歳の少女、いや女性である。
あどけない表情の彼女からは、あの凜とした姿はあまり想像できない。ただ、質問に対して真摯に答えてくれるとき、やはり剣の道に邁進する武道家であることは感じられるのである。
諸岡が兄の影響で剣道を始めたのが小学校2年のとき。小学校6年生のときに全国大会で3位に入るのだが、それ以外目立った活躍はなかった。全国中学校体育大会にも出場したことすらなかった。
ただ、熊本にある九州学院中学校で学んだのは大きかった。全国に名を馳せる強豪校であるが、剣道部には基本的には男子しか入れない。彼女は兄が通っていたので許可されたが、当時は女子がたった2人だけだった。
「毎日通っていました。練習は実戦的な稽古もあるし、トレーニングもする。ランニングもやったし、台にジャンプして上り下りも繰り返した。体幹もですね。すごくキツかったです。私は他の選手より、スピードが勝っていると思っているのですが、ここで男子と一緒に練習したことで身についたと思っています。
ただ、成績は残せなかった。それも、男子とばかりやっていたからだと思うんです。女子の剣道というのは、男子とはまったく違うものですからね」
つまり、戦い方ではなく中学時代は素地を築いた時期だったのだろう。そして、剣道の名門・中村学園女子高校に進学する。が、2年までは補欠がやっと。先輩が強すぎたのだ。
全日本の決勝で当たった山﨑もその一人だった。ようやく3年のときに全国選抜、玉竜旗、インターハイでの3冠を成し遂げる。「やめたいと思った」という厳しい稽古を続けて勝ち取った栄誉であった。ただ、いずれも団体戦での勝利で、個人のタイトルは今回が初めてだった。
剣道をできることは、当たり前ではなかった
高校を卒業して中央大学に入学したのが2019年。さらに精進していこうと決意を固めた20年、コロナが襲った。学生大会はほとんど中止となり、約2か月間道場での稽古もできなかった。
「剣道を始めてから初めての経験だったし、稽古できることは当たり前のことではない」ということにも気づいた。全日本は例年9月頃に行われるのだが、それも翌3月まで延期。ただ、これが諸岡には幸いした。体力を培う貴重な時間を得られたのである。走り込みや素振りを黙々と続けた。
「毎日一人ずつ部員がトレーニング動画をアップするんです。それをずっとやりました。台を使ってジャンプを繰り返す子もいたし、縄跳びもあった。私はマスクをしてのランニングと素振り。これで結構体力がつきました。それに、一時的に剣道と離れることで、自分自身の剣道と生活を見返すこともできたんです」
それが、優勝へと繫がっていった。だが、それは追う立場から追われる立場になったということ。剣道では得意技や戦術が、戦いで如実に出る。つまり、ある程度研究しやすいということだ。そのなかで諸岡は勝っていかなくてはならなくなったのだ。
「もう一度、全日本で優勝できるように、まずはがんばっていきたいと思います。将来的には世界大会などでも活躍できるような選手になりたい。それで、剣道がより多くの人に知ってもらえればいいですね。剣道がもっともっと有名になってほしいんです。
だから、まだ先なんですが、警察官になる道も考えています。剣道で勝とうとなると、やはり警察が一番ですから。勝てる可能性が高い場所。きっと、稽古はキツイでしょうね。
でも、覚悟はしています。剣道をやめたら、また絶対にやりたくなると思うし、自分の魅力は剣道をしているときなんじゃないかなと思っているから。ずっと続けていこうと決めているんです」