「技術を磨いて新しい日本の姿を見せつけてやりたい」ホッケー選手・真野由佳梨
今、日本のホッケー女子代表は確実に強くなっている。新しい監督を迎えて、チームはガラリと姿を変えた。仲間を牽引する彼女は東京オリンピック優勝を目指す。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.778より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.778・2019年12月19日発売
世界ランキング以上の実力。
昨年の8月に行われたアジア大会。見事、初優勝を飾ったのがホッケー女子日本代表、愛称は“さくらジャパン”である。現在の世界ランキングは14位なのだが、実力はそれ以上と見ていいだろう。
この大会でも、韓国、中国、インドとランキング上位を撃破している。もともとホッケーは、開催国枠で東京オリンピックに出場できることになっていた。ただ、アジア大会に優勝した国は出場枠が与えられることも決まっていて、さくらジャパンは実力でオリンピックの切符を手中に収めたといえよう。そして、このチームの中心メンバーであり、キャプテンとして選手を献身的にしっかり牽引しているのが真野由佳梨だ。まず、大会について語ってもらった。
「最初から優勝するつもりで挑んだ大会だったんです。チームもそのつもりで一丸となって、厳しい練習をしてきたから、目標が達成できたのはよかったと思います。アジアのチームしか出場していないので、勝てるという自信はあったのですが、実際に勝ってみると、それがまた自信に繫がったという感じがしますね」
アジアなら勝てる。この言葉は数年前のさくらジャパンからは絶対聞けなかった言葉である。女子日本代表は2004年のアテネ・オリンピック以降、4大会連続でオリンピック出場を果たしている。これだけを聞けば強いチームというイメージを持つだろう。しかし、最高がアテネでの8位。10位だった前回のリオデジャネイロは4敗1分けと、一つも勝ち星を挙げることができなかった。
「これまでは攻めていっても、最終的に点に繫がることがなくて、逆にそこからカウンターで1点入れられてというパターンが多かったんです。でも、今回は攻めて本当に決めたいところでしっかり決められた。それで、勝ち切ることができたし、システムも出来上がってきました。たとえば、ペナルティーコーナー(相手の反則により得点のチャンスが広がるセットプレー。試合の流れを大きく決める)というのがあるのですが、そこで常に練習していたカタチ通りに得点が入った。そういうことも大きかったんだと思います」
さくらジャパンが強くなったのには、確固たる理由がある。そして、その大きな変化は、16年のリオデジャネイロ後から始まったのだ。
ハイレベルな代表。それでも勝てない海外。
ところで、まずはホッケーという競技について、少し知っておいてほしい。真野に解説をお願いしよう。
「ホッケーの面白さは、まずスピード感ですね。これは、他の競技にはなかなかないです。ボールのスピードも速くて、女子でだいたい160km/hは出ます。さらに、試合の展開もすごく速くて、攻められている状態、つまりディフェンスしているところから、攻めてシュートを決めるまで7秒間あればいいともいわれています。だから、最後の一秒まで目を離せない感じ。そんなところが、大きな魅力なんだと思っています」
ボールは野球の硬球のように硬く、最近はスティックが木製からカーボンなどの素材になり、反発力が強くなった。また、フィールドは人工芝で、試合前には水を十分に撒く。これによって、地面はスリッピーになり、さらにボールの加速度は増すのである。そして、選手の走る距離もすごい。真野は1試合で10kmほどだというが、これはサッカーの日本代表と同じぐらいだろう。ただ、試合時間が違う。サッカーは45分ハーフの90分なのに対し、ホッケーは15分の4クォーター制で計60分なのである。試合がスピーディになるのも当然なのだ。
真野の出身は岐阜県。この競技を中学校のときに始めた。中学でホッケーというと、“部活なんてあった?”と訝しむ人もいよう。だが、岐阜、鳥取、奈良、岩手など多くの国体開催県では、地元にホッケーが根づいていっているのである。真野は中学3年のときに全日本中学生ホッケー選手権で2位に入り、高校では2年と3年のときにインターハイで優勝する。そして、部活を引退したときに、日本代表に参加することになった。全国優勝2回という誇りを胸に参加した代表合宿。実力の違いを思い知った。
「ルーズボールを取ろうとしたときに、他の選手に間に入られたんです。それだけで倒されちゃう。まずフィジカルの違いが衝撃でした。シュート練習でもスピードや角度が全然違う。私は端っこでパス練習とかしていましたね。とにかく驚きでした」
