「44秒台が出せれば金メダルも近づいてくる」水泳選手・松元克央
日本人にとって、どうにも不得手だった競泳の自由形。それを見事に克服して世界選手権で銀メダルを獲った。今、弾丸のように泳ぐカツオは頂点を目指している。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.775より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴
(初出『Tarzan』No.775・2019年10月24日発売)
決勝はどれぐらい伸びるかが楽しみでもあった。
「2年前にも出場したのですが、予選で敗退してしまって、すごく悔しかったんです。だから、今年は何が何でも決勝に残るんだと思っていました。もちろん、メダルを目標にして苦しい練習をしてきたのですが、これまでは準決勝にも進出できなかったので、とにかく最低限の目標を設定したんです」
2019年7月に行われた世界水泳、男子200m自由形で、見事、銀メダルに輝いた松元克央は、まず大会を振り返って、こう語ってくれた。この種目でのメダルの獲得は、日本人初の快挙であり、叩き出した1分45秒22というタイムは日本新記録でもあった。松元は話を続ける。
「予選、準決勝は、落ち着いて自分のレースをすれば大丈夫だと思っていました。ただ、準決勝はそうとう緊張しました。決勝に残ることができて、本番は翌日だったのですが、その間はメダルに届くんじゃないかと何度も考えました。実は、準決勝では9割ぐらいの力で泳いでベストタイムが出たので、決勝はどれぐらい伸びるかが楽しみでもあったんです。
だいたい水泳選手は泳いだ感覚で、タイムがわかる。でも、準決勝ではタイムが感覚を上回った。これで、かなり前向きになれましたね。だから、決勝は緊張したんですが、安心して臨めた部分もあった。それがよかったんでしょうね。着順は3番だったので、メダルに届いたのはうれしかったのですが、選手が失格で繰り上げで2位になった。この種目で失格ってなかなかないので、これには本当に驚きましたね」
日本人も自由形で世界と勝負できる。
自由形は、日本人がもっとも不得意としてきた種目である。それには確たる理由がある。水泳では水の抵抗をどれだけ少なくするかが、速く泳ぐためのひとつのポイントとなる。そして、自由形は水の抵抗を受けにくい種目なのだ。平泳ぎと比べると、それははっきりわかる。平泳ぎでは、脚を曲げてカラダに引き寄せるとき、身長が高く、手足が長い外国人選手は大きな抵抗を受ける。
しかし、自由形ではカラダは常に一直線であり、流線形のラインを保っていれば、抵抗を受けにくい。そのうえで長い手足があれば、大きな推進力を得られるのである。
松元自身も「小学校のときから背が高かったので、速かったんです」と語る。現在、100mの日本記録を持つ中村克は身長が183cmで、松元は186cmである。日本人の体格がよくなったことも、自由形が速くなってきた要素のひとつであろう。
とにかく松元は日本人も自由形で世界と勝負できることを証明した。
「オリンピックの前の年にメダルを獲ったことで、まわりの期待が高くなりましたね。東京が楽しみだね、なんて言葉ももらったりします。僕自身も、ある意味現実味が生まれたというか、オリンピックでメダルを獲得できるという自信を持って、これから先に臨んでいくことができると思っています。応援してもらうことでプレッシャーを感じないわけではないですが、それを自分の力にしたい。“頑張れ”って言われたら、“おうっ、頑張るよ”って感じで、やっていきたいですね」
練習はさぼってばかりで、身が入っていなかった。
松元は5歳から水泳を始めて、小学校ではすでにカツオというあだ名を頂戴している。恐ろしく速かったため克央(本名は「かつひろ」だが「かつお」とも読める)から、海の中を弾丸のように泳ぐ、この魚の名がつけられたのだ。
本人もこれが気に入っているようで、世界水泳で2位になった後に「あとはトップ目指して頂点カツオになりたい」と語っている。ところが、このカツオ、長い間水泳がまったく好きではなかったのだ。
