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「僕らの世代が突き上げれば、日本はさらに強くなると思う」湘南GK・谷晃生

谷晃生

谷晃生(たに・こうせい)/2000年生まれ。190㎝、86㎏、体脂肪率7%。5歳でサッカーを始め、大阪のTSK泉北サッカークラブに所属。ガンバ大阪ジュニアユースからユースを経てトップチームへ。2020年から期限付きで、湘南ベルマーレへ移籍。東京オリンピックでは全試合フル出場。8月にはA代表にも選出。

3月に小さくさざ波が起こった。それが夏には怒濤となって、一人のゴールキーパーを襲う。そして、彼は変わったのだ。(雑誌『ターザン』の人気連載「Here Comes Tarzan」、No.816〈2021年10月7日発売号〉より全文掲載)

オリンピックのピッチを振り返って

2021年、谷晃生はまさしく怒濤のような夏を過ごした。「人生で一番大変だった」と、本人が言うように…。

最初、さざ波が立ったのが3月に行われたU-24アルゼンチン代表との試合。第2戦で出場した谷は、アグレッシブな動きを随所に見せ、3-0の完封勝ちを演出したのだ。

谷晃生

それまで同世代でもっとも試合に出場していたゴールキーパーは、サンフレッチェ広島の大迫敬介だった。だが、この出来事がきっかけで谷が猛追する。そして、6月シリーズでも堂々の戦いぶりを見せつけ、東京オリンピックでは谷、大迫、そして浦和レッズの鈴木彩艶の3人のキーパーが代表に入ったのだ。

蓋を開けてみれば、オリンピックでピッチに立ったキーパーは谷一人だった。全試合にフル出場し、日本の守護神として、カラダを張ったプレイでチームに貢献した。準々決勝のニュージーランド戦でのペナルティキックを抑えた場面を、記憶している人は多いのではないだろうか。

まずは彼に振り返ってもらった。

代表に選ばれた2人とは、支え合い、競争し合いという関係でしたね。ただ、キーパーというポジションは1つしかないですし、(僕が守ることになって)2人がピッチに立てなかったという悔しさは持っていたと思う。

でも、そんな中で自分をサポートしてくれたことにとても感謝しています。大会期間中は、普段からやっていることをやれたらいいと考えていました。戦っていくなかで一試合一試合、成長できればいいと思っていたし、それは実感できた。メダルという結果はついてこなかったし、まだまだ力不足なんですけど

そして、オリンピック終了後に日本代表に選出される。ワールドカップ最終予選で、オマーン、中国と戦うためだった。谷はピッチには立てなかったが、現時点で考えられる日本のベストメンバーの実力をそばで感じるという、貴重な体験ができた。

A代表のメンバーには17歳ぐらい離れている選手もいる。多くの人がワールドカップなど大きな大会を経験しているから、一人ひとり成熟しているというか、U-24のときとは、まったく違った雰囲気がありましたね。一緒に行動していてもメリハリがあって、切り替えがさすがだなと。

ただ、すごくしゃべる人が場を盛り上げて、他の人は聞き役に回るって部分では、どちらもそんなに変わらないですけど。僕は横で聞いているほうですね(笑)

こうして怒濤の夏が終わった。「人生で一番大変だった」季節が谷に残したものは、大きかっただろう。

キーパー専門になったのは中学校から

サッカーを始めたのが5歳のとき。3歳上の兄がやっていたのに影響された。「兄とやっていたのでうまくなっていったと思う」と彼は言うが、確かに幼少の頃の3歳差は体力面では大きい。周りに負けないように必死に走ったり、蹴ったりしたことが、今に繫がっているのかもしれない。

そして、キーパーをやろうと決心したのも、そんな兄の仲間たちと一緒に試合をやったときだった。

谷晃生

小学校3年生のときに人数が揃わなくて、兄の年代のチームに入って試合をすることになったんです。その頃から背が高かったのでキーパーをやることになった。そしたら、そこそこできて、自分でも魅力を感じた。

最初は防ぐだけだったけど、いろんな駆け引きもできるようになってどんどん楽しくなってきたんです。ただ、小学校の頃はフォワードもやったので、キーパー専門になったのは中学校からですね

