風が吹かなくてもメチャ痛い。 実録! 痛風クロニクル
ある痛風患者(40代前半女性)の、発症からの10年間を綴った実録モノローグ。完全実話。悲哀溢れる内容にあなたの箸も止まるかもしれません。
文/大吹雪純 イラストレーション/平井さくら
初出『Tarzan』No.784・2020年3月26日発売
予感:週2で寿司店
寿司が好きだ。寿司店に行くと決めた日の前日は粗食に徹し、夜9時までに食事を終え、当日の朝は勝負パンツを穿いて気合を入れる。それくらいお寿司が大好きだ。
もちろん、くるくる回るやつじゃない。カウンターで板さんにあれこれ相談しつつ、日本酒をチビチビやりながら楽しむやつだ。これがあまりに好きすぎて、気づいたら週に2回、いや3回、夕食時に寿司店にいたなんてこともあるくらいだった。
じゃあそれ以外の日は規則正しい粗食生活をまっとうしていたのか、第一そんなにたくさん勝負パンツを持っていたのかとか突っ込まないでほしい。何しろそんなバブリーな食生活も、今から10年前までのこと……。
当時、30代前半だった私は、総合商社の経営戦略室に勤めていた。独身で飲み食いする経済力と飲み仲間に事欠かなかったのがまずかったと思う。そう、私は寿司に負けず劣らずのアルコール愛好家で、週に9日くらい(?)の勢いでお酒を口にしていたのだ。
なんだか鼻持ちならない豪遊ぶりに聞こえるかもしれない。でも寿司店での私のオーダーは意外とつましい。大体、先発ローテは決まっていて、その日おすすめの白身など刺し身を2、3品つまみ、握りはコハダ、〆サバ、マグロの赤身、塩をぱらっと振った穴子を1貫ずつ、最後は山ごぼうの漬物で締めるという具合。むろんその間、ぬる燗の日本酒は板さんが苦笑いするほどいただきはしたけれど。
トロやウニ、ヒラメの縁側などには見向きもせず、どこまでも青魚とマグロの赤身狙いだったのでむしろDHAとEPAがたくさん摂れて血液サラサラじゃ〜ん?と思っていたくらいだ。
調子に乗って寿司店通いを続けて1年くらいした頃だろうか、なんだか足の指にうっすらとした違和感が。夕方から夜、あるいは明け方のタイミングで左足の指がムズムズする感覚を覚えるようになってきた。
発症:こ、これは骨折…?
ひょっとして、というおぞましい病の予感は頭のどこかにあったと思う。でも青魚とのランデブーがあまりに楽しくて、その感覚を無視し続けた。
まさかな……まさかね……。だって私はまだ30代だし、それに女子だし、そんな病気にかかるなんて聞いたことないもん。
悪夢のようなアタックを受けたのは10年前の春、3連休の初日のことだった。仕事も遊びの予定もとくになく、ぽっかり空いた昼下がりに例の左足指のムズムズ感を察知。
むむ、また来たかっ。
虫の報せというのだろうか、本能的に、今、買い物に行かねば!とすぐに立ち上がった。近所の書店で文庫本、豆腐店で豆腐、お惣菜専門店でお惣菜、そして老舗酒店で当時ハマっていた芋焼酎《三岳》を購入。
これでよしっ。何があったとしても連休明けまで籠城することができる。
なにが「これでよしっ」なの? 「籠城」って一体なに? このときの自分にそう突っ込みたい。でも当時の私は3時間先の自分の姿が見えていたとしか思えない。今が最後の外出のチャンス!と自分の指が言っている。動けるときに動いて必需品(とくにお酒)をゲットしてこい!と。
案の定、夕方から「ムズムズ」はやがて「キリキリ」というやや鋭い痛みに変化していった。どのくらい痛いかというと、文庫本1ページ分の文章に集中できないくらいの痛みだ。仕方がないので本を置き、お湯を沸かし、《三岳》の栓を開ける。焼酎のお湯割りで痛みを麻痺させてしまおう。おい私、そんなに酒が好きか? 好きなのか(涙)?
日没を迎えると、痛みは麻痺するどころか「キリキリ」が「ビリビリ」に変化していく。大好きな《三岳》の味も分からなくなってきた。もちろん、まったく酔えない。仕方がないので黒ぢょかを置き、冷凍庫から氷を出してレジ袋に二重に包み、左足の親指の付け根に当てる。ひ〜、痛いよう。
「ムズムズ」レベルではピンポイントでここに違和感があるとは分からなかったが、「キリキリ」あたりからはっきり左足親指の付け根(の骨が出っ張った部分)が患部であることが自覚できた。
そして今の「ビリビリ」レベルでは、もはやまともな二足歩行がムズい。右脚を軸脚にしてケンケン歩きするしかない。うわ、着地の衝撃が伝わるたびにイタタタタ〜ッ!
