荒木遼太郎(サッカー)「13番を背負ってプレーするのは大変だと思っていました」
2022年、自ら志願して背番号10を背負った。近い将来、日本を牽引していくであろうミッドフィールダーが今見据える未来とは。(雑誌『Tarzan』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.830〈2022年3月24日発売号〉より全文掲載)
取材・文/鈴木一朗 撮影/下屋敷和文
初出『Tarzan』No.830・2022年3月24日発売
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荒木遼太郎(あらき・りょうたろう)/2002年生まれ。170cm、65kg、体脂肪率10%。中学生のときにJ2のロアッソ熊本のジュニアユースで活躍。東福岡高校に入学し、U-16の日本代表に。2020年、鹿島アントラーズに加入。この年26試合に出場し、2得点を挙げる。2021年は10得点7アシストでベストヤングプレーヤー賞を受賞。
小さいころから10番だから、この番号が好き
鹿島アントラーズの荒木遼太郎は、2021シーズン華々しい成績を残した。J1リーグで10得点・7アシスト。シーズン2年目、10代での2桁得点は城彰二(ジェフユナイテッド市原=当時)以来27年ぶり。シーズン終了後にはJリーグアウォーズで、ベストヤングプレーヤー賞も受賞した。
彼の魅力はまず、ボールタッチの柔らかさ。たとえアバウトで処理の難しいボールでも繊細なタッチで足元に収めてしまう。そして、そこからの展開の速さ。プレスに来た相手をかわしパス、あるいは自分でゴール前まで持ち込んでシュートする。
まさに自由自在。ミッドフィールダー(トップ下)というポジションは、彼のためにあると言っても過言ではない。ある海外のサッカーメディアでも推定市場価格は急上昇中。
そんな彼が、シーズン3年目の今年、自ら志願して背番号「10」を背負うことになった。鹿島アントラーズの10番といえば、古くはジーコ、ビスマルク、レオナルドといった超弩級の選手がつけた番号である。昨シーズン、ようやくJ1でもやっていけるという、自信のようなものをつかんだのであろうか。だが、予想に反して意外な答えが返ってきた。
「小さいころから10番だったので、この番号が好きなんですね。それに、このチームで10番だった本山(雅志)さんがいたので、僕もつけたいと思った。本山さんは東福岡(高校)でも先輩で、そのころから憧れの存在。背番号に関して言えば、前の番号のほうがキツかったですね」
その番号は13。かつて柳沢敦、興梠慎三という日本を代表するストライカーが背負ってきた。昨シーズンの荒木にとって、それがどれほど大きいものかは容易に理解できる。
「最初は重圧を感じていましたね。自信もそれほどあったわけじゃなかったし。見た目は元気があったかもしれないけど、13番を背負ってプレーするのは大変だと思っていました。
だから、去年結果を残せてうれしいというか、ほっとしているところなんです。ただ、チームとしてはタイトルが何も獲れなかったので、今年こそはという思いがあります」
名門・鹿島アントラーズは、これまで多くのタイトルを奪取してきた。その栄光を受け継ぐ選手たちにとっては、何よりチームの強さこそが自分たちの存在証明となるのだろう。
サッカーだけを考えて生きる。これ以上すごいことはない
幼稚園の年長のときにサッカーを始める。ただし、そのころ並行して野球もやり始めていた。本人曰く、「最初は野球のほうが好きだった」らしい。ところが、小学校に上がると想いはガラリと変わる。地元・熊本のシャルムFC熊本というチームに入ったことがきっかけだった。
「サッカーにハマりましたね。そのときはフォワードをやっていたので、点を取れるのが楽しくてしょうがなかった。もう、夢中になっていたのを、今でもはっきり覚えています」
そのときから、プロに淡い憧れを持っていた。まぁ、普通のサッカー少年がプロになりたいと思うのと、さしたる変わりはないだろう。