中学校に入るとガンバ大阪ジュニアユースに所属するようになる。実はこのときから、プロになりたいと淡い憧れを抱くようになった。

ジュニアの練習場の隣に、トップチームの練習場もあったんです。それを見てプロを意識するようになった。でも、隣との間には少し高い壁があるようにも感じていました。だから、絶対に乗り越えて、あっち側へ行こうと思っていましたね

注目されることは、実は苦手

2017年、壁を乗り越えた谷はガンバ大阪U-23でJ3デビューを果たす。16歳と3か月18日でのJリーグ初出場は歴代2位という早さだ。その翌年、ガンバ大阪に入団。そして湘南ベルマーレへの期限付き移籍を経て2021年、一躍時の人に。

たった4年間の出来事である。よく声をかけられるでしょ、そう尋ねると谷は、はにかみながら答える。

あまり気にしないようにしていますが、変なことはできないなと思います(笑)。どっちかというと、苦手なんですよ、注目されることは。それに、自分がそこまで活躍したとは思っていないんです。過大評価をしてもらったというか、今の自分との間に温度差を感じているんです

控えめと言えばいいのか。ピッチの上でボールをセーブしたときも、あまり表情を変えないし、チームでは「横で聞いている」ほう。あくまで真摯に語ってくれる姿勢は真面目であり、また謙虚でもある。それで、これだけイイ男だから人気は当然なのだが…、本人は苦手らしい。

さて、ゴールキーパーの練習がとてつもなく過酷ということをご存じか。

瞬発的な動きを連続で求められるこのポジションは、練習でも似た動作の繰り返しだ。ジャンプして横っ跳びでボールを取り、立ち上がり、また飛び込む。冗談ではなく練習着はすぐに破れ、練習後には毎回荒い息をして天を仰ぐことになる。

とにかくゴールを決めさせない。そういうココロがゴールキーパーには一番大事です。これは、小さい頃から教えられてきたこと。そのためには、練習は絶対に必要なんですよ。試合での運動量は少ないですが(笑)、練習はハードだなって常に思っていますね。

ただ、練習だけでは足りないのも事実で、自分でトレーニングも行っています。重りを使うこともあるし、自重で行うこともある。基本的な体力は必要ですしね。今やっているのは、全力の60~70%の重量で速く動かすようなトレーニングです。これによって速筋(速い動きで使われる筋肉)が鍛えられて、運動動作をスピードアップできると考えているんです

サポーターと触れ合えない。それが今は苦しい

谷が湘南ベルマーレに期限付きで移籍をしたのは2020年。ベルマーレのサポーターは地元意識が強く、常に選手を温かく包んでくれる。しかし、谷はそれがまだはっきりとは実感できていない。新型コロナで観客数は制限され、応援も拍手と手拍子のみという状況が続いているからだ。

谷晃生

僕が今、一番欲しているのが、サポーターの声なんです。皆さんに応援歌を歌ってもらったりとか、練習後にサインを渡して触れ合ったりということができない。サポーターの人たちにとっては、それが残念なところなんでしょうけど、僕にとってもそれは苦しいところなんですね。

チームが始動したときには勝ち点50を挙げて1桁順位になるという目標でした。ただ、今の現状ではそれがJ1残留に変わってきてしまった。それを達成するために必要不可欠な存在でいたいし、チームにいい影響をもたらすことのできる存在でいられたらいいと思っています。

コロナ禍の中で応援してくれる人たちも本当に大変ですよね。だから、がんばりたい

チームのために全力で戦う。これはJリーガーとしての当然の使命なわけだが、もちろん谷の目標はそれだけではない。サッカー選手にとって最高峰と呼べる戦い、ワールドカップがある。

ベスト8の壁を破ること。その先には優勝もある。僕の同世代はこれまでのオリンピック代表よりも、海外でやっている選手が多いし、タレントが揃っているようにも思う。彼らが下から突き上げていけば、日本はより強いチームになっていけるはずです。

ただ、その中に僕がいるということは、あんまり考えていないですね。ずっと東京世代の中心にいたわけではないし、初めて試合に出たのも今年の3月ですから。だから、自分がその世代の一員に入っていいのかなって思っているんです

やはり、控えめだ。しかし、多くの人は日本を背負って彼がピッチに立つ日を確信して待っているのだ。

取材・文/鈴木一朗 撮影/藤尾真琴

初出『Tarzan』No.820・2021年10月7日発売

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