「練習に行きたくないって、ダダをこねていました(笑)。中学校まではイヤでしょうがなかった。さぼったりしながら、全然、身が入っていなかったですね。誰かに勝ちたいとも思わなかったし、ちゃんと取り組んだという記憶もありませんね」
それでも、カツオである。小学校5年生のときには、全国JOC夏季ジュニアオリンピックの10歳以下男子50m自由形で優勝を果たしている。高身長が助けになったのだろう。
ただ、中学校に入るとなかなか結果が出せなくなってくる。体格だけでは勝てなくなったのだ。死ぬほど練習している選手に、さぼっている選手が勝つ道理がない。中学校3年生のときには、「水泳をやめようかな」とも考えたと言う。
ところが、ひとつの転機が訪れる。水泳の推薦で進学した、強豪ひしめく千葉商科大学付属高校で、4×100mフリーリレーの選手に選ばれたのである。
「僕が1年のときに、3年生に小日向(一輝)さんや、平井健太さんがいたんです。彼らの足を引っ張りたくないという気持ちから、夏の大会に向けて練習を頑張るようになったんです。とことんやりましたね。自分のためというより、人のためにやるほうが、自分の性格に合っていたのかもしれません。それからは、速くなるためには練習しかないと考えるようになりました」
その年、日本高校選手権の4×100mフリーリレーで優勝。ちなみに小日向は今年の世界選手権の男子200m平泳ぎに出場、平井は2014年のアジア大会の男子200mバタフライで2位になった選手だ。
そして、松元をさらに飛躍させる出来事が続いた。高校1年の夏、これまでずっと練習をしてきた東京・葛飾にある金町スイミングクラブから水泳の名門(体操でも超有名)のセントラルスポーツへ移籍したのだ。
「金町スイミングクラブだと、インターハイに出場した選手はスゴいと思われていました。でも、セントラルスポーツだとインターハイ優勝が当たり前っていう選手がごろごろいる。僕がどんないい結果を出しても、他の選手にとったら当然でしょって感じ。目指しているところが違うというか、そういう人たちに触発されて、高い意識を持つことができるようになったのです。
先輩たちは日本代表に入ったりして活躍していたのですが、自分はなかなかなれなくて取り残された感じがしたときもあった。そういう刺激を受けたから強くなれたのだと思うし、とことん頑張る気持ちになれたと思うんです」
自己ベストを伸ばして、オリンピックを目指す。
そして、17年からは鈴木陽二コーチに指導を仰ぐようになった。鈴木コーチは鈴木大地、森田智己、伊藤華英など、数々のオリンピック選手を育て上げた名伯楽であり、日本の競泳界をずっと牽引してきた御仁でもある。松元は今、この人に世界の頂点へと導いてもらっている。
「練習はひたすらハード(水泳用語でほぼ全力で泳ぐ練習)です。量も質も求められるので、それをこなせるようになったからここまで伸びたし、これからも伸びていけるだろうと確信しているんです。最初は“この人、何を考えてるんだろう”と思いましたよ。こんな量、できるわけないじゃん、って(笑)。でも、今はそれをやらなければダメだと考えられるようになっていますからね」
泳ぐ以外にも、週2回、千葉から東京の国立スポーツ科学センターに車で1時間強かけて通い、ウェイトトレーニングをするようにもなった。そのすべてが、自国で開催される東京オリンピックへと繫がっている。
「ウェイトをするようになってから、より力強く腕をかけるようになりました。それが感触としてわかっているので、ずっと続けようと思っています。そして、これからは少しずつ自己ベストを伸ばして、オリンピックを目指したい。
まだ代表に決まったわけではないんですが、オリンピックでは1分44秒台の争いになると思います。そのためには、4月の日本選手権でそのタイムを出さなければ本番では難しくなる。ただ、逆に考えれば、記録が出ればチャンスへと変わる。金メダルにもグッと近づいてくると思うんです。
僕にとってこのタイムは決して現実味のないものではない。今の記録から0.23秒速ければいいだけですからね。それだから、今からあせって何か特別なことをやるということはないです。これまで通りにやっていくことが大切だと思う。そうすれば、頂点カツオにもなれるんじゃないか(笑)。そんなふうに考えているんです」