ところが中学生になり、J2のロアッソ熊本のジュニアユースに加入すると、それがハッキリとした目標に変わる。なぜなら、ロアッソ熊本のプロ選手たちが、いつも目の届く場所で練習をしていたからだ。
「サッカーを職にして生活していくというのが、とても魅力的だったんです。一日中サッカーができるというのがいい。たとえば午前中にチームで練習したら、午後には自分が足りなかった部分を反復することができたりとか。
サッカーのことだけを考えて生きていける。これ以上すごいことはないと思いました。自分は勉強が相当嫌いだったのでサッカー、というのもあったんですが(笑)」
この発言には驚いた。なぜなら、プロになるためにサッカー漬けの毎日を過ごすのが普通であって、サッカー漬けの日々を送りたいから、プロになりたいなんていう話は、これまで聞いたことがない。ただ、荒木はそれを目指した。そのためには強い高校に行くしかない。九州の強豪・東福岡高校がそれであった。
「(全国高校サッカー)選手権への憧れもあったし、プロになるには一番いいんじゃないかと思ったんです。1年のときはフィジカルが違いすぎて、それでも先輩に必死に食らいついていくなかで、ちょっとずつ慣れていったという感じ。自分のプレーも出せるようになって、それが自信になっていったのだと思います」
3年時には10番を背負って、主将も務めた。全国の舞台に立つことは叶わなかったが、高く評価され、彼の望んだ通りにプロの道へと繫がっていったのである。
気がついたら目の前にいる。驚くというか衝撃だった
プロ入り、つまり鹿島アントラーズに加入して、荒木は戸惑いを覚えた。レベルが違うのである。いくら強豪とはいえ、高校卒業したばかりの若者と、プロで鎬を削ってきた選手とでは実力に大きな差があった。
「選手のスピードにビックリしました。気づいたら、もう目の前にプレスに来ているような。驚いたというか、衝撃を受けました。ちゃんとトラップしてもボールを奪われたりして、まったく通用しませんでした」
練習量も高校とは比較にならない。強度がとんでもなく高かった。ただ、だからこそ柔らかいタッチでボールを収め、間髪入れずに攻撃に転じる今のスタイルが出来上がったのだ。そして、筋力トレーニングによってフィジカル面も強くなっていった。
「東福岡でもやっていたのですが、プロになってからはチームで与えられたメニューを行い、個人的にもやるようになりました。シーズンオフは筋力をつけるのが目的。シーズン中は落とさないことが重要になります。
ベンチプレス、スクワット、アームカールなど一般的なトレーニングですね。7割ぐらいの力で次の日に少し筋肉痛になるぐらいの感じでやっています。週に2回が基本で、多くて3回といったところです」
2021年は、試合にこそ出場できなかったが、日本代表にも選出された。
「そのとき、海外で活躍して戻っていた大迫(勇也)選手や長友(佑都)選手は、プレーの質が違うと気づいたんです。僕よりもはるかに上だということも改めて実感した。だから、盗めることも多くて、全部盗むつもりで練習しました。
今年はW杯もあるから、もちろん狙っています。久保(建英)選手とは同じ年なんです。一緒にプレーしたことはないですが、いい選手だなと。ただ正直負けたくない気持ちはあります」
荒木は、もうひとつ高みへと上るために、海外に戦いの場を移すことが大切だと考えている。それが、どれだけ自分を磨いてくれるかを、経験した選手によってはっきり感じ取ったからだ。ただ、そのためには、まずは日本でなすべきことがある。
「まずはタイトルを獲ることです。その中で活躍できれば、先が見えてくると思う。だから、今はアントラーズで、いかに戦っていくかということしか考えていません。
はっきり、このチームだったらタイトルを獲れると思っています。ただ、それだからといって油断すると、足元をすくわれてしまう。チームが団結して、悪い流れのときにこそ、いかに一つになれるかが大切なことだと思います。それができれば目標は達成できるはずです。
自分も3年目になり後輩ができたりもして、責任を感じるようになってきました。チームが苦しいときには、自分が引っ張ろうという気持ちにもなっているんです」