つい昨日まで、嫌な予感がありながら、そのつど打ち消してきた。さだまさしの『関白宣言』で「浮気はしない」が「多分しない」になり「しないんじゃないか?」と弱気になっていったのとは逆に、「これは覚悟しとくか?」→「いやでもそうじゃないかもしれないし」→「多分そうじゃない」→「絶対違う!」と強気に思い込んできた。でも、神様仏様ゴメンナサイ。ジーザスハンニャーハーラーミーター! 私は今、「痛風」の発作に見舞われていまーす!!
「ビリビリ」が遂に「ズッキンズッキン」にバージョンアップし、痛み=私、私=痛みになったとき、いやこれ骨折じゃね? モーローとした頭にそんな思いがよぎる。だってこの尋常じゃない痛みは骨が折れたとしか思えない(骨折したことないけど)。スポーツバイクでコケたときか? カラスに襲われて転んだときか? 酔っ払って階段踏み外したときか?
こうしてうなされながら、私は海より深く理解した。痛風は風が吹かなくてもメチャ痛いってことを。
反省:カツオに別れを告げる
連休が明けた朝一番、浅い眠りに落ちては痛みで眼を覚ますという夜を3回過ごした私は、リビングデッド。会社に体調不良で休むと連絡を入れ、パンパンに腫れた左足をシューレースを取っ払ったスニーカーに無理やり突っ込む。うおぉ、衝撃で親指が腐れ落ちたっ! 痛がるのにもいい加減飽きたので、ひとりでボケてみた。余計虚しくなったので悶えつつよろめき歩いてタクシーをつかまえ、3駅先にある痛風専門病院へ。
車椅子出しましょうか? という看護士の申し出を丁重にお断りし、足を引きずりながら歩く私をジロジロ見るおばさんの視線を無視して待つこと30分。
「まずレントゲンを撮って骨折じゃないことを確認しましょう」
と先生。えっ、なんで? 足の親指の付け根が痛いって言ってるんだから、当然痛風でしょ? 骨折じゃないでしょ? いや、自分も一瞬そうじゃないかと思ったけれども……。
震える手で靴と靴下を脱ぎ、患部をレントゲンパネルに乗せるだけでひと苦労。看護士が誤ってパネルの角に左足の踵をコツンとぶつけて、あうっ、ぢごくの痛み〜。
「ああ、骨折じゃありませんね」
そう言ったでしょ? 違うって言いましたよねえ?
骨折の疑いが晴れ、私は改めて「痛風」という診断名をいただいた。広辞苑によると、痛風は「血液中の尿酸値が高くなった高尿酸血症から急性の関節炎を起こす疾患群の総称」のこと。
関節炎の発作が起きる前に血液中の尿酸値が高い状態が長く続く。これが高尿酸血症。ずっと感じていたウズウズした感覚はこの状態が続いていたせい。尿酸値が飽和レベルを超えると関節内に尿酸塩結晶が生じ、結晶を白血球が処理する際に炎症が起こって激烈な痛みとなる。発作を繰り返すうちに関節の周囲に結節ができたり、腎臓の機能が低下することもあるという。まじ怖い〜。
痛風発作は血清尿酸値が7.0mg/dlを超えるとリスクが高くなる。どうりで。昨年の私の尿酸値は8.3mg/dl。要再検査の判定を無視していたツケが回ってきた。ぐっすん。
「でも、痛風ってオヤジ、中年男性に多い病気ですよね?」
「圧倒的に男性が多いですが、最近ではストレスや飲酒量の多い女性にも患者が増えています。また、遺伝も関係していますからね」
やっぱり。うちの父は痛風だ。ついでに兄も痛風だ。2人とも年に2回くらいは足を引きずって歩いている。私が仲間入りしてトリオで歩いたら、まさにリビングデッドファミリー……怖い。
点滴で鎮痛剤を投与してもらい、管理栄養士さんからプリントを渡されて食生活の指導を受ける。さすが痛風専門病院、至れり尽くせりの対応に涙が出ちゃう。
プリン体は旨味成分で核酸中に多く含まれます、食事から摂ったプリン体は体内で尿酸に代謝されるので注意が必要です、アルコールはさらに尿酸値を上昇させます云々。
ん? プリントをよくよく見ると、魚類ではカツオがラスボス級のプリン体含有量!? 聞いてないぜよ! 寿司ネタ先発ローテには入っていないけど、5月は切れ味のいい初ガツオ、9月はまったりと脂を抱えた戻りガツオが指名打者の4番バッター。年に2回の逢瀬を楽しみにしていたのに。すりおろした玉ネギがよく似合うアイツが、諸悪の根源だなんて! オーマイガーテーギャーテーハーラーギャーテー神も仏もありゃしない〜!