ところが、このバリバリのお姉さんたちが外国とやると勝てない。実際に真野は初めて国際大会に出場したときに、外国人選手との大きな力の差を、まざまざと実感してしまうのである。
「とくにびっくりしたのは、インドの選手でしたね。とにかく、腕が長い。いつもなら抜けるタイミングなんですけど、毎回ひっかかるんですよ。パスもいつも通りにすると、スティックが伸びてくる。それに、相手がドリブルしているときに、取れると思っても、なぜか取れない。このままやっていては、絶対に通用しないと思いました」
16年、真野はそれをはっきり理解する。自身は初出場のリオデジャネイロで、惨敗してしまった。
激変した環境、新しい監督と戦術。
しかし、これは仕方がない。何といっても代表が使えるお金が少なかったのである。合宿は廃校が拠点で自炊だったり、遠征も自己負担額が決められていたり。企業のチームに所属する選手は、そこが負担してくれるが、その頃学生だった真野は自分で捻出した。とにかく苛酷な状況、そして環境のもと競技を行っていたのだ。ホッケー以外にも考えなくてはいけないことは多かっただろう。これでは、強くなろうといってもなかなか難しい。
ところが、リオデジャネイロが終わった翌年の17年。日本ホッケー協会は改革を断行する。オーストラリア出身のアンソニー・ファリーを新監督に就任させるとともに、新スポンサーの獲得を推進した。その結果、すべてが変わっていったのだ。
「まず、海外遠征が増えましたね。前は2か月に1回ぐらいだったのが、月1回行けるようになった。自己負担もなくなったし、これが大きかったですね。試合数も以前とは全然違いますし、強いチームとやれるようになった。実力を上げていくのには、すごくプラスの出来事でした」
監督は選手からファーストネームでアンソニーと呼ばれている。それだけフレンドリーな繫がりを築いているということだが、さくらジャパンに新しい戦術をもたらしてくれた。
「これまではひたすら守りを固めることから始まっていたのですが、今はひたすら攻撃、攻撃です。ボールを持っている間は攻められることはないので、果敢にボールを回す。そして、サイドからではなく、外国人相手でも、中央を使って自分たちのやりたいプレイをやる。逃げるのではなく、どんどん中の選手に当てて突破していく。こういう戦術だと選手が密集しがちでフィジカルが強いほうが有利なので、最初は戸惑いました。が、やっていくうちに技術が身について通用するようになった。今では一番の戦術だと思います」
もちろんアンソニーもフレンドリーな監督だけではない。鬼のような練習を選手たちに求め、フィジカル面の強化も決して怠ることはない。
「ある練習ではアンソニーが笛を吹くと、コート1周(約400m)をダッシュって決まっているんです。練習中、誰かがミスすると笛。ダッシュして練習再開で誰かがミスしてピーッ。アンソニーは笑ってるんですけどね(笑)。自分は悪くないのに連帯責任で、ボールに一回も触れていないのに走るなんてことも多い。そんな走り込みはよくやりますね」
真野自身も体力強化には余念がない。チームでの練習が終わると、そのままグラウンドで体幹のトレーニングを行うし、休みの日にはジムでウェイトトレーニングも実践する。
「スクワットとかベンチ。それに細かい筋肉もです。高重量のパワー系のトレーニングが主です。スクワットの重量ですか? 一回挙げるだけなら100㎏ぐらいでしょうか。体幹は重要なんですよね。ボールをキープしているときに、後ろから当たってくることもあるので。高校のときに代表入りしたときも、体幹が弱いので飛ばされてましたから」
確かに、さくらジャパンは強くなった。そしてその中心を担う真野も、ますますフレキシブルに、大胆にプレイできるようになっている。彼女が来年の五輪で掲げる目標は優勝、金メダルだ。
「外国人にはどうしてもフィジカルでは負けます。だから、その強化も必要なんですが、技術のスキルアップも非常に重要になる。自分自身ではまだまだレベルを上げられると思っています。それがパスワークなどの向上に繫がっていけば、優勝は十分にできるはず。暑い夏というのも味方になってくれますし。それで、来年の4月まで試合をやったら、そのあとは鎖国です(笑)。一切、試合はやりません。この間で夏のオリンピックに向けて、さらに技術を上げていく。そして、本番では誰も見ていない日本を見せつけたい。世界を驚かすことができたら、ラグビーのように、日本の人たちも関心を持ってくれると思う。それで、ホッケーがメジャーになってくれれば、そんなうれしいことはありません」