再発:イカ三昧
発作が起こって以降、私は寿司店通いをふっつりやめた。こよなく愛するカツオとの年に2度の逢瀬もきっぱり解消した。仲良しだったタラコや明太子ともお別れし、実はプリン体が豊富だった納豆も冷蔵庫から撤収した。ビールを断って焼酎に切り替え、野菜中心の料理をせっせと作った。
こういうとき、感情の切り替えが早い女は強いのだ。ズルズル引きずっていてはロクなことがない。うちの父はビールのケース買いもホルモン焼きも諦めない。兄はカニの季節にはカニ味噌、アンコウの季節にはあん肝にがっついている。かつて愛した相手に未練タラタラだから、年に2度も足を引きずるのだ。やだやだ、ああはなりたくない。
痛風患者の中には体内で尿酸を作り出しやすいタイプ、体内の尿酸を排泄しにくいタイプがあり、私は後者なのだそうだ。なので処方してもらった薬は尿酸排泄促進剤のベンズブロマロン(商品名ユリノーム)。これを毎日欠かさず服用することになった。
4年ほど品行方正な食生活をするうち、尿酸値は5〜6mg/dlあたりで安定してきた。うふふ、努力すればカラダはきちんと応えてくれるのだ。あれ? 筋トレマニアの後輩が、似たようなことを言っていたなあ。
ともあれ薬は毎日服用している。ついでに言うと、お酒の頻度も週に8日くらい(?)で相変わらず飲んでいる。それでも、足の指の違和感は鳴りを潜めたまま。
そして、発作が起きてから8年目。私の中では自分が痛風患者であるという意識がかなり薄れていた。このタイミングで40歳の大台を迎えた私は、「大人の休日」のテーマをひとつ思いついた。
テーマはイカ。たまたま仕事で訪れた八戸で活イカを食べてその姿の美しさ、シコシコ感、味わいに感動し、リアルなペイントのイカキーホルダーなど買ってしまった。これをきっかけにイカ愛に火がついて、全国のイカスポットを訪ねてみたくなったのだ。
函館の市場で活イカをいただき、能登の小木でイカ丼を食らい、佐賀・呼子の朝市でスルメが回転乾燥機でぐるぐる回る様子をスマホで激写、唐津の小料理屋で活イカに舌鼓を打ち、帰りの飛行機待ちの間、空港のレストランで食べ納めとばかりに活イカを注文。このとき、私の胃袋は活イカでみちみち。
そして、東京に帰ってきた翌日の早朝。かつて経験した、あの「キリキリ」感がやってきた。やばい! どうして? イカの呪い?今日は大事な会議があるから休むわけにはいかない。朝一番にかかりつけの病院に駆け込み、再発の自己申告。消炎鎮痛剤を処方してもらい、1時間遅れで出社することができた。
「会議が遅れてます。急ぎましょう!」
会議室へと私を急かす後輩、首を横に振り、「今、走れないから!」と叫ぶ私。
あのときの後輩の怪訝な顔を表現するなら「何言ってんの、こいつ?」に尽きる。でも痛くてとてもじゃないけど走れない。それもこれもイカのプリン体含有量があん肝よりもウニよりも高いことを見逃していた私のポカのせいだ。バカじゃないの? 私ってやつは。
決心:共に生きていく
まったくもってイカはノーマークだった。
肝が和えてある塩辛には手を出さなかったが、ショウガやワサビを溶いた醬油でいただくイカ刺しは、むしろ痛風の味方、くらいに思っていた。動物の内臓・ホルモンはもともと嫌いだし、最初の発作で魚類のプリン体含有量はだいたい頭に入れてあった。あとは珍味系に注意すればよし、と思っていたら超ダークホース、「貝・軟体動物」の項目をすっかり見逃していたのだ。
大体、イカって見た目からして白くて透き通っていて、無害そうじゃん! そんな凶暴なヤツだって思わないじゃん! 改めてプリン体含有量の表を眺めながら、イカにキレた。というか、自分にキレた。活イカなどという「今まで泳いでましたけど、私なんでここにいるんでしょうか?」というくらい鮮度抜群、キトキトの命を『進撃の巨人』みたいにむしゃむしゃ食べた私が悪いのだ。
それに今回は「キリキリ」と「ビリビリ」の中間あたりの痛みで済んだが、いきなり「キリキリ」が襲ってくるわけではない。どこかで予兆の「ムズムズ」感を覚えることがなかったか?
あった。小木の漁港で、呼子の朝市で、唐津の料理屋で。また逆『関白宣言』の「そんなはずない」思い込みによって見ないふりをしてしまったのだ……。悔い改めよ、祓い給え清め給え、神ながら守り給い幸い給えー!
最初の発作から10年後。現在の私は今のところ発作に苦しめられることはなくなっている。といっても、いつ何時発作に見舞われてもおかしくないことを知っている。寿司店には年に2回程度訪れ、少量のネタをいただく。もちろんイカを馬鹿食いすることはない。お酒は週に5日の頻度に減らし、今後も少しずつ減らしていく予定でいる。
今付き合っているのは、愉快な青魚でもなくワイルドなカツオでもなく一見優しげなイカでもない。この上なく誠実な私のサム、左足の親指と仲良く会話しながら生きていこうと思っている。